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13. 手討ち覚悟の朝

 翌朝、私は窓の下の賑わいで目を覚ました。


 通りに並ぶ露店の商人達だろうか。威勢のいい男達の声が飛び交っているのが聞こえる。

 鳥の鳴き声も聞こえてきて、きっと今日は良い天気なのだろう。

 ここから歩いて屋敷まで帰らなければならないから、天気が良いのは有難い。


 そんなことを考えながらも、なかなか目を開けられない。

 寝床が妙にぬくぬくと温かく気持ちよくて、起きなければならないのが辛い。

 しかし、レオン様を起こして、早くここを発たなければ、それだけ屋敷に着くのが遅れてしまう。

 私が諦めて、体を起こそうと向きを変えた瞬間だった。


 むにっ。


 柔らかい、生温かい不思議な感触。唇に、何かが触れた。


 ……何だ、これは?


 初めてのその感触に驚いて戸惑いながら目を開けると、すやすやと無防備に眠るレオン様の美しい顔があった。


「……うわああっ⁉」


 私はまったく予想していなかった至近距離のレオン様に驚いて飛び起き、壁に頭を思い切り打ち付けてしまった。ズキズキ痛む後頭部を押さえながら、私は涙目でその場にうずくまっていた。


 昨夜、一人じゃ寝られないと文句を言っていた割には、素直に言うことを聞いていたが、夜中にこっそりと私の寝床に潜り込んだのか。


 ……まったく。


「……レオン様?」


 ……様子がおかしい。


 あれだけ私が大声を出して騒いだのに、全然起きる気配が無い。

 ピクリともせずに、そこに横たわっているレオン様を起こそうと、その肩に手を掛けようとした時だった。


「……何だ、これは?」


 レオン様の体から、うっすらと白い霞のようなものが出てきたかと思うと、それは次第に濃くなりながらレオン様の体を覆い始め、ついにはまるで繭のように全身を包み込んでしまった。


 あまりの出来事に、私が言葉を失くして呆然としている間に、どれだけ時間が経ったのだろう。

 今度は少しずつほどけるように繭が薄くなり、しばらくして跡形も無く消えた。

 そして、そこにはリリアナ様が横たわっていた。


「……リリアナ様っ?」


 ついさっきまで確かにレオン様だったのに、何故、突然リリアナ様に変わったのだ⁉

 何がきっかけで?


 ……リリアナ様に変わる前に何が……まさか、もしかして、あれが?

 ……レオン様の唇に触れてしまったこと?

 キスがきっかけで変化したのか? ……まさか、そんなことが。


「……う、ん……」


 寝床に横たわっているリリアナ様が、かすかに声を上げた。


 ……まずい、リリアナ様が目を覚ます。


 まさか護衛の私がリリアナ様と同じ寝台にいるわけにはいかない。

 そっと寝台から降りて、私は急ぎ自分の着替えを取り、部屋を出た。


 そして、すぐに目を覚ますであろうリリアナ様の着替えの準備と身支度の手伝いを宿の女に頼み、その間に自分の着替えを済ませて、心の整理をする。


 リリアナ様は水に濡れたことがきっかけで、レオン様に変化した。

 だが、レオン様は水に濡れても変化しなかった。

 リリアナ様とレオン様では、変化のきっかけが違うようだ。


 レオン様の場合、もし本当にキスがきっかけでリリアナ様に変化するのだとして、レオン様が現れたのは、今回が二度目だ。

 ならば、前回は?

 前回は、誰がレオン様にキスをしたのだ?

 ……まさか旦那様? それとも奥様?

 いや、そう言えば確か、知らぬ間に元に戻っていたと、どうやって戻ったかは分からないと言っていた。


 ならば、旦那様と奥様ではない。

 それなら一体誰が?


