125. 物々交換
レオン様と過ごせる幸せな時間。
いつまでもこうしていたいが、そういう訳にもいかない。
私が一週間も意識が無く寝込んでいたということは、つまりグランブルグ家を出てから一週間経ったということだ。
既に王命が下っていてもおかしくない。
旦那様が王命に逆らい、リリアナ様を逃がしたことが知られて、追手が出ていてもおかしくない。
私を助けてくれた樵のウィレムは、この辺りで自分以外の人間を見かけることはほとんど無いと言っていた。
だから、意識の無い私を担いでいるドレス姿のレオン様を見かけた時は引っ繰り返りそうになったと、時折笑いながら話している。
それでも、国境に近いこの場所にそのうちに追手が来るのは間違いない。
一刻でも早く、ここを発って国境を抜けたい。
気が急く私を、その都度レオン様が嗜める。
「クロードの傷が完全に塞がるまで、僕はここを離れるつもりはない。無理に移動して、傷が悪化したらどうするの? 約束を忘れたの?」
『もう二度と離れない。決してレオン様を一人にはしない』
私は、レオン様にそう誓った。
「……いえ、覚えています。……でも、私はあなたを誰にも奪われたくない。誰にも渡したくない」
追手に掴まってしまったら、レオン様はラリサ王女と結婚させられてしまう。
そうなれば、私はもう二度とレオン様に会えない。
平民の私には、側で見守ることすら許されない。
追手をかわして国境を抜けて、ひたすら遠くへ逃げる。
私がレオン様と一緒にいるにはそれしかない。
こんな傷くらいで、いつまでも時間を無駄にするわけにはいかない。
「こんな所に来る物好きはあんた達くらいだし、それに、もうここは坊やの物なんだから、気兼ねしないでゆっくりして行けばいいのに」
何とかレオン様を説得して、一刻も早くここから出ようとする私に、呑気にウィレムが横から口を出してくる。
「助けてもらったことは感謝するが、余計な口出しは無用」と言いかけて、私はふと首を捻った。
……ここはもう坊やの物? どういう意味だ?
「ウィレム、ここがレオン様の物とは、どういう意味だ?」
私の言葉に、レオン様が「しまった!」という顔をしてこちらに背を向け、ウィレムはにこにこと満面の笑みで答える。
「この山小屋を坊やの着ていたドレスと交換したんだ」
「……はあっ⁉」
「あんたが意識を取り戻して元気になるまでの寝床と着替えが欲しいって言われてさ。だけど、金は持ってないからドレスで勘弁してくれって言うから。この山小屋とあのドレスじゃ、あんまり釣り合わないから保存食も全部つけて交換したんだ」
「何だって――――っ⁉」
ドレスとこの山小屋を交換⁉
旦那様がリリアナ様の為に特別に作らせたあのドレスと、こんな古くて薄汚れた山小屋を交換だって⁉
信じられない信じられない!
レオン様もウィレムも物の価値が分かってない!
あのドレス一着で、こんな山小屋なんか百軒は建てられる。
保存食なんかつけたくらいで、釣り合いが取れるか!
「レオン様っ!」
こっそりと小屋から出て行こうとドアに手をかけていたレオン様を、私は呼び戻した。
「話があります! ちょっとこちらへ来てください!」
私のその剣幕に雲行きが怪しいのを感じ取ったらしいウィレムは、すがるレオン様を残して、ちょっと仕事に行ってくると言って出ていった。
レオン様は唇を尖らせながら、渋々私の前に来る。
「……どういうことですか? 私に相談も無くドレスを交換するなんて」
問い詰める私に、しょんぼりとしてレオン様が答えた。
「……だって、クロードは何度呼んでも応えてくれないし、一週間も意識が無いままだったんだよ。相談なんて出来るわけないじゃないか」
「お金なら私が持っていたのに」
「勝手に漁るなんて出来ないよ」
……ああ、育ちの良さがこんな所で出るとは。
「あのドレスとこの山小屋では、釣り合わないと思いませんでしたか?」
「僕にとってはそんなことよりも、クロードを寝床で休ませることの方が大事だったんだ」
「…………」
「おじさんは困ってる僕を助けてくれた。あの人はクロードの命の恩人なんだよ。僕にはあんなドレスなんかよりもクロードの方が大事だ。ドレス一着でクロードが助かってくれるなら、喜んで差し出すよ」
私の目を見てきっぱりと言い切るレオン様に、私はそれ以上何も言えなかった。
元はと言えば、私が怪我をして意識が無かったのが原因で、私の意識があれば、私が怪我さえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
それなら、私がレオン様を責めるのは筋が違う。
「……では、私の上着とマントは?」
どちらも旦那様が私の為に特別に誂えてくださった物だ。
もしや、これも手放してしまったのだろうか。
「あるよ」
レオン様のその言葉に、私はほっと胸を撫でおろした。
「さすがにマントは重すぎて持てなかったから、次の日に取りに行ったけど」
意識の無い私だけでも重くて抱えきれないのに、超極細金属糸で織られた激重マントまでは持ちきれずに置いて行ったそうだ。
翌日、私の為の薬草を探す際に立ち寄り、その場に残っているのを見つけて持ち帰ったそうだ。
「……良かった。手放さないでいてくれて」
私はレオン様に渡された上着のポケットに手を入れて、中を確認した。
……ちゃんとある。……無事だった。
小さな袋二つをポケットから取り出して、私はそれをレオン様に渡した。
「お父様とお母様から、レオン様にとお預かりしていた物です」
「……お父様と、お母様から? 僕に?」
レオン様は不思議そうに首を傾げながら、その二つの袋を開けた。
それは、グランブルグ家当主の証である紋章入りの金の指輪と、アシュラン様が残された卵大の虹色貴石だった。
「それと、……旦那様にレオン様の側にいるお許しを頂きました。奥様が、もう隠す必要は無いから、堂々としているようにと仰ってくださって」
「……お父様と、お母様が、そんなことを?」
レオン様は驚いたように私を見て、それからしばらくの間、指輪と虹色貴石を見ていた。
そして、そっとそれらを袋に戻すと、私に渡した。
「これ、クロードが持っていて」
「どうしてですか? レオン様にお渡しするように言われたのですが」
「だって、僕は薬草取りに山道を歩いたりするから、落とすかもしれないし。クロードに預けた方が安心だから」
「……分かりました。では、私がお預かりしておきますね」
私は、レオン様から指輪と虹色貴石の入った袋を受け取り、ポケットに戻した。