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152. 待ち望んだ子

 わたくしはアシュランの子が欲しかった。


 アシュランを戦で失い、独り残されるのが怖かったから。

 そして出来るならば、わたくしの子とアシュランの子を添わせたかった。


 けれど、アシュランの娘レティシアが生まれた時には、既に王太子は婚姻同盟を結んで他国から正妃を迎えていた。

 アシュランの娘をまさか側妃にする訳にはいかないし、しかも王太子とレティシアはあまりにも年が離れすぎていた。


 わたくしは密かに孫に望みを繋ぎ、その時をひたすら待っていた。


 やがて王太孫が生まれ、二人目の王子も生まれ、その数年後にアシュランの娘レティシアがリリアナと言う名前の女の子を産んだと知った。

 わたくしは歓喜した。

 二人の王子のうち、どちらかとリリアナを添わせよう。

 やっと、わたくしの願いが叶う。




 ある日、たまには実家にも顔を見せて欲しいと弟のオレグに乞われて、数年ぶりに領地に里帰りした。


 お父様亡き後、伯爵位を継いだオレグは、言い訳ばかりで戦に出ることもなく、かと言って他に何か功績をあげる訳でもなく、ただ王妃の外戚としての威光にすがるばかりだった。


 そんな情けない弟に呆れながらも、久しぶりの実家をのんびりと散歩していると、裏庭で三人の甥達が一人の使用人の子らしき男の子を虐めていた。


 わざわざ呼んでおきながら、この醜態は何事かと呆れかえっているわたくしの前に義妹が飛んできて平伏する。


「お、王妃様、このようなお見苦しい所をお見せして申し訳ございませんっ。お前達、王妃様にご挨拶をして、すぐに下がりなさいっ」


 三人がかりで一人を殴る蹴るとは情けないと、半ばうんざりした気持ちでオレグの息子達を追い払ったわたくしは、ふと気づいた。

 虐められていた使用人の子の髪が、薄い紫色だったのだ。


 紫の髪はマカロフ家の血を引く証。

 例え色が薄くとも、紫ということは、この子はマカロフ家の血を引いているのか?


 問い質すようなわたくしの視線に気づいた義妹が、気まずそうに小さな声で答える。


「……その子は、夫が使用人に産ませた子でして」


 嫡子が三人もいるのに庶子は要らぬと、名前すら与えずに捨て置いているのだとか。

 ……同腹の弟ながら、その下衆っぷりに怒りを覚えずにはいられなかった。


 怒りに震えるわたくしの様子に震えあがった義妹が、オレグを呼んで来ると言って逃げるように去り、そこには名も無い甥とわたくしの二人が残された。


 異腹の兄達に殴られ蹴られて、その子は痣だらけだった。

 薄汚れた衣服に、まともな食事すら与えられていないのか、瘦せこけた体。


「……あ……」


 地面に横たわり、虚ろな目で、すがるようにその子はわたくしに手を伸ばした。


 父には名を与えられないまま捨てられ、異母兄達には虐げられ、誰も助けてくれない。

 

 その子を見ていると、昔の自分を思い出した。

 アシュランと引き離され、部屋に閉じ込められた。

 毎日罵られ、辱められ、鞭で打たれた。

 誰も助けてくれなかった。


「お前が、わたくしの影になるなら、ここから出してあげる」


 その子は差し出したわたくしの手を掴んだ。


 わたくしはその子を城に連れ帰り、ユーリと名付けて、自分の影にするべく育てた。

 アシュランの孫であるリリアナを守る為の影が、いずれ必要になる。


 剣術や武術だけでなく、医術も学ばせた。

 必要と思われることはすべて身につけさせた。

 すべてはアシュランの孫のリリアナを守り、二人の王子のどちらかと添わせるため。



 そんなある日、グランブルグ家に潜り込ませていた密偵から報告があった。

 アシュランの孫のリリアナが行方不明になったと。


 その時の絶望感は今でも忘れられない。

 わたくしのたった一つの希望が失われてしまった。

 リリアナを守るつもりで影を育てたのに間に合わなかった。

 どうしていつもすべてが後手に回り、上手くいかないのか。



「レオンという名の男の子がいる」


 しばらくして密偵から、そんな報告があった。

 ……リリアナが消えて、入れ替わるようにレオンが現れた?