 これは、グランブルグ伯爵家の秘密が漏れているかもしれない、由々しき事態だ。

 このままにしてはおけない。帰ったら、すぐに旦那様に報告して調べねば。

 ……とは言え、それを説明するためには、私がレオン様とキスしてしまったことを話さなければならない。


 己の主とキスをするなんて、護衛としてあるまじき許されぬ事だ。

 お役御免か、それとも、まさか、手討ちとか……?


 ……いやいやいや、あれは不可抗力だ。私が進んでしたわけではない。避けられなかったのだ。

 ……そう言って許してもらえるだろうか?

 そんなわけないよな。どうしよう。どうしたらいいのだ?


「お支度出来ましたよ」


 部屋から出てきた宿の女に礼を言い、私は入れ替わるように部屋に入った。


「お嬢様、クロードです」


 リリアナ様はくつろいだ様子で、寝台の横に置かれた椅子に腰かけていて、私が入ってきたことに気づくと、ゆっくりと視線をこちらに移した。


 朝の柔らかな光を受けて、蜂蜜色の豊かな髪がきらきらと輝き、透き通るように白い肌はほんのりと上気して薔薇色に染まり、優しい瞳で私を見ながら微笑んでいる。


 ……リリアナ様だ。いつもの、私がずっとお仕えしてきたリリアナ様だ。

 目の前に座っているのは、間違いなくリリアナ様だ。

 ……ご無事で、良かった。


 やっと主に会えた喜びに、心が震える。

 懐かしくて、もう何年もお会いしていなかったような気がする。


「クロード、側にいてくれたのね。ありがとう」


 久しぶりに聞く、リリアナ様のその優しい声に涙が出そうになる。


 ……リリアナ様。


「どうしたの? 泣いているの?」

「……いえ、私がお側にいながらお嬢様を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」

「そうなの? わたし、何も覚えていないの。犬に追いかけられた様な気はするけれど、記憶が曖昧で……何も分からないの」


 何と、……ということは、レオン様になっていた間の記憶は無いのか?


 では、もしかして変化する直前にキスしてしまったことや、いや、その前にもいきなり私に抱きついてきて頬にキスしたことも、馬車の中で膝の上に乗ってきたことも、……覚えていないのだろうか?

 ……しかし、それを確認するにも、何と尋ねればいいのだ?


「私とキスしたこと、覚えてますか?」

 ……聞けるか! そんなこと!


「私の膝の上に座ったことは?」

 ……やめてくれ、顔から火を噴きそうだ。



「………お嬢様、あの、豚の丸焼きはお好きですか?」 


 ……あほか、私は。言うに事欠いてリリアナ様に何を聞いているんだ。

 自分の馬鹿さ加減に力が抜ける。

 私の間抜けな質問に、きょとんと首を傾げたリリアナ様は、少し笑いながら、


「どうかしら? 食べたこと無いから分からないわ」


 ………ですよね――っ! 


 でも、食べたんですよ、レオン様は。あの細い体のどこに豚一頭入ったのか分からないが、一人で全部食べちゃったんですよ。あの食べっぷりは凄かった。

 レオン様を思い出して、勝手に笑みが零れてしまう。


「……クロード?」


 一人で思い出し笑いをしている私を、不思議そうにリリアナ様が見上げる。


「あ、いえ、何でもありません」

「クロード、いつもわたしと一緒にいてくれてありがとう。良く覚えていないけど、今回もきっとあなたがわたしを守ってくれたのでしょう? あなたが側にいてくれて心強いわ」


 リリアナ様の言葉に、私はへなへなとその場に崩れ落ちた。


 ……言えない、キスしましたなんて。


 あの時はリリアナ様ではなく、レオン様だったとは言え、あなたとキスしてしまいましたなんて、口が裂けても言えない。


 リリアナ様、申し訳ありません。どうか、どうかお許しを……!

 この償いは必ず……!

 もう二度とリリアナ様を危険な目に遭わせない。必ずお守りする。この命をかけて。

 ですから、どうか許してください。

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