126. 護衛男子の取扱説明書
……そういえば、確か私はギリエル男爵に襲われた際に、左肩と腕を矢で射られて、背中を斬られ、左脇腹を貫かれたはず。
それなのに、この上着には矢で射られた際の穴も、背中や左前身頃にあるはずの破れも、それどころか血や泥で汚れた跡も無い。
「あっ、それ、僕がちゃんと繕って洗っておいたから大丈夫だよ」
上着を引っ繰り返しながら、破れや汚れの痕跡を探す私に、事も無げにレオン様が言う。
「……え、レオン様がこれを縫って、洗ってくれたのですか?」
「そうだよ。クロードがずっと目覚めなくて、時間がいっぱいあったから。慣れないことでも、時間をかければそれなりに出来るものだね」
……レオン様に、繕い物や洗濯までさせてしまっていたとは。
「申し訳ありませんでしたっ」
レオン様に一週間も寝ずの看病をさせたうえに、山に薬草取りに行かせて、縫物や洗濯をさせて、さらにドレスまで手放させるとは。
さすがにこれは、旦那様に申し訳が立たない。合わせる顔が無い。
私は寝床に頭を摺り付けるようにして、レオン様に謝罪する。
……レオン様にここまでしてもらっておいて、どんな顔をして私は偉そうに説教をするのだ。自分が恥ずかしい。
「クロード、そんな姿勢じゃ傷に良くない」
体を曲げて寝床に頭をつけている私に、レオン様が駆け寄ってきて、背中にそっと手を添えながら私の体を起こした。
「僕が好きでやってることなんだから、クロードは気にしなくていいよ」
「そういう訳にはいきません」
「……だったらさ、早く良くなって、僕を甘やかしてよ」
「……え?」
私の体を支えているレオン様の顔がすぐ目の前にある。
まるで私の心をくすぐるように悪戯な目つきで私の目を覗き込み、甘く囁く。
「僕はクロードに甘やかされたい。早く良くなって、いっぱい僕のこと甘やかして?」
「……はいっ! そうします!」
「…………簡単すぎるだろ」
「え? 何か言いました?」
「何も」
軽く肩を竦めるレオン様のその仕草さえ、「早く僕を甘やかせ」と催促するように見えてくるから不思議だ。
「そうですよね、早く良くならないと何も出来ませんよね。早く良くなって、いっぱいレオン様を甘やかして、いっぱい尽くしますね。待っていてくださいね」
レオン様の甘い囁きに完全に浮かれてしまった私は、早速レオン様が煎じてくれた薬湯を飲んで、まだ日も高いというのに寝てしまった。
……レオン様を甘やかすのだ。一日も早く良くならねば。
「……死にかけたくせに、僕のことばっかり気にして。……人が好過ぎるんだよ」
寝息を立て始めた私をじっと見ていたレオン様が、私の頬に優しく口づけたことなど、薬湯を飲んで深い眠りに落ちた私が気づくはずもなかった。
それから数日経ち、毎日きちんと薬を塗り、薬湯を飲み、安静に務めたこともあり、最後まで残っていた左脇腹の痛みも感じなくなった。
あと一日二日様子を見て、大丈夫なようなら動いても良いとのレオン様のお許しも出た。
「最初にクロードを手当てして、キオウを飲ませてくれた人のお陰だよ。あれだけの大怪我をして生きてるなんて、奇跡としか言いようがない」
私の包帯を取り替えながらレオン様が呟く。
私はと言うと、何処の誰か分からない命の恩人に感謝しつつも、もうこれで自由にレオン様に触れる、レオン様を甘やかせるという喜びでいっぱいだった。
「明日かな? 明後日かな? 楽しみだな」
「……そこまで楽しみにされると、こっちは逆に引くんだけど」
「前言撤回は無しですからね」
「気持ち悪いよ、クロード」
ちゃんと約束したし、今更レオン様の素っ気ない言葉も気にならない。
どうやってレオン様を甘やかそうかと、私がにやにやしながら考えていると、仕事を終えたウィレムが帰って来た。
どかっと椅子に腰かけて汗を拭いながら、ウィレムが私とレオン様に話しかけてきた。
「山での仕事が今日で終わったから、俺はもう山を下りて家に帰るよ」
ウィレムはここに住んでいるわけではなく、普段は町に住んでいて、仕事のある時だけ山に来て、この小屋に寝泊まりしているのだという。
今回は無事に仕事を終えられた上に、レオン様からドレスを交換してもらって本当に幸運だったと何度も頭を下げられた。
樵のウィレムにはあんなドレスは無用だろうし、売れば樵の仕事の何年分、いや何十年分にはなるだろう。
私は複雑な思いでウィレムの話を聞いていた。
「この小屋はもう坊やの物だから、いつまででも好きに使って構わない。保存食もまだ残ってるから」
「おじさんには、何てお礼を言ったら良いのか分からないよ。クロードがここまで回復したのはおじさんのお陰だ。本当にありがとう」
「あの人は元々すごく鍛えてたみたいだし、坊やの献身のお陰だよ」
「しばらくしたら僕達はここを発つから、その後はまたおじさんがここを使ってよ」
レオン様の言葉にウィレムが戸惑うように漏らした。
「……いいのか? ……でも、ドレスはもう売っちまったから返せねえよ」
「これだけお世話になっておいて、返せなんて言わないよ」
レオン様は笑っているが、私は返せと言ってもいいと思うのだが、ダメだろうか。
何処の世界に、例えば野菜を買いに行って宝石で支払い、釣りは要らないと言う人間がいるだろうか。
レオン様がしたことは、それに等しいと思うのだが、私がせこいのだろうか。
レオン様と一緒にいるとよく分からなくなる。
恐縮したようにウィレムが頭を掻きながら、レオン様を見た。
「坊やには良くしてもらったから、一つだけ忠告しておくよ」
「何?」
「ここを出ても、決して王都には近づいちゃならねえ」
いつにないウィレムのその真剣な顔に、レオン様の表情が変わった。
「王都は今、大変なことになってる。いつ戦が始まってもおかしくない状態だ。危険だから、絶対に王都には行くな」
「……どういうこと?」
「王命に逆らった貴族が、私兵を集めて屋敷に立て籠もってるんだ。激怒した国王が兵を差し向けて屋敷を取り囲んでる」
ウィレムの言葉に、私はひゅっと息を呑んで、そのまま固まってしまった。
……旦那様!