132. 不穏な気配
「男装のあなたも素敵だけれど、他の男の服は癪だから私のを貸すよ」
「結構です」
リリアナ様がエリオット王子とそんなやり取りをしていると、後ろに控えていたオリヴィエ様の元に伝令らしき兵が来て、何かを伝えている。
急に険しい顔になったオリヴィエ様が、エリオット王子の耳元でそれを伝えた。
「リリアナ、すぐに馬車に乗りなさい。急いでここを離れよう」
急かすようにリリアナ様を馬車に乗せたエリオット王子は、オリヴィエ様に何かの指示を与えていた。
「全兵士に告ぐ! 直ちに王都へ戻る! 王子殿下の警護にあたれ!」
あちこちに散らばっていた兵士が、その号令で一気に集まり、物々しい気配が漂う。
「クロード、お前もリリアナ様と一緒に馬車に乗りなさい。決してリリアナ様から離れないように」
「……あのオリヴィエ様、何かあったのですか?」
ただならぬその様子に胸騒ぎを感じた私は、オリヴィエ様に尋ねてみた。
オリヴィエ様は苦い顔で私を見ながら、唸るように声を漏らした。
「この山の中腹辺りで、かなりの数の死体が見つかったらしい」
「死体?」
「貴族と百人近い兵士が皆殺しになっているとの報告があった。……家紋からして亡くなったのはギリエル男爵だと思われるが、この辺りはギリエル男爵の領地ではない。何故ギリエル男爵がこんな所に百人もの兵と共にいたのか。それに、一体誰がそんな百人もの兵士を倒したのか」
私はオリヴィエ様の話に心臓が止まりそうだった。
……ギリエル男爵、……皆殺し? あの兵士が、すべて?
王命に逆らって逃げるリリアナ様と私を、待ち伏せして襲ってきたギリエル男爵。
応戦して、そのうちの何割かは私が倒した。
だが、私は途中で力尽きて意識を失くしてしまった。
そして、再び気が付いた時には、私はレオンとウィレムに助けられて山小屋にいた。
レオンは確か、自分が目覚めた時には周りには誰もいなかったと言っていた。
そのギリエル男爵が、あれだけの兵が、皆殺し?
誰が、どうやって?
「この辺りに山賊が出たという話は聞いたことが無いが、だが百人もの兵士が殺されているとなると、只者では無い。エリオット様にもしものことがあってはいけない。すぐに王都へ戻る。お前も馬車に乗って、リリアナ様を守りなさい」
オリヴィエ様に促された私が馬車に乗り込むと、リリアナ様もエリオット王子から話を聞かされていたのか、険しい顔をしていた。
私が中に入って来たことに気づいたリリアナ様は、何かを言おうとするが、私は咄嗟に首を振ってそれを制した。
確かに私はギリエル男爵に襲われて応戦したが、それはあくまでも自衛であって、それ以上のことはしていないし、ましてや皆殺しなど、出来るはずもない。
私は全身に傷を負って、意識を失くして倒れていたのだ。
王命に逆らって逃げた上に、さらに余計なことを言って自分たちの首を絞める必要は無い。
私は何も口にしないように、リリアナ様に目で合図を送った。
「……まさかそんな物騒なことが起きているとは思わなかった。あなたを迎えに来て本当に良かったよ」
青ざめた顔でほっとしたように話すエリオット王子は、リリアナ様を迎えに来たことで、逆に自分が危険な状況にあるとは考えていないようだった。
その呑気さに驚いて私がオリヴィエ様を見ると、私の視線に気づいたオリヴィエ様は小声で「こういう方なんだ」と囁いた。
百人もの兵士を倒した何者かが、まだ近くにいるかもしれないと厳重な警備の中、馬車は王都へ向かって走っていた。
私は誰がギリエル男爵を手をかけたのか気になりながらも、屋敷に立て籠もっているという旦那様のことを考えていた。
エリオット王子は国王に王命を取り下げてもらうと言っていた。
屋敷を取り囲んでいる兵も撤退させて、旦那様を罪に問うこともしないと。
どうか、何事も無いよう、間に合って欲しい。
リリアナ様を守るというエリオット王子の言葉を信じて、私の心はグランブルグ邸へと馳せていた。
「伝令――っ! 伝令――っ!」
一人の兵士が叫びながら馬車に近づいてきた。
馬車を止めて兵士から伝令を受けたオリヴィエ様がそれをエリオット王子に伝えると、困惑した様子でエリオット王子がリリアナ様を見た。
「……リリアナ、すまない。今から、あなたを城へ連れて行かなければならない」