14. 天国の餌付け
レオン様と違ってリリアナ様は馬に乗れるので、ここからなら数刻程で屋敷に帰りつけるだろう。
ここに至るまで長かったが、やっと先が見えてほっとしたところで、今更ながらリリアナ様の朝食がまだだったことを思い出す。
数刻も馬で移動せねばならないのに、私としたことが食事を忘れるとは。
私が階下で何か食べるものを頼もうと部屋を出ると、背後でリリアナ様の小さな悲鳴が聞こえた。
「……きゃっ」
私の後を追って部屋を出ようとして、閉まりかけたドアで左手を挟んでしまったらしい。リリアナ様の白く細い指が、赤みを帯びていた。
「……急にいなくならないで。一人じゃ心細いの」
痛みに目を潤ませながら、リリアナ様が訴えてくる。
……必ずお守りすると誓ったばかりなのに、私は一体何をしているのだ。
何と情けない護衛だろう。
自己嫌悪に陥りながら、リリアナ様を連れて部屋へ戻り、今度はリリアナ様が心配しないよう説明してから部屋を出る。
「手を冷やすための氷を貰ってきますね。それと食事の用意を頼んできます。すぐに戻りますから、ここで待っていてください」
部屋に朝食の準備をしてもらったは良いが、さて、どうしたものか。
リリアナ様の左手は氷で冷やしていて、使えない。
右手だけで食べるのはさすがに行儀が良くないし、私は戸惑いながらリリアナ様と顔を見合わせた。
「……私はいいわ。お腹が空いていないから、クロードが全部食べてちょうだい」
……きゅるる。
可愛らしい音が部屋に響く。
「きゃあっ」
リリアナ様が恥ずかしそうにお腹を押さえて下を向いた。
……お腹は空いているのだろうな。
左手だけで食べるわけにもいかないから、要らないと言っただけで。
私は、テーブルの上に置かれた二人分のパンとスープを見た。
……償いは必ずすると誓ったはずだ。命を懸けてお守りすると。
それなら、主の手足になるくらいどうってことないはず。
「……あの、お嬢様。……もし、お嫌でなければ、私が、お手伝いします」
意図が分からずにきょとんっと私を見るリリアナ様の椅子の斜めに、自分の椅子を置き、私はそこに座った。
テーブルの上に置かれたパンを手に取って一口大にちぎり、このままでは固いのでスープに浸して柔らかくし、それをスプーンですくって、リリアナ様の前に差し出す。
「どうぞ」
私の意図が通じたのか、リリアナ様は目を見開き、みるみるうちに顔が真っ赤になる。
「……えっ、え、でも、クロード…」
「お嫌ですか? お嬢様がお嫌ならやめます」
「……嫌じゃないわっ」
可愛らしい小さな口を開けて、ぱくっと私の差し出すパンを食べたリリアナ様は、目を閉じてまるで幸せを噛み締めるように浸っている。
……そんなに美味しい物では無いと思うのだが。
屋敷で出される食事とは比べ物にならない質素な物なのだが、リリアナ様のような、普段とても高価で手の込んだ物を召し上がっている方には、珍しさで美味しく感じるのだろうか?
そんなことを考えていたら、リリアナ様がまるで親鳥を見る雛鳥のような目で私を見て、次を催促していることに気づき、私は慌てて次を差し出した。
リリアナ様は一口食べる毎に目を閉じて、恍惚に浸っている。
そして、まるで夢見るようにうっとりと私を見て、次を催促するのだ。
その様子を見ていると、この宿の食事はそれほどに美味しいのかと自分も味わってみたいのだが、まさか主のリリアナ様の食事を中断して私が食べる訳にもいかないし、とりあえずリリアナ様が食べ終えるまでは我慢、我慢と私は自分に言い聞かせた。
……リリアナ様が食事を終えるまでは、と思っていた。
……が、しかし、この食事はいつ終わるのだ?
リリアナ様が自分の分のパンを食べ終えてもまだうっとりしているので、私の分も差し出し、それでもまだ飽きないようなので、宿の主に急ぎ頼み、二人分を追加して持って来てもらったが、それでもまだ終わらない。
更に追加を頼むが止まらず、とうとうあるだけ全部持って来てもらい、それを食べきり、やっと止まった。
……目を疑うような食べっぷりに言葉も出ない。
レオン様と言い、この細い体のどこにこれだけの量が入るのだ?
リリアナ様は普段はとても小食で、マリアがもっと食べて欲しいと乞うほどだった。
もしや、変化と言うのはとても体力を消耗して空腹になるものなのか?
お腹いっぱいになったのか、ぽうっと夢見心地の表情のリリアナ様がぽつりと零す。
「……幸せ過ぎて胸がいっぱい」
……ここの食事は、そんなに美味しかったのか。
せめて一口でも味見しておけば良かった。……食べ損ねた。