146. 「君は可愛い」
結婚の儀は滞りなく済み、わたくしは正式に王太子妃になった。
アシュランが出陣したという報告で気分が悪くなったわたくしは、儀式の最中の記憶がほとんどなかった。
分かっているのは、王妃様が仰っていたセルヴィナからの援軍が来ないということ。
ガガリアの背後にある大国セルヴィナと同盟を結び、いざ戦が始まったらガガリアを挟み撃ちにするはずが、ここ数年続いた飢饉で国力が落ちた上に反乱まで頻発している状態ではとても援軍は送れないと、王妃様の兄にあたるセルヴィナ国王から親書が届いたらしい。
ガガリアはそのセルヴィナの実状を知っていて援軍が来ないと見越した上で、国の慶事を狙って攻めて来ていた。
大国との同盟の上に胡坐を組んで偵察を疎かにした結果がこれで、騙されたなどと今更騒いでいる貴族たちが滑稽に思えた。
しかも情けないことに、大国セルヴィナを頼みに軍備を怠り、すぐには中央から軍を出せないのだとか。
……アシュランは国の為に戦っているのに、最前線にいる彼をこの人たちは見殺しにするのか。
悔しくて、情けなくて、悲しくて、何も出来ない自分が腹立たしかった。
夜になり、結婚の儀を終えて夫婦となったわたくしと王太子様は、女官たちにかしづかれて寝室に通されたが、わたくしはとてもそんな気にはなれなかった。
アシュランが戦地に行っているというのに、彼の安否が分からないのに、そんな気になれない。
彼にもしものことがあったらと思うと、気分が悪くなって吐き気がする。
気が塞いで俯いているわたくしに、王太子様が気遣いながら声をかけてくる。
「儀式の最中からずっと体調が良くないようだけれど、大丈夫? 水でも飲む?」
穏やかそうな、優しそうなその目に少しほっとしながら、わたくしは返事をする。
「殿下にお気を遣わせてしまって、申し訳ございません」
「私達はもう夫婦になったのだから、そんな他人行儀な言い方はよしてくれないか」
わたくしを寝台に腰かけさせて、水差しからコップに水を注いだ王太子様が、そっとわたくしに手渡す。
一口二口と水を飲むわたくしを見ながら、王太子様がぽつりと零した。
「……私はね、あなたをアシュランに渡したくなかったんだ。……彼が王都で指輪を作らせたと聞いて、絶対にあなたを渡すまいと、母上にお願いして王命を出して頂いて、婚儀も早めた」
わたくしが水を飲み終わったのを見て、王太子様がわたくしの手からコップを取りテーブルの上に置いた。
「……やっと、あなたを私だけのものに出来る。夢みたいだ。……これからは、アシュランではなく、私があなたを守る。あなたを大切にするから」
そう言うと、王太子様はわたくしの横に腰かけて、わたくしの肩に手を回して顔を近づけてきた。
「……あ、あの、殿下。……あの、わたくし、今夜は、気分が優れなくて、……その、申し訳ございませんが、今夜は……お許し頂けませんか?」
わたくしがすがるように王太子様を見ると、王太子様は明らかに困惑した表情をして言葉を探していた。
「……殿下?」
「……え、あ、ああ。……あなたが、そう言うのなら、仕方ないね」
王太子様がわたくしの肩に回した手を降ろし、わたくしがほっと安心していると、いきなり寝室のドアが開いて、王妃様が数人の女官と共に入って来た。
わたくしが慌てて腰かけていた寝台から降りて、王妃様の前に跪いていると、王妃様が王太子様とわたくしを見ながら顎で何かを促すような仕草をした。
「……何をしている。さっさと始めぬか」
その意図の分からないわたくしがそのまま跪いていると、王太子様が慌てて王妃様の前に出てきて、釈明するように話しだした。
「……あの、母上。ナスターシャは体調が優れぬのです。ですから、今夜は……」
王太子様がまだ言い終えぬうちに、王妃様が跪いているわたくしの頬を平手で打つ。
いきなり頬を平手打ちされて床に倒れてしまったわたくしは、何が起きたのか分からずに唖然としていた。
すると、王妃様が床に倒れているわたくしのドレスを足で踏みつけた。
「お前は、何か思い違いをしているようだ」
冷たい声。見下すような目。
わたくしは思わず床に倒れたまま逃げるように後ずさってしまった。
「お前のような身分の低い醜い女を王太子妃にしてやったというのに、その恩を仇で返す気か。身の程知らずが」
……お前のような、醜い、女……。
『君は可愛い。君が一番可愛い』
訳の分からぬまま自分に投げつけられた酷い言葉に衝撃を受けながら、わたくしはアシュランが何度も囁きかけてくれた言葉を思い出していた。
「たかが伯爵の娘ごときが、何様のつもりだ」
王妃様は、わたくしのドレスを足で踏みつけて動けないようにした上で、わたくしの髪を鷲掴みにする。
「……痛いっ!」
「汚い色だ、汚らわしい。顔だけでなく髪まで醜いとはな」
『そのままの君が大好きだ。ずっとそのままで、変わらずにいて』
アシュランの声が頭の中でこだまする。
泣くまいと思っていても、自然と涙が溢れてくる。
「やめろ。醜い女が泣くのは見るに堪えぬ」
『君の泣き顔はとっても可愛い。幸せだ』
涙でぐちゃぐちゃになった顔すら可愛いと言ってアシュランは抱きしめてくれた。
そのアシュランは、もういない。
わたくしは彼と引き離されて、無理やり王太子妃にされてしまった。
冷たい目でわたくしを見下ろす王妃様に震えながら、わたくしは必死にアシュランの言葉を支えに堪えていた。
「ええい、目障りな。お前達!」
苛立たしそうに声を上げた王妃様の後ろに控えていた女官たちが、一斉にわたくしの元に来て、わたくしの着ているドレスに手をかけた。
「何をするのっ⁉」
抵抗も虚しく、わたくしは王妃様の面前で女官たちに一糸まとわぬ姿にされ、そして寝台に投げ入れられた。
あまりの恥ずかしさに、わたくしはアッパーシーツを引っ張り体を隠した。
……何をするの? 何なの、この人たちは?
困ったような顔をして事の次第を見ている王太子様に、わたくしは必死に声を投げた。
「殿下! お助け下さい!」
「……無理だよ、……母上に逆らえるわけがない」
「ですが、先程、わたくしを守って下さると仰ったではありませんか!」
頭を掻きながら王太子様がこちらへやってきて、寝台に腰かけた。
「母上はこういう方なんだ。君もそのうち慣れると思うから、ちょっとだけ我慢してよ」
……何を言っているの、この人は?
「さっさと始めぬか。いつまで待たせる気だ」
王妃様のその言葉に急かされるように王太子様が服を脱ぎ始めた。
……何をする気なの、この人は?
服を脱ぎ終えた王太子様は、怯えて震えるわたくしからシーツを奪い取った。
「……やめて、来ないで! 嫌よ! 触らないで!」
「諦めなよ。終わらないと、母上はいつまでも出て行かないよ」
「あなたはおかしいわ!」
「君もすぐ慣れるよ」
そう言うと、王太子様はわたくしの上に覆いかぶさった。
王妃様や女官たちの目の前で。
……アシュラン!