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155/156

155. 優しい雨

 私は、ユーリに眠り薬を嗅がされて眠ったままのリリアナ様を抱えて、城門に向かって歩いていた。

 

 来た時はエリオット王子の馬車に乗せてもらっていたので何も感じなかったが、王太后の住む離宮から城門まではかなりの距離がある。


 時折すれ違う貴族らしき男女に怪訝そうな目で見られて肩身の狭い思いをしながらも、誰にも咎められずにいるのは、王太后が何か手を回してくれているのだろうか。


 それなら、グランブルグ家まで馬車を貸してもらった方が有難かったのだが、「アシュランが歩かせるよう言っているから、馬車は出せぬ」と言って、王太后は意味深に笑っていた。


 アシュラン様がそう言うのなら仕方ないと思いつつも、私はどこか引っ掛かるものを感じていた。


 私にはアシュラン様はとても優しい方のように思えた。

 王太后とのやり取りを見ていても、愛情に溢れた温かい方のように思えた。


 ……その方が、「歩け」と言うのは、もしや私が平民だからだろうか。

 本来ならば私は城に出入りできる身分ではないし、馬車は分不相応だと歩かされるのは構わないが、ズボンにシャツ一枚というこんな姿で城をうろちょろして問題無いのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、いつの間にか城門を出ていた。




 リリアナ様を抱えて、グランブルグ家までの道をてくてくと歩いていると、どこからか声が聞こえた。


「私からの礼だ。受け取れ」


 それは姿こそ見えないが、確かにアシュラン様の声だった。


 私がその声に驚いて、きょろきょろと辺りを見回していると、頭の上から淡い金色の光がさあーっと降って来た。

 呆気に取られながらその光を見上げていると、それは金色の霧のような雨だった。

 柔らかな金色の雨が、私の顔に体に静かに降り注ぐ。


 空を見上げると、辺りは雲一つない澄んだ青空なのに、何故か、私の上だけ雨が降っていた。


「……何だ、これは?」


 訳の分からないまま、その金色の雨を見上げていると、視界の下の方からふわっと白い霞が現れた。

 もしやと思い、腕の中のリリアナ様を見ると、体から出た白い霞がすでに全身を覆っていた。


 私は慌てて周囲を見回したが、周囲にはまばらに木があるだけで、人家も人影も見えなかった。


 ほっとしながら再び腕の中を見ると、すでに変化を終えて白い霞が解けていた。

 そして、そこにはレオンがいた。



 もう二度と、レオンには会えないと思っていた。


 両親を見殺しには出来ないと言って、私に甘い思い出だけを残して去ったレオン。

 そして私は、レオンにすべてを与えるという王太后の言葉を信じて、自ら死のうとした。


 もう二度と会えないことを覚悟して、一度は死を選んだはずなのに、それでも目の前にレオンがいるとやはり愛おしさが込み上げてくる。


 もう一度会いたかった。もう一度触れたかった。

 溢れ出る愛おしさに突き動かされるように、私はレオンの頬に唇を近づけた。


「だめえーーっ!」


 私の唇がレオンの頬に触れようとしたその瞬間、耳をつんざくような大声を上げてレオンが体を起こした。

 突然の大声に、心臓をバクバクさせながら私はレオンを見た。


 ……レオンが眠っている間に口づけしようとしたのは、まずかっただろうか。


 戸惑う私をよそに、レオンは私の頭を力づくで右に倒したかと思うと、今度は左に倒し、最後に思い切り顎を突き上げるようにして、私の頭を後ろに倒した。


 ……痛いんですけど、これは怒っているのか。何なのか。


「怪我は? 血は出てない? 切れてない? 大丈夫?」


 私の首に顔を近づけて目を凝らしているレオンの様子に、私はようやくレオンが私が首に剣を当てて死のうとしたことを心配しているのだと気づいた。


 ……そういえばあの時、レオンの声が聞こえた気がする。


「大丈夫。どこも怪我してない」


 私の心配をしてくれているレオンに、なるべく穏やかに優しく答えたつもりだった。

 それなのにレオンは、みるみるうちに憤怒の表情に変わったかと思うと、私の頭を掴んで思い切り頭突きをしてきた。


 ゴンッ!


 鈍い音が響く。

 久しぶりのレオンの本気の頭突きに、私は悶えてしまった。

 足元がふらつきながらも、落とさないように抱えていたレオンを降ろす。


「……痛っ、……レオン、何を……?」

「一人で逝ったら許さないって言ったの、もう忘れたの⁉ 何を勝手なことしてるんだよ!」


 大きな目に涙を溜めながら、レオンが私を睨みつける。


「……レオンだって、……私を置いていったじゃないか。私を一人残して」

「僕は死んでない!」

「もう会わないつもりなら同じことだ」


 痛む額を手で押さえ、顔をしかめながら私はレオンを見た。


「愛していると言った私を置き去りにしたのに、私を責めるの?」


 一生を共に生きていきたいと言った私を、あなたは置いていった。

 一人残された私が、この命をあなたの為に使って、どうしていけないのか。


 私の言葉に、レオンが困ったように下を向く。


「……それでも、クロードが死んだら嫌なんだ。生きててくれなきゃ嫌なんだよ。……僕のことは忘れてもいいって言ったのに、どうして僕の為に死のうとするの?」

「レオンからすべてを奪ったのが私だから。……本当なら、レオンがグランブルグ伯爵家の跡取りなのに、私のせいですべてを失くしてしまった。私はすべてを取り戻して、あなたに返したかった」


