127. 悪夢
「王命に逆らって屋敷に立て籠もってる貴族と国王の兵が一触即発状態で、今の王都は危険だから絶対に行っちゃダメだ」
「それは、何ていう名前の貴族?」
レオン様の問いにウィレムが首を傾げる。
「何て言ったけな、難しい名前で、グとかガとか……」
「グランブルグ?」
「そうそう! それだ!」
……ああ、旦那様。やはり王命が下ったのか。
……私兵を集めて立て籠もりとは。……クラウス様。……奥様。
私は初めて知ったその絶望的な状況に、悲痛な思いで目を閉じた。
「だけどさ、馬鹿な貴族もいたもんだよな。王命に逆らうなんてさ。皆殺しにしてくださいって言うようなもんじゃないか」
「無礼なっ!」
グランブルグ家に対するウィレムの無礼な言葉に、私は思わず寝床に置いてある剣に手をかけそうになり、レオン様に止められた。
「な、何だよ。あんたには関係ないだろ、何でそんなに怒るんだよ、怖いな」
怯えた様子で私を見るウィレムに、レオン様が静かに問いかける。
「おじさん、どうしてそんなことになったのか、知ってるの?」
「噂では、一人娘を第二王子の妃にするっていう王命を娘が嫌がったとか。それで、父親が娘は渡さんって兵を集めて抵抗してるって聞いたけどなあ」
「……娘を第二王子の妃に?」
「そうだ。愛人ならともかく、王子妃にしてくれるっていうのに、何で逆らうんだよ。どうにか娘を使って出世しようなんて奴は世の中にいっぱいいるのにさ。娘も娘だ。自分のせいで、一族が皆殺しになっても何とも思わないのかね」
「……もうやめろっ!」
私はウィレムの話に我慢が出来ずに叫んでしまった。
何も知らない人間に、旦那様やリリアナ様のことを好き勝手に言われるのは我慢ならない。
旦那様がどれほどの愛情を持ってお子様を逃がしたか。
どれほどの覚悟で王命に逆らい、お子様を守ろうとしたか。
……旦那様を侮辱することは許さない。
……こんな風にリリアナ様を悪し様に言われることは我慢ならない。
私を制するレオン様の手前、この男に手出しをすることは出来ないが、それでも腹に据えかねて私はウィレムを睨みつける。
「……なあ、坊や。この人、何でこんなに怒ってるんだ……?」
私の形相に怯えて後ずさるウィレムを、レオン様がにこにこと笑いながら和ませていた。
「クロードは傷が痛んで、目つきが悪くなってるだけだから気にしないで」
「……そうかなあ、……そんなこと無いと思うけどなあ」
レオン様に隠れるようにして、ちらりと私の様子を伺いながら、ウィレムは荷物をまとめて出て行った。
ぱたんと木戸が閉まると、私を咎めるようにレオン様が横目で見てくる。
「何なの、あの態度は? おじさんはクロードの恩人だって言ったよね」
「……恩なら、ドレスでもう十二分に返したはずです」
十二分どころか、やり過ぎて返して欲しいくらいだ。
それに、旦那様に対してあれだけ無礼な言葉を吐いておいて、無事にここから出られただけでも感謝すべきだ。
唇を噛みながら顔を背ける私に、レオン様がはあーっと溜息を吐きながら尋ねる。
「……それで、これからどうするの?」
「どう、とは?」
「クロードは元気になったら、国境を抜けるつもりだったんでしょ? このまま山を越えて、国外へ行くの? ……それとも、王都に戻るの?」
……王都へ戻る?
旦那様と奥様の元へ? グランブルグ邸を取り囲む国王の兵をかわして?
……ダメだ。
旦那様はこうなることが分かっていて、それでもレオン様を守りたいと仰った。
命を懸けてレオン様を逃がしたのだ。
それに背いて、私が勝手にレオン様を連れて戻るわけにはいかない。
「……いいえ、王都へは戻りません。このまま国境を抜けます」
「……クロードは、それでいいの?」
「これは旦那様の命令ですから。何があっても決して王都へは戻るなと、出来るだけ遠くへ逃げるようにと、迎えに行くまで待つようにと、旦那様は私にレオン様を任されたのです。それに逆らう訳にはいきません」
私は自分の感情を心の奥底に押し込めて、旦那様の言葉だけを胸に抱いて、レオン様を見た。レオン様に何と言われようと、決して退かない覚悟だった。
だが、レオン様は何も言わなかった。
ただ黙って、私を見つめていた。
兵士が、グランブルグ邸を何重にも取り囲んでいる。
指揮官の掛け声の後、屋敷に向かって一斉に火矢が放たれた。
しばらくして屋敷のあちこちから火の手が上がるのが見える。
……風が強い。
強風に煽られて、炎はやがて火柱のように高く上がる。
立ち上る黒煙。女子供の叫び声。
炎から逃げ惑う使用人達を、待ち構えていたように兵士が射貫く。
矢で射られてばたばたと重なり倒れていくのは、見知った顔ばかりだ。
……マリア! ……二コラ!
門が破られて国王の兵がなだれ込む。
クラウス様が応戦するが、兵士の数が違い過ぎる。
そして、指揮官の前に旦那様が引きずり出された。
後ろ手に縛られて、無理やりに跪かされた旦那様の頭上に剣が振り上げられ、そして無情にもその首を目掛けて降ろされた。
「……うわあああああっ! やめろっ! やめてくれっ!」
「クロード!」
がばっと体を起こして震えながら叫ぶ私の両肩を抱きながら、レオン様が私の名を呼ぶ。
「クロード、落ち着いて。全部夢だから。大丈夫だから」
「……夢? ……違う、夢なんかじゃない。旦那様が、……旦那様が」
体ががくがくと震えて、言葉が出て来ない。
私の体の震えを落ち着かせるように、レオン様が私を抱き締める。
「夢だよ、クロード。お父様は大丈夫だから」
「……でも、レオン様。……旦那様が……」
恐怖で歯がガチガチと鳴って、頬を涙が伝う。
「大丈夫だよ。大丈夫」
私の体の震えが収まるまで、レオン様はずっと私を優しく抱き締めて声をかけ続けた。
そして、その日から私は夜、眠ることが出来なくなった。
ほんの少しでも眠ると、あの悪夢を見るのだ。
……眠るのが怖い。……あの悪夢を見るのが怖い。
……旦那様はどうしているだろう。皆はどうしているだろう。
目を閉じると、血まみれの旦那様の顔が浮かぶ。
血で真っ赤に染まった手を私の方へ伸ばし、目を見開きながら旦那様が私の名を呼ぶ。
「……クロード、どうして戻らなかった……? クロード……」
「うわあああっ!」
「クロード!」
心配そうに私の顔を覗き込むレオン様の顔がそこにあった。
……私は、また、夢を見ていたのか。
「……レオン様……」
私は目の前にいるレオン様を強く抱きしめた。
……この人を守って生きていかなければならないのに、こんなに弱くてどうするのだ。もっと強くならなければいけないのに。
震えの止まらない私の体を、レオン様がぎゅっと抱きしめる。
「クロード、……もういいよ。帰ろう」
私を抱き締めて、落ち着かせるように髪を撫で、私の頬に自分の頬をくっつけながら、レオン様は耳元でそっと囁いた。
「……ダメです。……帰れません。……旦那様は決して戻るなと仰いました」
涙を流しながら首を振る私の髪を撫でて、レオン様は額に口づけた。
「もういいよ。いいんだ」
レオン様は優しく微笑んでいた。