129. 永訣の朝
夜が明けたらしい。
鳥のさえずりが聞こえ、山小屋の壁板の隙間から光が漏れ入って来る。
私の胸の上で、レオンがすやすやと寝息を立てて眠っている。
そのレオンの温もりが、その重みが、これが夢ではないのだと教えてくれる。
無防備な寝顔。
愛しくて堪らない。
強く抱きしめて、もっと強くこれが夢ではないのだと確かめたい。
だが、そんなことをしたらレオンが目覚めて、私の腕の中からするりと抜けていってしまうことは分かっていた。
抱きしめることも、口づけることも、その髪を撫でることも出来ずに、レオンが目覚めるまで、自分の胸の上ですやすやと気持ち良さそうに眠っているレオンを、私はただ見つめていた。
「……う、ん」
やがて目覚めたのか、レオンがもぞもぞと動き出した。
その目覚めを待っていた私は、やっと目覚めたレオンをぎゅうっと抱きしめて、髪にキスをした。
「おはよう」
まだ眠り足りない様子で、眩しそうに片目を開けて瞼をこすりながらレオンが顔を上げた。
その寝惚けた顔が可愛らしくて、私は頭を起こしてその頬にちゅっと口づける。
その瞬間に目が覚めたのか、レオンが顔を真っ赤にして、そのまま私の胸に顔を伏せた。
「どうしたの?」
目覚めたレオンにもはや遠慮することも無く、私はレオンの体を抱きしめながら、その髪に何度もキスをする。
「……え、な、何? 何なの、これ?」
「何って、忘れたの? ……昨夜のこと」
あの夢のような幸せな時を。
特別に思っているのは私だけなのかと焦れてしまう。
私の胸に顔を伏せていたレオンが、少しして躊躇いがちに顔を上げた。
顔を真っ赤にして恥じらいながら、うるうると潤んだ瞳で上目遣いに私を見る。
「……覚えてる」
その可愛さに堪らずに、抱きしめる腕にぎゅううっと力が入ってしまう。
「苦しいっ」
慌てて手を緩めるが、それでも抱きしめる腕を放さない私にレオンがぷうっとむくれる。
「怒っても可愛い」
レオンのむくれて膨らんだ頬にちゅっと口づけると、呆れたようにレオンが私を見る。
「……変わりすぎ」
「何?」
「何でもないよ」
体を起こして離れようとするレオンの手を取って、その体を引き戻しながら、私はレオンが目覚めるまでに考えていたことを口にした。
「……レオン、何処か遠くへ行って、二人で暮らそう」
レオンが驚いた顔で私を振り返る。
「一生を、あなたと共に生きていきたい。大切にする。……レオン、あなたを愛している。ずっと私の側にいて欲しい」
口を開けて目を見開き、言葉を失くした様子で私を見ていたレオンは、次第にくしゃっと顔を歪めて泣きそうな顔になったかと思うと、唇に力を込めて何かを堪えて、そして、微笑んだ。
それは、とても穏やかで慈しみに満ちた微笑みだった。
こんなに美しい微笑みはきっと生涯忘れないだろうと、私は思わず息を呑んだ。
「レオン……?」
レオンは微笑んだまま、私の首に両手を回して抱きついてきた。
「ありがとう。クロード」
受け入れてくれたのだと、私は喜び一杯でレオンを抱きしめ返した。
「レオン、愛してる。きっと大切にする。約束する」
どれくらいそうして抱き合っていただろうか。
さすがにそろそろ服を着ないと風邪を引くと言って、レオンが私から離れた。
私は後ろ髪を引かれながらも、それでもこれからはずっとレオンと一緒にいられるのだと、幸せな気持ちでレオンを見ながらシャツを着る。
「そんなに見張ってなくても、逃げないってば」
「そんなつもりじゃ……」
「……ああ、ほら。よそ見をしながら着てるから、ボタンがずれてる」
「え?」
自分の胸元を見ると、シャツのボタンが一つずつずれていた。さすがにこれは恥ずかしい。
「やってあげる」
先に服を着終えたレオンがこちらへ来て、私のシャツのずれたボタンを一つ一つ外して留める。
レオンの白く細い指を見ながら、私の頬はつい緩んでしまっていた。
……ああ、ダメだ。嬉しすぎて幸せすぎて、顔がにやける。
「はい、終わったよ」
ボタンを留め終えて、私の胸をぽんっと叩くレオンを、私はそのままひょいと抱き上げた。
「何?」
「ありがとう」
「何でいちいち抱き上げるんだよ」
「大好きだから」
呆れたようにはあーーっと特大の溜息を吐いたレオンは、しょうがないと言いながら私の首に両手を回し、そして私の頬にちゅっと口づけた。
こんなやり取りが嬉しくて堪らない私は、自分もレオンの頬に同じように口づけしようとして、レオンがじっと私の顔を見ていることに気づいた。
「……レオン?」
「クロード、……ごめんね」
…………え?
「僕は、お父様とお母様を見殺しには出来ない」
そう言うとレオンは私の顔を両手で挟み、私の唇に自分の唇を重ねた。
「レオン⁉ 嫌だっ! やめてくれっ!」
私が必死に顔を背けようとしても、レオンが力づくでそうさせない。
がしっと私の頭を掴み、角度を変えて何度も唇を強く重ねてくる。
「……んんっ、どうして……っ⁉」
「お父様とお母様が必要としているのは僕じゃないんだ」
そう言って私の目を見たレオンは、再び唇を重ねた。
「んんっ、嫌だ、レオン。こんなことっ。……私は? ……私のことは?」
「ごめんね、クロード。……僕のことは忘れていいから」
「そんなっ」
ゆっくりと唇を離したレオンは、その柔らかな頬をすり寄せながら、耳元で囁く。
「……だって、長い人生を独りで生きていくのはつらすぎる。……だからこの先、クロードが誰か僕以外の人を愛しても、……許すよ」
「……あなたを、忘れられるわけがない」
すり寄せていた頬を離したレオンは、私を見ながら優しく微笑む。
レオンの体からうっすらと白い靄が出てきた。
「クロードが忘れても、僕が覚えてる。僕は今、とっても幸せだから……いいんだ」
「……レオン」
「いいんだ」
微笑みながら、レオンは消えてしまった。
私を、一人残して。
私が、あなたを忘れられるわけがないのに。
あなたは消えてしまった。
永遠に。