 私を見上げながら、レオンが頭を振る。


「そんなこと、僕は望んでないよ。僕が欲しいのはクロードだけだって言ったでしょ。どうして分かってくれないの?」


 レオンが両手を伸ばして、私の首に抱きついてきた。


「クロードが側にいてくれたら、それでいいんだ」


 私の耳元に口づけるレオンの声が涙ぐんでいた。


「一緒にいられたら、それだけで僕は幸せなのに、クロードはそれじゃダメなの? 僕が貴族じゃないと嫌なの?」


 私の首に手を回して抱きつきながら、レオンが私の目を覗き込んできた。


 ……澄んだ青い瞳。真っ直ぐに私を見るこの瞳。


 ……初めは、変わった子だと思った。

 あまりにも美しすぎて、距離が近すぎて、苦手だと思った。

 それでもレオンは、目を逸らさずに真っ直ぐに私に向かって来て、正面からその愛情をぶつけてきた。

 自分の主に恋愛感情なんて有り得ないと思っていた。

 それなのに、レオンは私を惹き付けて離れられなくした。

 今では、レオンを心から愛しいと思っている。


 私は自分に抱きついているレオンの体を抱き上げた。


「……私は、貴族でも主でもない、あなたを好きになったんだ。レオン」

「それなら、僕はこのままでいい。他には何も要らないから、僕を置いていかないで。ずっと側にいて」


 レオンが私の耳元に、頬に、何度も口づけて、そして唇に触れようとする。

 その気配に、私は慌てて顔を背けた。


「ダメだ!」

「どうして?」


 不思議そうにレオンが私を見た。


「……離れたくない。……もっと、ずっと一緒にいたいから」


 急に顔を背けた私に不満そうに、これでもかと言わんばかりに私の頬に口づけていたレオンは、私の言葉に笑い出した。


「それなら、お祖父様にお願いしてみる!」


 ……え?


 戸惑う私をよそに、レオンは空を見上げて声を張り上げた。


「お祖父様! お願いがあるの! 少しの間、僕を守っていて!」


 ……え?


 レオンが何をしているのか、何を言っているのか分からずに、私が呆気に取られていると、先程の金色の霧のような雨がまた降り始めた。


 ……え?


「大丈夫みたい! ねっ、これならいいでしょ?」


 レオンはにこにこと笑いながら、また唇を近づけてきた。


 ……え、ちょっと待って!


「……レオン、ちょっと待って! ……アシュラン様が、いる、の? ……見てる、の?」

「うん」


 うわあ! ちょっと待って! 聞いてない!

 アシュラン様がいるなんて! 見てるなんて!

 今までの全部見られてた? 聞かれてた? ……顔から火が出そうだ。


「どうしたの、クロード?」

「レオンは平気なの? ……その、アシュラン様に、見られても」

「僕は全然気にならない」


 王太后にアシュラン様、それにレオン。

 生まれ育ちの高貴な方と言うのは、こういうことを人に見られても平気なのだろうか。

 それとも気にする私がおかしいのだろうか。


「……私は、ちょっと、見られていると思うと、無理……」

「ええっ、何その乙女みたいな発言は」


 呆れたようにレオンは目を見開いていたが、そのうちニヤニヤ笑いながら私の耳元で甘く囁いた。


「ねえ、もう忘れちゃったの? 僕達、あんなこともこんなこともしたんだよ?」

「今それを言うのはやめて」


 恥じ入る私を見て面白そうに笑いながら、レオンが声を張り上げた。


「お祖父様、クロードがお祖父様に見られると恥ずかしいんだって! 少しの間、目を閉じていて!」


 レオンの声に反応するように、金色の霧雨のきらきら度が増した。

 そのきらきらっぷりに、私は余計にアシュラン様の存在を感じてしまっていた。


 アシュラン様の金色の雨に狼狽える私を見て、レオンが溜息を吐く。

 そして、その手で私の目を閉じさせて視界を塞ぎ、私の耳元に口づけながら囁いた。


「どうして、そんなに周りを気にするの? 僕だけを見ていればいいのに」


 視界を塞がれて何も見えず真っ暗な中で、レオンの声とレオンが私の耳元に口づける音だけが聞こえる。

 そうして、私の視界を塞いだまま、レオンが唇を重ねてきた。


 何度も何度も唇を重ねるレオンに、私は思わずレオンの体を抱きかかえる腕に力が入ってしまった。

 するとレオンは、私の目を覆っていた手をどけて、ゆっくりと開けた私の目を、唇を重ねたまま見つめた。


「僕だけを見て」


 私は堪らずに、両手で抱きかかえていたレオンの体を片手で抱き上げ、もう片手でレオンの後頭部を掴み、深く唇を重ねた。

 私の首にしがみつくレオンの手に力が入る。


 金色の雨の中、私達はずっと唇を重ねていた。

 


 私が口づけるとレオンは変化してしまう。

 だから、これまではレオンに触れる時は、なるべく唇は避けていた。

 それでも幸せだった。


 だから、こんなに長くレオンと口づけるのは初めてだった。

 夢のように幸せな時間。


 口づけの後は、私はいつも一人残されていたから、こんな風に口づけた後もレオンと一緒にいられるのは、不思議で、慣れなくて、それでいて嬉しかった。




 ……例え、そこにアシュラン様がいたとしても。


 

 レオンと激しく口づけた後に我に返って、羞恥に沈む私を、レオンはけらけらと笑っていた。


「慣れなよ」


 王太后と同じ台詞だと思いながらぼんやりとしていると、レオンが私の頭をわしわしと撫でてくる。


「良く出来ました」




 レオンと出会って、私の人生は変わった。


 リリアナ様の護衛に選ばれたあの日、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。

 

 どんなことも、この人となら乗り越えていける。

 助け合い、支え合い、愛し合って。


 共に生きていく。

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