139. 遠い昔、恋の始まり ③
さすがに、もう諦めた方がいいことは自分でも分かっていた。
それでもやっぱり気になって、会いたくて、もしかしたらと思いながら翌日も領境の林檎の木に登って、彼の姿が見えないかと一日中ずっとオーランド領を眺めていた。
でも、昨日、一昨日と同じ時間になっても、彼は現れなかった。
……そりゃそうよね。
初対面であんな悪態ついて、何度も助けてもらったのにお礼も言わずに、それどころか頬を引っ叩くような子、呆れられたって仕方ないわよね。
……自分でも嫌な子だって分かってるけど、彼といると落ち着かなくなって、ついあんな余計なことをしてしまうのよ。
……わたくしなんて、嫌われたって仕方ない。
分かっているけど、悲しくて涙が溢れてくる。
「良かった。まだいた」
彼の声が聞こえた。
泣きながら顔を上げると、こちらへ向かって走ってくる彼の姿が見えた。
手に何かを持って、笑顔でわたくしの方へ駆けてくる。
……何度も叩いてしまったのに、怒っていないの? まだ嫌われていないの?
「もう帰ってしまったかと思ったよ」
息を切らして駆けてきた彼は、わたくしが座っている枝の下に立って笑いかけてくる。
……わたくしのこと、怒っていないの? まだ笑いかけてくれるの?
「あれ、また泣いてるの? 君って毎日泣いてるね」
「誰のせいだと思っているのよ!」
きょとんとして彼が私を見上げている。
「あなたがさっさと来ないからでしょう! わたくしはずっと待っていたのに! あなたがわたくしを泣かせたのよ!」
……ああ、どうしてわたくしはいつもこうなんだろう。
素直になりたいのに。
木の上で泣きじゃくるわたくしに、両手を広げた彼が優しく微笑みかけてくる。
「おいで。受け止めるから」
木から飛び降りる恐怖も忘れて、わたくしは彼の腕の中に飛び込んだ。
彼はわたくしを優しく受け止めてくれて、わたくしはそのまま彼の首に手を回して抱きついた。
「どうして、もっと早く来ないのよ! ずっと待ってたのに! 会いたかったのに!」
彼に抱きついて、わたくしは泣きながら叫んだ。
約束なんてしてないし、彼は悪くない。
分かっているけど、止まらなかった。
わたくしを抱き上げたまま、彼がまるでなだめるように片手でわたくしの髪を撫でる。
「遅くなって、ごめん。君にリボンを贈りたくて探していたんだ」
「……わたくしに?」
思いがけない言葉に、わたくしは顔を上げて彼を見た。
「昨日、髪にリボンをつけていたのが似合っていたから」
「……似合っていた? 本当に?」
「うん。君に喜んで欲しかったんだけど、また泣かせてしまったね」
申し訳なさそうに言う彼に、わたくしはついまた余計なことを言ってしまうのだった。
「わ、わたくしの泣き顔は可愛いのでしょう⁉ なら、問題ないわ!」
つい顔を背けて偉そうに言ってしまった後に、彼がどんな顔をしているのか気になって、何気ないふりを装いつつ顔を戻すと、彼がこつんと自分の額をわたくしの額にくっつけた。
「うん、君はとっても可愛い」
……彼の睫毛はとても長くて、わたくしの顔に当たりそう。
この綺麗な青い瞳は、何て真っ直ぐにわたくしを見るのかしら。
息が出来なくなる……。
「……え、今、何て言ったの?」
つい見惚れてしまって、ぼんやりしてしまっていたわたくしに彼が優しく囁く。
「私はアシュラン。君の名前を教えて?」
これが、わたくしナスターシャ・マカロフとアシュラン・オーランドの出会い。
この時、わたくしは十二歳、アシュランは十五歳だった。