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17. 曲者王子の秘密

 賊の背中を片足で思いっきり踏みつけながら、返り血の付いた顔で恥じらうリリアナ様を見て、私は考え込んでいた。


 目の前にいるこの達人が本当にリリアナ様だとして、一体、いつ何処でリリアナ様は剣を覚えたのだ?


 リリアナ様は今までに一度も剣に触れたことなど無いはず。

 例えリリアナ様が望んだとしても、あの旦那様が触れさせるはずがない。

 それに、もしリリアナ様が剣を教わるとすれば、旦那様の護衛騎士であるクラウス様からだろうが、そんな話は聞いたことが無い。 


 リリアナ様は、内気で恥ずかしがり屋で、争い事などは嫌いだった。

 このか弱く可憐な方をお守りするために、私は何年も鍛錬を続けてきたのだ。

 ……それなのに、もしかしたら私よりも強い? あ、涙が出る。 


「つかぬことをお聞きしますが、リリアナ様はいつ何処で剣を覚えられたのですか?」


 どうにも気になって堪らずに私が尋ねると、リリアナ様は初めはもにょもにょと口ごもっていたが、そのうちまるで夢見るようなうっとりとした表情で饒舌に語り出した。


「……あなたが、わたしのために強くなろうとしているのが嬉しかったの。……それで、その、あなたが庭で剣の稽古をしているのを、柱の影から毎日こっそりと見ていたら、もう夢中になってしまって。瞬きをするのも忘れてあなたの姿を目で追っていたら、いつの間にか動きをすべて覚えてしまっていたのよ」


 ……映像記憶?

 私の動きをただ目で追っていただけで、そんなに簡単に覚えられるものなのか?


「……でも、相手は? いくら私の動きをすべて覚えたとしても、相手がいなくては剣の稽古は出来ないでしょう? 一体どうやって稽古をしたのです?」

「あなたの動きはすべて覚えているから、それを脳内で再生して、あなたを相手に稽古をしていたら楽しすぎて時間が経つのも忘れたわ」


 ……シャドウ剣術?


「それでは剣は? 剣はどうしたのです?」

「あなたは成長に合わせて、少しずつ大きな剣に取り換えていったでしょう。その不要になった小さな剣を、お母様にお願いして、その都度わたしが貰っていたの。あなたがずっと使っていた剣だと思うと胸がときめいて、ますます稽古に熱が入ったわ」


 ……要するに、私の稽古を一度見ただけですべて覚えて再現したということか。

 そんなことが可能なのか? 剣の天才なのか?

 ……恐ろしい子!


 私はリリアナ様をお守りするために、この十年間一日も欠かさずに鍛錬してきたし、それなりに強くなったという自負もある。

 けれど、リリアナ様のこの無双っぷりはどうだ。

 もう心が折れてしまいそうだ。涙で前が見えない。

 ……私なんて必要ないですよね。


 私は全身の力が抜けて、へなへなとその場に崩れ落ちてしまった。




 私が出る幕も無く、リリアナ様がたった一人でちょちょいと片付けた黒衣の男達は、呻き声を上げながら地面をのたうち回っていたが、エリオット王子の見目麗しい護衛騎士達に次々に縛り上げられて、駆けつけてきた役人に引き渡された。


 ついさっきまで奇声を上げて逃げ回っていたエリオット王子は、役人の姿が見えた途端に急に偉そうに周りに指示を出していた。

 そして、オリヴィエ様の掲げる鏡で髪を整えてから、エリオット王子は軽く咳ばらいをしながらゆっくりとこちらへ歩いて来た。


「リリアナ」


 リリアナ様の名を口にしたかと思うと、エリオット王子はいきなり背後から手を伸ばしてリリアナ様を抱き締めた。


 いつもなら私が間に入って阻止するのだが、まさかエリオット王子が、この状況でそんなことをするとは思わずに、間に合わなかった。


 呆気に取られる私の目の前で、エリオット王子はリリアナ様を後ろから抱きしめたまま、耳元にその口を近づけて囁いた。


「……とても素敵だった。勇敢で美しい、私のリリアナ。あなたが危険を顧みずに私を守ろうとするなんて。あなたがこんなにも私を想っていてくれたなんて、私は幸せ者だ」


 その瞬間、目の前にいたはずのエリオット王子の姿が、私の視界から消えた。


「気安く触らないでっ! 気持ち悪いのよっ!」


 固く握りしめて思い切り突き上げたリリアナ様の右の拳は、しっかりとエリオット王子の下顎をとらえ、エリオット王子はそのまま通りの向こうへ勢いよく吹っ飛んでいった。


 ずさささっと大きな音を立てて落下して地面を滑っていったエリオット王子は、駆け寄って来たオリヴィエ様に抱き起されて、殴られた顎を抑えたまま目を点にしてこちらをみている。



 ……ひいいいっ、何やってるんですか――――っ!



 リリアナ様がエリオット王子を殴るなんて、どうしよう⁉ どうしたら⁉

 ……大変なことになった! このままでは済まない。グランブルグ伯爵家にもお咎めがあるやもしれない。

 私がお側にいながら、リリアナ様をお守りすることも、お止めすることも出来なかった。

 私を信頼してくださった旦那様に合わせる顔が無い。


 あまりの出来事に、私は膝の力が抜けて、そのままがくりと地面に手をついてしまった。

 自分の無能さが情けない。私は何も出来なかった。 


 私が地面に手を付いたまま指で土を掻き、ぎりぎりと歯噛みをしていると、前方から何やらピンクのハートのような物がほわんほわんと漂ってきた。

 そんな物がこの場にあったかなと、私は首を傾げながら顔を上げた。


 ……何だ、これは? 何処から出てきたのだ?


「殿下、抑えてください。殿下、ここでは我慢してください!」


 声のする方を見ると、地面に座り込んだままで、エリオット王子が頬に手を当てて潤んだ目でうっとりとリリアナ様を見上げていて、そんなエリオット王子をオリヴィエ様が必死になって制していた。


 何が起きているのか分からないまま、私が呆気に取られてその様子を見ていると、オリヴィエ様が私の視線に気づいて、さりげなく目を逸らした。


 ……これは、もしかしたら、助かったのかもしれない。


 


 先程までの争いが嘘のように、辺りは既に商人達で賑わっていた。

 一度は店を片付けて去って行った商人達が、争いが終わったのを見て戻ってきたのだ。


 その喧噪の中、私は天高く突き上げたまま固まっているリリアナ様の拳にそっと手を添えて降ろした。

 そして持っていた花柄のヴェールを再びリリアナ様に下手くそに巻くと、放心状態のリリアナ様に声をかけた。


「帰りましょう」


 

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