表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/156

16. 箱入り娘の秘密

 耳元で「起きて~起きて~」とひたすら祈りのように囁き続けて、やっと目覚めたリリアナ様と共に歩いて、通りの端にいた貸馬屋で何とか馬を二頭借りることが出来た。


 貸馬屋の店主が手早く馬装する様子を見ながら、私はぼんやりと今朝方までの心境を思い出していた。

 今ならば笑い話で済むが、もしかしたらレオン様を抱えて徒歩で屋敷まで戻らなければならないかもと考えた時は本気で目眩がした。


「準備出来ましたよ。……お客さん、のんびりしてないで急いでここを発った方がいい。聞こえるでしょう、あの騒ぎが」


 馬装を終えた店主の促す方を見ると、もうもうと土埃が立ち込める中から、かすかに叫び声や剣で打ち合う音が聞こえてくる。


「気になってずっと様子を見てたんですがね、どうやら若い貴族が襲われているようですよ。何があるか分からないから、巻き添えを食わないうちに、ここを離れた方がいい。私ももうここを退散しますよ。馬が怯えだしたしねぇ」

「そうするよ。教えてくれてありがとう」


 借りた二頭の馬の手綱を引き、そこから離れようとすると、何やらリリアナ様が険しい表情で音のする方を見ている。

 ひどく困惑しているような、リリアナ様のこんな顔は今まで見たことが無い。


 ……どうしたのだろう。


 「巻き込まれないように、早くここを出ましょう」と言いかけたその時、土埃の向こうから悲壮な叫び声が聞こえてきた。


「エリオット様っ‼」


 ……エリオット? ……エリオット王子?

 ……まさかエリオット王子がここにいるのか?

 もしや、向こうで争っている若い貴族というのはエリオット王子のことか?

 私はリリアナ様と思わず顔を見合わせた。


「クロード、……本当にエリオット王子だと思う?」

「私が行って様子を見てきますから、リリアナ様はここを離れずにいて下さい」


 その場の片づけを始めていた店主に「すぐに戻る」と馬の手綱を渡し、リリアナ様をそこに残して、私は土埃の向こうへ駆けつけた。





 もうもうと立ち込める土埃の中で、向こうに気づかれないよう木陰に身を隠しながら、私は眼前の争いを見ていた。

 先程の少し離れた馬繋場からは土埃で良く見えなかったが、黒衣に身を包んで顔を隠した二十人程の大柄な男達が、貴族らしき若い男を襲っていた。


 悲鳴を上げながら逃げ惑っているその若い男の髪は、見覚えのあるオレンジがかった明るい茶色で、今にも泣きだしそうな目は鮮やかな緑で少し垂れていた。


 ……エリオット王子だ、間違いない。


 何故、エリオット王子がこんな所に?

 護衛騎士達はどうした?

 いつも数人を「選りすぐり」と言って従えていたはずだが、彼等は何をしているのか?


 見ると、数人の華やかな服装をした若者が黒衣の男達と戦っているが、……まさか、これが選りすぐりの護衛騎士?

 ……賊の剣を受けるのが精一杯ではないか。

 確かに賊の数は多いが、それでも一人も倒せずに防戦一方とはどういうことだ?


 ……ああっ、危ないっ。

 ああ、危なっかしすぎてもう見ていられない。下手くそ過ぎる。

 これのどこが選りすぐりなのだ?

 何故、エリオット王子はこんなへっぽこを護衛として連れているのだ?

 訳が分からない。


 明らかに力量の差があるのを賊に見抜かれ、護衛騎士達は適当にあしらわれて一ヶ所に追いやられた。

 集まった護衛騎士達を目を凝らしてよく見て見ると、エリオット王子の言う「選りすぐり」の意味が一瞬で理解出来た。



 ……顔か。



 こんな戦いの場には不釣り合いな見目の良い若い男達は、皆が薄く化粧を施して、剣を扱うには邪魔なひらひらと長い袖の、重そうな装飾が全面に付いた服を着ていた。


 ……こんな格好で護衛をさせるのか。酷いな。


 確か以前、ラリサ王女が兄は美しいものに目が無いと言っていたが、だからと言って、自分の命を守る護衛騎士を顔で選ぶなど、平和ボケにも程がある。


 ……死にたいのか?