 わたくしは遥か昔、あの土砂降りの雨の中見た不思議な光景をふと思い出した。


 あの日アシュランは、体から白い霞のようなものが現れて、女性に変化した。

 もしや、あの不思議な変化が、孫にも受け継がれているのでは?


 リリアナはアシュランに似て、とても美しい子だという。

 それなら、そのレオンという子は、もしかしたらリリアナよりもアシュランに似ているかもしれない。


 ……そのレオンという男の子に会ってみたい。

 そして、そのレオンがリリアナなら、本当にアシュランの孫なら、ラリサと添わせたい。


 リリアナが生まれた翌年に、ラリサは生まれた。

 髪の色こそ違うが、ラリサは幼い頃のわたくしによく似ていた。

 リリアナは女の子だとばかり思っていたが、レオンに変化するのであれば、レオンがアシュランに似ているのであれば、リリアナよりむしろレオンが欲しい。


 わたくしはどうにかしてレオンを手に入れようとしたが、グランブルグ伯爵はリリアナを溺愛し屋敷から出さなかった。

 アシュランの手前、無理に手出しをすることも出来ず、時を待つしかなかった。


 

 そして、アシュランが死んだ。


 ひたすら国を守り、国に捧げた生涯だった。

 何度も協定を破って攻め込んできた隣国を、彼は最後には降伏させた。

 そして莫大な賠償金と新たな領土が、我が国にもたらされた。


 新たな領土はすべてオーランド領に隣接していた為、そのままオーランド領に組み込まれ、アシュランは褒賞金を使って灌漑設備を敷き、荒れ地だったその土地を開拓した。


 沈殿池や下水渠まで作り、石畳を敷いて美しく作り替えられた街には他国からも大勢の商人が集まり、オーランド領は国で一番豊かな領地と言われ、その税収は国庫を潤した。


 そのオーランド領を、アシュランは手放した。

 爵位を返上し、領地を国に献上するという遺志だった。


 わたくしは、「どうかすべてをアシュランの子レティシアに、そしていずれはその孫に継がせて欲しい」と陛下に頼みこんだ。

 

