142. 駒
それから、アシュランはお父様に結婚の許しを貰いに来ると約束してくれた。
お父様のお許しを頂いて、来年アシュランがオーランド侯爵家が有する爵位の一つである伯爵位を継いだら、すぐに結婚しようと話してくれた。
アシュランがわたくしのために準備してくれた虹色貴石の指輪は、あまりに高価すぎて指につける勇気が無くて、金鎖を通して首から下げることにした。
そんなわたくしをアシュランは笑っていたけれど、これはわたくしとアシュランだけの秘密だからいいの。
お父様から結婚のお許しを頂くまでは、二人だけの秘密。
時折胸に手を当てては指輪を確認して、わたくしは幸せに浸っていた。
「アシュランは、いつお父様にお願いしてくれるのかしら。いつ訪ねてくるのかしら」
きっとお父様もびっくりするに違いないわ。
わたくしが結婚なんて、婆やも驚かせてしまうわね。
わたくしが、皆がどんな顔をして驚くか想像して楽しんでいると、妙に上機嫌なお父様がわたくしの部屋に来た。
……お父様がわざわざわたくしの部屋に来るなんて珍しい。
紅潮した顔のお父様は、わたくしを見るなり大声を上げた。
「ナスターシャ! 喜べ! お前の結婚が決まったぞ!」
……え、もう? アシュラン、いつの間に訪ねてきたの?
アシュランと約束したけれど、あまりに早い展開に驚いているわたくしに、お父様が言葉を続ける。
「でかした、ナスターシャ! さすがは儂の娘だ! よくやった!」
「……お父様に、そこまで喜んで頂けてわたくしも嬉しいです」
「我が子が将来の王妃になるというのに、喜ばぬ親などいるわけない! いやあ、めでたい!」
……王妃? お父様は何のお話をしているの?
「あの、お父様、オーランド家は侯爵位では? わたくしは将来の侯爵夫人になるのですよね?」
「は? 何を寝惚けておるのだ、お前は? 王太子妃が侯爵夫人になどなれるわけがないだろう」
「王太子妃? どなたがなられるのですか?」
呆れた顔のお父様がわたくしを見るが、わたくしはお父様のお話がさっぱり分からない。さっきからお父様は何のお話をしているの?
「お前が王太子妃になるのだ、ナスターシャ。王命でな」
……わたくしが、王太子妃? 王命?
「先日のパーティで王太子様がお前を見染めてな。是非にと王妃様に泣きついたそうだ。最初は王妃様も渋ったらしいが、王太子様がお前でなくては嫌だとごねたらしい。最後は息子可愛さに王妃様が陛下にお願いして王命が下されたのだ」
……先日のパーティ? まさか、あのもじもじした少年が、王太子様?
わたくしを見染めた? 何故? 好かれるようなことなど何もしていないわ。
……それじゃ、アシュランは?
お父様に結婚の許しを頂くと言っていたアシュランはどうなったの?
上機嫌で笑うお父様に、わたくしはアシュランのことを尋ねてみた。
「あの、お父様? オーランド家の方から何かお話がございませんでした?」
「うん? ああ、何やら面会依頼の使者が来ていたようだが、儂は忙しい。あんな若造に構っている暇など無いわ」
「そんなっ!」
わたくしはアシュランの妻になるのに、約束したのに、王太子妃?
聞いていないわ、そんなこと! 勝手に決めないで!
娘の一生の大事を何故、わたくしに何の相談もなく勝手に決めてしまうのか、わたくしはお父様に対して憤りを感じていた。
「お父様、わたくしは王太子妃になどなりません。お断わりして下さいませ」
「何いっ⁉」
くわっと目を見開いたお父様が、つかつかとわたくしの方へ歩いてきたかと思うと、いきなり手を振り上げてわたくしの頬を殴った。
大きな音が部屋に響き渡り、わたくしはその衝撃で床に倒れてしまった。
「生意気を言うな! 娘など儂の駒にすぎん! お前の意志など必要ない! 私に逆らうことは許さん!」
怒りの治まらないお父様は、そのままわたくしの机の上に置いてあった花瓶や本などをなぎ倒し蹴り飛ばして部屋を出て行った。
そして、婆やにわたくしを絶対に外に出さないよう厳命し、部屋のドアの前には見張りまでつけられてしまった。
……こんなことじゃ、諦めないわ。
わたくしはアシュランの妻になるのよ。アシュランと約束したもの。
お父様が何と言おうと、王太子妃になんか絶対にならないわ。
わたくしはアシュランから貰った虹色貴石の指輪を握りしめた。