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150. 決別

 泣き疲れて放心状態のわたくしに、アシュランが口を開いた。


「ナスターシャ、私の気持ちは今も変わらない。君を愛している」

「……本当に?」

「生涯、私が愛するのは君だけだ」

「それならっ!」


 一緒に逃げて欲しいとすがるように見るわたくしに、アシュランは首を振った。


「でも、もうあの頃には戻れない。ナスターシャ、私達の恋は終わったんだ」

  

 アシュランの口から出た信じられない言葉に、わたくしは目を見開いたまま固まってしまった。

 ……わたくし達の、恋が、終わった?


「終わってなんかない! 終わっていないわ! わたくしもあなたを愛しているもの!」


 わたくしはアシュランの胸にすがりついた。


「一緒に逃げて! わたくしを愛しているなら連れて逃げて! お願い!」


 胸にすがりつくわたくしの手を取り、アシュランはわたくしの顔を見る。


「君は、生まれたばかりの子を残して行けるのか?」


 ……王太孫。生まれたばかりの、わたくしの子。

 産んですぐに引き離されて、この手に抱いたこともない、わたくしの子。

 務めを果たせと鞭で打たれて、無理やり産まされた、わたくしの子。


「……無理やり、産まされただけよ。……母は、わたくしでなくとも良かった」


 澄んだ目で真っ直ぐにわたくしを見るアシュランに、どこか後ろめたさを感じたわたくしは俯いて唇を噛んだ。

 そんなわたくしを責めることも問い詰めることもせずに、アシュランは言葉を続けた。


「私は明日、また前線へ行く」


 前線という言葉に驚いて顔を上げたわたくしの頬を、アシュランの両手が包む。


「ナスターシャ、私達の恋は叶わなかったけれど、私は生涯をかけて君と君の子を守る。必ずこの戦を終わらせて、君と君の子に平和な世を贈ると約束する。……だから君は、私のことは忘れて自分の人生を生きるんだ」


 それは、アシュランからの決別の言葉だった。


「……どう、して? ……嫌よ、嫌よ! 絶対に嫌!」

「ナスターシャ!」


 わたくしの頬を包むアシュランの手を握りながら、わたくしは叫んでいた。


「どうしてそんなことを言うの! アシュラン、酷いわ! わたくしの気持ちを知っているくせに!」


 アシュランに捨てられて、またあの城に連れ戻される。

 毎日罵られて、鞭で打たれて、誰も助けてくれない。

 これから先も一生、わたくしに独りであの城の中で生きていけというの。


 もう耐えられない!