「……さすがに私も、彼からこんな根こそぎすべてを奪うような真似は出来ない」


 陛下はそう言って、アシュランの子レティシアにすべてを預けることを許した。

 わたくしは、アシュランが作り上げた豊かなオーランド領を、いつかレオンに継がせたかった。


 アシュランは、わたくしにレティシアとレオンを残してくれた。

 わたくしは二人を守り、レオンとラリサの幸せを見届けてから、アシュランの元へ行くつもりだった。




 数年後、陛下が世を去り、王太子が即位して、わたくしは王太后になった。


 第二王子のエリオットが、いつの間にかグランブルグ家に出入りするようになっていた。

 毎日のようにリリアナに会いにグランブルグ家を訪ねるエリオットは微笑ましいが、わたくしはまだレオンを諦めてはいなかった。


 どうにかしてリリアナをレオンに変化させて、レオンを手に入れたい。

 影となったユーリに様子を伺わせながら、ひたすら時を待った。


 そして、レオンは現れた。


 ギリエル男爵の娘アンリエッタに襲われ川に流されて、レオンに変化したとユーリから報告があった。


 アシュランの孫に害を為すものは許さない。


 ユーリに命じてアンリエッタをリリアナと同じ目に遭わせて、ラリサをレオンと出会わせた。エリオットには可哀想だが、それでもわたくしはレオンが欲しい。


 ユーリをレオンとリリアナにつけて密かに守らせていると、クロードという平民の護衛が、身を挺して主を守っていると報告してきた。

 どうやらレオンと恋仲であるらしい。

 主に惚れているのなら命懸けで守るだろうし、そのうち使い道もあるかもしれん、手を貸してやれとユーリに命じた。 


 そのうちユーリが面白いことを報告してきた。

 何とレオンは護衛との口づけでリリアナに変化するのだとか。


 かつてアシュランはわたくしとの口づけで変化した。

 レオンも、よりにもよって愛する者との口づけで変化するのか。 

 わたくしはレオンに俄然興味が湧いた。

 ……レオンに会ってみたい。


 オーランド領を訪れているというレオンに、わたくしは密かに会いに行った。


 一目で分かった。

 柔らかい蜂蜜色の髪に、澄んだ青い瞳。

 レオンはアシュランに生き写しだった。

 あの林檎の木の下で初めて出会った時のアシュランと同じ顔で、わたくしに話しかけてきた。


『あなたを待っていた気がする』

『とても懐かしくて、大切な人』

『会えて嬉しい』


 そう言ってレオンはわたくしの頬に口づけた。

 どれほど長い間、わたくしがあなたを待っていたか。


 レオンが欲しい。この子は絶対に誰にも渡さない。


 急がねばならない。

 わたくしは年老いて、床に臥せることが増えていた。

 命のあるうちに、レオンをラリサと添わせたい。


 その為には、リリアナをレオンに変化させたうえで、二度とレオンがリリアナに戻ることの無いようにしなければならない。

 ……レオンと恋仲だという護衛が邪魔だった。

 護衛との口づけでレオンが変化するのなら、その護衛を始末せねばならない。


 わたくしが護衛を始末して、二度とリリアナに戻れないようにした上でラリサと添わせるつもりでいたのに、国王陛下が勝手にエリオットとリリアナの結婚を決めて王命を出した。


 ……馬鹿な子! 母の心を知らずに、本当に余計なことばかりする!


 その愚かな王命のせいでリリアナが逃げて、またもやギリエル男爵に襲われた。

 性懲りもなく何度もリリアナの命を狙ってきたギリエル男爵を、わたくしはユーリに命じて消した。


 さて、ここからどう王命を撤回させて、リリアナを連れ戻し、レオンを手に入れようかとわたくしが思案していると、またもや陛下が余計な真似をしでかした。

 

 王命に逆らってリリアナを逃がしたグランブルグ伯爵に激怒して、陛下が屋敷を兵で取り囲んだと知り、わたくしは卒倒しそうになった。


 自分がかつて軍事境界線を越えて敵に掴まったのを、アシュランに命懸けで助けてもらったのを忘れたのか。

 そのアシュランの娘のレティシアを殺す気か。


 激怒し罵倒するわたくしに、陛下が泣いてすがった。


「母上はリリアナにご執心と聞きました。すべては母上を思ってしたことです」


 ……リリアナではない! レオンだ!


 ここまで騒ぎを大きくした馬鹿な息子には愛想を尽かしたが、エリオットがリリアナを迎えに行ったと聞き、そのまま離宮に連れて来させることにした。


 もはや時間がない。


 屋敷に連れ帰らせては、もう二度とレオンを手に入れる機会はない。

 レオンと恋仲だという護衛も一緒なら、なおさら都合がいい。

 護衛を始末してしまえば、もう二度とリリアナに戻ることは無い。

 一生、レオンとして生きられる。ラリサと共に。




「お前がいるからレオンは変化する。レオンにとってお前は邪魔なのだ。だから、お前は死ね」


 ユーリが、レオンと護衛が恋仲だと言っていたが、どうやら本当らしい。


 この護衛はレオンの為に喜んで自分の命を差し出そうとしている。

 腰に付けた剣を抜き、自分の首に当てていた。

 

 そうだ、そのまま刃を引け。

 そうしたら、わたくしはレオンに会える。

 わたくしの夢が叶う。


 やっと。



「……クロード! 嫌だ! やめてぇ!」



 突然現れた強い光に目が眩んでよろけたわたくしを、ユーリが支える。


 ……目が、見えない、何だ、この光は?


 そのまま目が開けられずにぼんやりと立っていると、不意にわたくしの体を支えるユーリの手に力が入った。


 何事かと薄目を開けて見ると、目の前に淡い金色の光のようなものがあり、その中に若い男が立ってこちらを見ていた。


 どれだけ月日が経っても、忘れられるはずがない。


 あの柔らかな蜂蜜色の髪、澄んだ青い瞳。


「……アシュラン」



 こんなにも年老いて皺だらけになってしまったわたくしとは違って、アシュランは若く美しいままだった。

 懐かしいその姿に、自分の弱った体のことも忘れて、わたくしは思わず駆け出してしまいそうになり、ユーリの手に引き留められた。



「……ナスターシャ」


 目の前にいるアシュランの目は、まるでわたくしを咎めるように怒っていた。


 わたくしは、自分がこれまでにしでかしたことを思い出して震えあがった。

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