154. 拓かれる道
淡い金色の光の中で、アシュラン様は王太后の背中に手を回して抱きしめながら、王太后の流す涙をずっと唇で拭っていた。
やがて王太后の涙が止まると、アシュラン様は、恥ずかしそうに目を開けてアシュラン様を見つめる王太后の頬を両手で包み、そっと唇を重ねた。
「……もう、わたくしが触れても変化しないの?」
自分の頬を包むアシュラン様の手に触れながら、王太后が心配そうに尋ねた。
悪戯っぽく笑いながらアシュラン様が再び唇を重ねる。
「試してみる? 君が望むなら、いつまでもこうしていよう」
「望むわ!」
王太后がアシュラン様の首に両手を回して抱きついた。
ぎゅうっと力強くしがみつく王太后の体を、愉快そうに笑いながらアシュラン様は抱き上げる。
アシュラン様に抱き上げられた王太后は、しがみついていた両手を緩めて、恥じらうようにアシュラン様を見つめながら唇を重ねてすぐに離した。
すると今度は、アシュラン様がそれを追いかけるように口づけて離し、それをまた王太后が追いかけてと何度もそれを繰り返して、最後には唇を重ねたまま離れなくなった。
長い間唇を重ねていたアシュラン様と王太后はやがて離れ、名残惜しそうにアシュラン様を見つめる王太后の額に、こつんとアシュラン様が自分の額をつけた。
「ナスターシャ、君の最期の時は私が迎えに来る」
「……迎えに来てくれるの? ……本当に?」
額をくっつけたまま嬉しそうに声を上げる王太后を、アシュラン様が愛おしそうに抱きしめた。
「今度こそ、私は君を離さない」
二人を包んでいた金色の光が少しずつ薄くなり、やがて消えた。アシュラン様も。
幸せそうに微笑む王太后を残して。
淡い金色の光が消え、アシュラン様も消えてしまい、一人その場に残された王太后は、しばらくの間ぼんやりとそこに立っていた。
王太后は、光の中でアシュラン様と共にいた時は若い娘の姿だったが、今は年相応の姿に戻っていた。
「ユーリ」
ユーリの手を借りた王太后がゆっくりとこちらへ向かって歩いて来た。
そして、体を屈めてリリアナ様の足元に落ちていた虹色貴石を拾うと、私が抱きかかえているリリアナ様の手を取り、それを握らせた。
ちらりと石が外れて台座だけになった指輪を見て、幸せそうに微笑んだ王太后は私に向かって口を開いた。
「……お前には済まぬことをした。許して欲しい」
私は、レオンにアシュラン様の残したのもすべてを継がせるという王太后の言葉を信じて、納得して自ら死のうとしたのだ。
自分がレオンから奪ってしまったものをすべて取り返してくれるという王太后の申し出は、むしろ私には有難かった。
それに、レオンの護衛とはいえ、私のような平民を王家の薬を使ってまで命を助けてもらったことには感謝しかない。
王太后に謝ってもらうことなど、私には何も無かった。
「何も出来ないまま命が終わるのが、怖くて堪らなかったのだ。だから、こんな強引なことをしてしまった」
申し訳なさそうに私を見る王太后は、先程までとは別人の顔をしていた。
初めて会った時には、皺が顔中に深く刻まれて、険しい表情で、高圧的な態度で私を見下ろしていた王太后は、今は皺はあるが、とても穏やかで満たされた顔をしている。
「……アシュランが迎えに来てくれる。こんなに幸せな気持ちで、その時を待てるとは思わなかった。……お前達のお陰だ。礼をしなければな」
嬉しそうに微笑んだ王太后は、ちらりとユーリを見た。
ユーリは手にしていた何か布のような物を恭しそうに王太后に渡した。
「妾の命は、もうそれほど長くはない。いつまでも守ってやりたいが、そうはいかぬだろう」
王太后は、軽く折りたたまれた黄櫨色の布のような物を広げて私に見せた。
何やら文字のようなものが細かく刺繍されていたが、あまりに装飾的で、しかも目にしたことの無い文字だったので、私には何が書かれているのか、さっぱり理解できなかった。
「書かれていることを理解する必要は無い。これは免罪布だ」
……免罪布? それは、私には初めて耳にする言葉だった。
「一度だけなら、どんな罪も許される。……先の国王陛下が、今際の際に妾に下さったのだ。妾がいなくなった後も、これがあればお前達を守れる。……いつか、レオンの生きる道を拓く助けになるだろう。これを、お前に預ける」
そう言って王太后は、その免罪布を私に渡した。
……どんな罪も許される?
これがあれば、罪を問われること無く、レオンが貴族として生きられる?
私は震えながら、王太后が「レオンの生きる道を拓く助けになる」と言った免罪布を握りしめた。
「愛する者と引き裂かれることがどれほどつらいか、妾は誰よりも知っていたのに、お前達を引き裂こうとした。お前の命を奪おうとしてしまった。許して欲しい。……これは、レティシアでも、レオンでもなく、お前に預ける。必要な時が来たら使え。ただし、使えるのは一度だけだ」
……使えるのは、一度だけ。
心の中で繰り返しながら、私は手にした免罪布を見た。
もしかしたらレオンが再び貴族として生きられるかもしれないという喜びに、私の体は震えていた。
「王太后様、……ありがとうございます、ありがとうございますっ……!」
ユーリの手を借りてゆっくりと立ち上がった王太后は、力強く言った。
「妾が生きている限りは、お前達を守ろう。誰にも手出しはさせぬ。王命のことも、グランブルグ伯爵のことも心配は要らない」
王太后は、王命を撤回させ、旦那様に一切の咎めが無いよう取り計らってくれると約束してくれた。
リリアナ様にも、レオンにも今後は手出しはさせないと言ってくれた。
王太后のすべての言葉が有難く、感謝しかなかった。
「……ああ、そうだ。私が死んだら、ユーリをレオンの影につけるから」
…………え?
さらりと言い放った王太后の言葉に驚いて、私がぽかんとしていると、王太后が呆れたように笑う。
「レオンの為の影なのだから当然だろう。……そんな嫌そうな顔をするな。ユーリは役に立つぞ。怪我をしたお前の手当てをして助けたのはユーリだから、お前が一番分かっているはずだろう?」
……確かに、ユーリがいなければ私は、水死か焼死か、蜂の巣か微塵切りだっただろう。
医術の心得があり毒も使えるというユーリが、有能なのはよおく分かっている。
だが、問題なのはそこではない。
「何だ、その不満そうな顔は? ……ああ、そうか。その、何だ、そういう時には気を利かせるようにユーリには言っておくから、気にせずとも良い」
私の微妙な表情を読んだ王太后は、さも大したことでは無いと言うように軽くあしらい言い放つ。
王太后やアシュラン様のような、人にかしづかれるのが当たり前の高貴な方には、些細なことかもしれないが、……平民の私にはなかなか難しい。
既にユーリに、あんなこともこんなことも見られてしまっているかと思うと、恥ずかしいやら気まずいやら。
そのユーリが、今後は常にレオンについているとは……。
あんなこともこんなことも、今後は出来なくなる?
それとも、あんなこともこんなことも、今後はユーリに見られて?
……無理無理無理無理無理!
「慣れろ」
高らかに笑いながら王太后はユーリを連れて去っていった。
※ 8月4日付け活動報告に、154話の「補足」があります。




