133. 名指しの呼び出し
エリオット王子の言葉に、リリアナ様は覚悟を決めたようにゆっくりと瞼を閉じた。
「どうぞ、わたしを城へお連れ下さい。罰を受ける覚悟は出来ております」
困った様子で軽く頭を掻きながらエリオット王子はリリアナ様に話しかける。
「私もあなたと共に行くから心配は要らない。……ただ、これは父上からではなく、お祖母様からの呼び出しなんだ」
「……王太后様からの?」
「うん。あの王命は父上が出したものだし、お祖母様があなたに何の話があるのかは分からないけど、急ぎ来るようにとのお達しなんだ。だから悪いけれど、グランブルグ家ではなく、先に城へ行って欲しい」
確かグランブルグ家を出る前に旦那様が、王太后の容態があまり良くないと話をしていた。
それ故、国王がエリオット王子とラリサ王女の結婚を急いだのだと言われた。
可愛がっている孫の結婚を喜んでもらい、少しでも回復してもらいたいと、その為に王命を出したのだと。
グランブルグ家にとっては、はた迷惑なことだが、王太后自身は王命についてどう思っているのだろう。
エリオット王子とラリサ王女の結婚を急ぐことを望んでいるのだろうか。
エリオット王子は先程、国王に頼んで王命を取り下げてもらうと話していたが、王太后の容態次第ではそれは難しくなるのだろうか。
考えても仕方のないことと分かっていても、頭の中でぐるぐると考えを巡らせているうちに、いつの間にか馬車は王都へ入り、城へ着いた。
正門を通り抜けて、両脇に広大な庭園のある幅広の道を走り、中央にある噴水の横を通り、正面の城の横を抜けて、また広大な庭園の中を通り、やっと王太后の待つ離宮に着いた。
馬車が停まり、まずオリヴィエ様が降りて、続いてエリオット王子が降り、外でリリアナ様を待っている。
座席に座りながら震える両手をぎゅっと握りしめていたリリアナ様は、意を決したように前を向いて立ち上がり、馬車を降りた。
平民の私は、ここから先は行けない。
リリアナ様の心中を察しながらも何もできない自分が不甲斐なかった。
馬車の中からリリアナ様を見送る私に、エリオット王子が声をあげる。
「クロード、いつまでそこに座っているつもりだ? さっさと降りてこい!」
「え? ……ですが、私は平民で、王太后様の前に出られる身分ではありません」
「そんなことはお前に言われずとも知っている。だが、お祖母様がリリアナとお前を名指しで呼んでいるのだから仕方ないだろう。それとも何か、クロードという名前の護衛が、お前の他にもいるのか?」
呆れたように言うエリオット王子に戸惑いながらも、どうしたらいいものか分からずにいる私に、オリヴィエ様が早く馬車から降りるようにと促す。
「い、いいえっ。クロードも護衛も、私だけです。他にはおりません」
「なら、お前だろう。さっさと来い」
私は急かすようなエリオット王子の言葉に慌てて馬車から降りたが、それでも、はいそうですかと素直について行くわけにはいかなかった。
……私は、ズボンにシャツ一枚という、とても王太后の前に出られる服装では無かったからだ。
リリアナ様にしても、ドレスではなく私の上着を着ているし、こんな格好では、かえって不興を買ってしまうのではないだろうか。
「……ですが、殿下、この格好では、さすがにまずいのでは?」
「いちいち煩い奴だな」
舌打ちしながらエリオット王子が私を見るが、仕方ないだろう。
王子のあなたと、平民の私とでは違うのだ。
私の粗相が、リリアナ様や旦那様にどんな迷惑を与えるか、考えただけでも恐ろしい。
「お祖母様は優しい方だ。取るものも取り敢えず来たと言えば、分かって下さる。私がついているのだから、余計な心配はするな」
本来ならば、平民の私は城に足を踏み入れることは許されない。
ましてや、王太后に目通りなど有り得ない。
しかも、こんな服装で。
くらくらと目眩がし出した私を、エリオット王子が面倒くさそうな目で見ているのを、取り成すようにオリヴィエ様が声をかけてくる。
「クロード、殿下の仰るとおりです。王太后様の急ぎのお呼び出しに時間をかける方が失礼に当たります。急ぎなさい」
オリヴィエ様の言葉に背中を押されて、私は歩みを速めた。
エリオット王子とリリアナ様に続いて、離宮の正面にある階段を上り中へ入る。
真っ白な大理石の床に、彫刻の施された大きな柱。
天井から下がる豪華なシャンデリアに見事な天井画。
……思わず足がすくむ。……私は場違いすぎる。
「お待ち申し上げておりました、王子殿下。ここからはわたくしがお二人をお連れ致します」
中で待っていた女官らしき女性が、恭しくエリオット王子に声をかける。
ちらりと視線をやったエリオット王子は、首を振って答えた。
「いや、この二人は私の大切な友人だ。私がお祖母様の元へ連れて行く。お祖母様はどちらだ? 案内しろ」
「申し訳ございません。王太后様より、わたくしがお二人をお連れするよう仰せつかっております。また、王子殿下にはグランブルグ邸へおいでになり、直ちに屋敷の包囲を解除するようにとの王太后様の仰せでございます」
「……私に、グランブルグ邸へ行けと?」
首を傾げながら、なおも食い下がろうとするエリオット王子をリリアナ様が引き留めた。
「殿下、わたくしなら大丈夫です。……どうか両親をお願い致します」
リリアナ様と女官を交互に見ていたエリオット王子は、やがて諦めたようにリリアナ様に優しく話しかけた。
「……分かった。グランブルグ邸へ行って兵を撤退させて、伯爵夫妻の無事を確認したらすぐに戻ってくるから」
「ありがとうございます」
リリアナ様の口元が、ほっとしたように小さく緩んだ。
それを目ざとく見つけたエリオット王子が囁く。
「……戻ったら、あなたの頬に口づけしてもいいかな?」
その瞬間に露骨に嫌な顔をしたリリアナ様は、しばらく悩んで口を開いた。
「……手、なら、何とか、我慢出来ます」
……これだけ心を砕いてもらっても、手までしか許さないとは、なかなかに厳しい。
「あなたって、本当に頑なだね。でも私はそういう所が気に入ってるんだ。攻略し甲斐があるからね」
笑いながらリリアナ様の髪に口づけたエリオット王子は、女官に「二人を頼む」と言いつけてオリヴィエ様と共に去っていった。