 …………何かが、わたくしの中でぷつっと音を立てて切れた。



 心配そうにわたくしの顔を覗き込むアシュランの顔にわたくしは掌を当てた。


「……だったら、……あなたの子をわたくしにちょうだい」

「ナスターシャ? 何を言っている?」


 怪訝そうな顔でアシュランがわたくしを見る。


「……あなたがわたくしを捨てるなら、あなたの子をわたくしにくれてもいいでしょう?」

「私の子? ……私に、君以外の女性を愛せと言うのか?」


 険しい顔で、声を絞り出すようにアシュランが言う。

 そのアシュランの言葉に、わたくしは思わず笑いだしてしまった。


「愛なんか要らないわ。そんなもの無くても子は出来る。わたくしを見れば分かるでしょう?」


 けらけらと笑うわたくしを、アシュランは唖然として見ていた。


「わたくし達の恋が終わりだと、あなたがわたくしを捨てるなら、わたくし達の子に続きをさせるわ。そうすれば、わたくし達の恋も報われる」

「ナスターシャ? 何を言っているんだ? しっかりしなさい」

「あなたがわたくしを捨てるからよ! わたくしがあなた無しでは生きていけないと知っているくせに! あなたは酷い!」

「ナスターシャ!」


 泣き叫ぶわたくしの腕を掴み、アシュランがわたくしの名を呼ぶ。


「……愛しているなら、わたくしを攫ってよ……見捨てないで……」


 アシュランは唇を噛んで、黙ってわたくしを見つめていた。

 わたくしはそんなアシュランを虚ろなまま、ただ見ていた。





「こんな所で何やってるんだよ! いつまでも未練がましいったら、まったく」


 突然の背後からの声に驚いて振り返ると、そこには弟のオレグと婆やが立っていた。


「姉さんが城から消えたって婆やが血相変えて帰って来てさ。困るんだよね、こんな夜中に引っ張り出されて。こっちの迷惑も考えてくれよ」


 忌々しそうに舌打ちをしながらオレグはこちらへ歩いて来た。

 

 連れ戻しに来たのだと身を固くするわたくしを、オレグは力づくでアシュランの腕から奪い取ると、腹立たし気にわたくしの背中を叩いて婆やに渡した。


「痛いっ!」


 アシュランがくれた回復薬のお陰で、王妃様に鞭で打たれた痛みは和らいでいたが、それでも強く叩かれれば痛む。


「何をするっ!」


 アシュランが、わたくしの背中を叩いたオレグの手を掴み、首の後ろを押さえた状態でその手を捻り上げた。

 アシュランに組み敷かれたオレグが情けない声を上げる。


「お、お前こそ何するんだよっ⁉ 俺は王太子妃様の弟だぞ? 王太孫様の外叔だぞ?

 その俺にこんなことをしてただで済むと思っているのか!」

「例え弟であっても、王太子妃殿下には臣下の礼をとらねばならないことを忘れたのか? 王太子妃殿下に対する非礼はこの私が許さない」


 普段とても穏やかなアシュランが、厳しい顔でオレグの腕を更に捻り上げる。


「何言ってるんだよ、こいつ! 姉さん、黙って見ていないで助けてくれよ! こいつに思い知らせてやってよ! 王太子妃様だろ!」

「そうですよ、ナスターシャ様! 早くオレグ様をお助け下さいませ! このしつこい男にナスターシャ様との立場の違いを分からせてやって下さいませ!」


 婆やが急かすようにわたくしの体を揺らす。


 さも当たり前のように、わたくしがアシュランを咎めることを待っているオレグと婆やの顔を半ば呆れながら見たわたくしは、おもむろに口を開いた。


「黙りなさい。アシュランに対する無礼はこのわたくしが許さないわ。……そういえば、オレグ、あなたの爵位は何だったかしらね?」


 わたくしの言葉に、はっとしたオレグが悔しそうに黙り込んだ。

 マカロフ家はオーランド家とは違い、保有している爵位は一つだけ。

 つまり、お父様が存命なうちは、どれだけ偉そうにしていようがオレグは無位。

 既に伯爵位を継いでいるアシュランとは身分が違うのだ。


「オレグ、婆や。立場を弁えなければならないのはお前達でしょう?」


 アシュランがオレグの腕を放すと、オレグと婆やが戸惑うように顔を見合わせて、そして渋々ながらも後ろに下がり、アシュランの方へ体の向きを変えて跪いた。


 そんな二人を無言で見下ろしたアシュランは、わたくしに向き直りゆっくりと跪いた。


「アシュラン・オーランド、王太子妃殿下に心からの忠誠を誓います」


 アシュラン。

 あなたに、わたくしに跪いて欲しくなんかなかった。


 自分の前に跪くアシュランを、わたくしは胸が張り裂けそうな思いで見ていた。


 この柔らかい髪に何度指を通したことだろう。

 この大きな手に何度自分の手を重ねたことだろう。


 あんなに会いたかったあなたが今、目の前にいるのに、手を伸ばせば届くのに、いつの間にかわたくし達はこんなにも隔たってしまっていた。



『もう、あの頃には戻れない』


 ……戻れると、本気で信じていたわたくしは何も知らない子供だった。

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