 護衛騎士達が当てにならずに窮地に追いやられたエリオット王子は、一人で健闘しているオリヴィエ様の背に隠れて奇声を発していた。


 ……私が助けに入るにしても、この人数は厳しい。

 せめてこの半分なら何とかなるかもしれないが、それでもリリアナ様を残して無理をする訳にはいかない。


 私はリリアナ様の護衛で、誰よりも優先すべきなのはリリアナ様なのだ。

 ……例え、目の前で王子が襲われていても、私がお守りするのはリリアナ様だ。

 エリオット王子ではない。




 その時、私の横を一条の風が通り抜け、何かが視界を塞いだ。

 顔に張り付いたそれを手に取ると、リリアナ様の顔を隠し、髪を覆っているはずの花柄のヴェールだった。


「……リリアナ様?」


 馬繋場にいるはずのリリアナ様が、いつの間にか私の横を駆け抜けて、通りに落ちていた護衛騎士の剣を拾い、頭を抱えてうずくまっているエリオット王子の前に立った。


 そして、エリオット王子にとどめを刺そうと剣を振り上げた黒衣の男の前に立ちはだかり、勢いよく振り下ろされたその剣を思い切りはじき飛ばした。


 その大きな音にびくっと体を固くしたエリオット王子は、恐る恐る顔を上げたがリリアナ様に気づくと、慌てて立ち上がった。


「………リリアナ? どうしてあなたがこんな所に? 何度グランブルグ伯爵家を訪ねても、寝込んでいると言われて会わせてもらえなかったのに、こんな所であなたに会えるとは。……はっ、リリアナ、ここは危険だ。私があなたを守るから、こちらへ」


 そう言ってエリオット王子はリリアナ様の体を引き寄せようとする。


「おだまり」


 ひゅう~っという風に乗り、聞き慣れない低い声が響き、その場が静まり返った。



 ……誰の声だ?



 剣を片手に持ち、風に長い髪をなびかせて仁王立ちしたリリアナ様は、エリオット王子に一瞥もくれることなく、まるで獲物を見つけて集まってくる獣のように舌舐めずりする黒衣の男達を見据えていた。


「役立たずは引っ込んでいなさい。あなたは黙ってわたしに守られていれば良いのよ」


 ……私の耳はおかしくなったのか?


 あの可憐なリリアナ様がこんな言葉を吐くはずは無い。

 いや、違う。唖然としているエリオット王子とオリヴィエ様を見れば、これが聞き間違いでないのは明らかだ。


 ……では、あれは誰だ?

 ……リリアナ様のように見える、あれは誰だ?


 目の前で起きていることに混乱し呆気に取られていた私は、目配せをし合った黒衣の男達が剣を振り上げて一斉に襲い掛かるのを見て、やっと我に返り慌てて駆け出した。


 ……しまった、何をやってるんだ私は! リリアナ様の側を離れるとは!


 慌てて駆け出したが間に合わず、私のすぐ目の前でリリアナ様は男達に囲まれ見えなくなってしまった。


 そう思ったその時、一斉に襲い掛かる黒衣の男達を信じられない跳躍力でひらりとかわして宙に舞ったリリアナ様が、そのまま男達の背後に回り、男達を背中からバッサバッサと斬り捨てた。


 それを見て、まるで手のひらを返すように怯えて逃げる残りの男達を、リリアナ様は驚異的な速さで先回りして立ちはだかり、スパパパパァーンッと正面から一刀両断した。


 ……凄すぎる。……誰だ、この達人は?

 ……私は一体何を見ているのだ?

 ……一体何が起きているのだ? ……夢でも見ているのか?


 圧倒的不利に思えた戦いは、達人の参加により一瞬で片が付いた。

 ひゅるるるる――っと駆け抜ける風の中、達人は持っていた剣を地面に突き刺し、うつぶせに倒れている黒衣の男の背中を片足で踏みつけて立っていた。


 ……お守りしようと駆け付けたが、めっちゃ強いんですけど、この人。

 ……もしかして私より強いんじゃないか?


 こちらに背を向けて泰然と仁王立ちをする達人に、私は恐る恐る近づいて声を掛けてみた。


「……あの、恐れ入りますが、どちらの達人様でしょう?」


 私の言葉に達人はゆっくりと振り返り、べったりと返り血が付いた白い肌を赤らめ恥じらいながら答えた。


「何をふざけているの。リリアナよ」



 ですよね――。



 でも、私の知っているリリアナ様は、大の男の背中を足で踏みつけたまま、返り血の付いた顔で恥じらう方じゃなかったんです涙。


 今でも信じられない。私は寝惚けて白昼夢でも見ているのではないだろうか。

 いや、夢であってくれ。

 あの美しくて穏やかなリリアナ様が、あの可愛らしいリリアナ様が。

 私の中で何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