122. 冷たくしないで
……ここは、何処だろう……?
ぼんやりと瞼を開けると、見知らぬ小屋の中にいた。
粗末な、薄汚れた、古い小屋。
煤だらけで、天井には蜘蛛の巣まで張っている。
……天井? ……ああ、私は横たわっているのか。
まるで頭の中に靄がかかっているようなぼうっとした状態で、私は体を起こそうとした。
「……うっ」
左の脇腹に痛みが走る。
……何だ、この痛みは? ……私は怪我をしているのか?
「……気が付いたのか。あ、まだ起きちゃダメだ」
小屋の中にいたらしい、見知らぬ男が暖炉に薪をくべながら声をかけてくる。
がっしりとした体格で五十位のその男は、見るからに人の好さそうな顔立ちをしていた。
「……ここは? 私は何故、ここに……?」
「ここは俺が使ってる山小屋だ。大怪我をしているあんたを見つけて、ここに運んだんだ」
……山小屋? 大怪我?
頭がぼうっとして思考が定まらないが、言われてみれば、私は腹や腕など、あちこちに包帯が巻かれていた。
「……これは、あなたがしてくれたのか?」
ちらりと私を見た男は、ぼりぼりと頭を掻きながら申し訳なさそうに言う。
「俺はあんたをここに運ぶのを手伝っただけで、手当てをしたのは坊やだ」
「……坊や?」
「山道を歩いてたらさ、いきなり目の前にえらく綺麗なお姫様が現れたかと思うと、あんたみたいな大男を背中に抱えてるんだからさ、そりゃあびっくりするってもんよ」
坊やなのか、お姫様なのか、男の言っていることがよく理解出来ずに、私はぼんやりと話を聞いていた。
「豪華なドレスを着たお姫様がさ、汗だくになって背中に抱えたあんたを引きずりながら歩いてんだよ。訳が分からなくて目え剝いてたら、お姫様に助けてくれって言われてさ。それで近くのこの小屋にあんたを運んだんだ」
何を言っているのかよく分からない話を、頭に靄のかかったまま聞いていたが、……綺麗なお姫様? 豪華なドレス?
……リリアナ様かっ!
「……それで、そのお姫様は今何処に?」
「坊やなら、もうすぐ帰ってくると思うけど」
男が小屋の入り口の方を見ながら答える。
……お姫様と言ったり、坊やと言ったり、この男の言ってることは意味が分からない。
「……お姫様なのか、坊やなのか。どっちだ?」
「だからさ、お姫様みたいな坊やなんだよ」
多少イラつき気味に問う私に、男が笑いながら言う。
…………え。
……お姫様みたいな、坊や。
……それは、もしや。
「ただいま、おじさん」
……懐かしい、この声。
ずっと耳から離れなかった声。
どれほど焦がれて、夢に見たことだろう。
私は震えながら、声のした方を見た。
そこには、小屋の木戸に手をかけたまま、目を見開いて私を見ているレオン様がいた。
大きな青い目を見開いて、驚いたように小さく口を開いたまま、私を見ている。
「……レオン様」
私は居ても立ってもいられずに、入り口に立っているレオン様の所に駆け寄ろうとして脇腹の激痛に悶え、寝床から落ちて床に倒れた。
「クロード!」
駆け寄って来たレオン様が、倒れている私を支え起こして、寝床に横たわらせた。
「まだ完全に傷口が塞がってないのに、なんで勝手に動き回ろうとするんだよ!」
私を横たわらせてから、その横に立ったレオン様は私を見下ろしながら怒っているが、私はレオン様にまた会えたことが嬉しくて堪らずにいた。
「にやけていないで、人の話を聞け!」
……レオン様だ、本当にレオン様だ。
信じられない、これは夢じゃないのか。
嬉しくて、レオン様から目が離せない。
どんなに怒られても、怒鳴られても幸せだ。
あんなに会いたかったレオン様が、今、私の目の前にいるなんて。
「……幸せだ」
「はあっ? 死にかけて幸せとか、頭がおかしいんじゃないの?」
余計なことを言って火に油を注いでしまったらしく、レオン様が目を剥いて怒鳴る。
怒った顔も可愛いなと思いながら、レオン様を見ていると、ふといつもと少し違うことに気が付いた。
私はそっと腕を伸ばして、レオン様の頬に触れた。
「……少し、痩せました? あまり顔色も良くないようだし」
レオン様は、ぷいっと横を向いて、私から顔を背けた。
「別に、いつもと変わらない」
「そりゃ、一週間まともに寝てないんだから、多少やつれても仕方ないんじゃねえの?」
「おじさん!」
話を聞いていたのか、男が口を挟み、レオン様がそれを制するように声を上げた。
「あんたはさ、夜中になると熱に浮かされて暴れるんだよ。まだ完全に塞がってないのに暴れたら傷口が開くって、坊やが力ずくで抑えるんだけど、あんたの方がガタイが良いから坊やを投げ飛ばすんだよ。お陰で坊やは痣だらけだ」
……私が、暴れて、レオン様を投げ飛ばす?
驚いてレオン様を見るが、レオン様は私と目線を合わせようとしない。
「一晩中熱に浮かされて汗だくになったあんたの体を、毎朝拭いて、薬を塗って包帯を取り替えて。それが終わったら、あんたの為に山に薬草取りに行って、帰ってきたらそれを煎じてあんたに飲ませて。この坊やは、あんたにつきっきりで寝てないんだよ」
……私は一週間も意識が無いまま眠っていたのか。
……その間、ずっとレオン様が私の世話をしてくれていたのか。
私は顔を背けたまま、こちらを見ようとしないレオン様の手を取って握った。
「……だって、きっとその怪我は僕のせいなんだから、そんなの当たり前だろ」
下を向いて唇を噛むレオン様の手を引いて、私はこちらを向かせた。
「違います。レオン様のせいではありません。私が未熟だったのです」
「……そんなことないっ」
「それより、寝ていないのでしょう? 私はずっと寝ていたので、今度はレオン様が眠ってください」
体を起こして、レオン様に寝床を譲ろうとするが、左脇腹に痛みが走る。
「……っ痛」
「だから言ったのにっ。まだ動いちゃダメだって」
レオン様が私の体を支えながら、寝床に横たわらせた。
私は痛みに顔をしかめながらも、横目でレオン様の顔を見る。
……ああ、やっぱり顔色が良くない。目の下にクマも出来てる。
自分のせいでレオン様がこんなにも疲れているのを目にすると、申し訳なくて心が痛む。
「……レオン様、ここに、私の横で眠ってください」
「……え? ……いいよ、僕は眠くないし」
「ダメです、そんな顔のままでは」
自分の横に寝るように促す私を、レオン様が呆れたような目で見下ろす。
「……その腕、何のつもり? 怪我した腕で腕枕なんて出来るわけないだろ」
「……じゃあ、こっち側で。こっちは怪我してないので」
「……要らない。僕は枕なんて無くても寝られるから」
やっと会えたのに、最初からずっと素っ気ないレオン様の態度に私が少し凹んでいると、暖炉の火の調節をしながら時折こちらを見ていた男が声を上げた。
「一緒に寝てやれよ」
「おじさん」
「坊やの為にそんな大怪我してさ、一緒に寝たいって言うなら寝てやれば? どうせ坊やも寝不足でフラフラなんだし」
……何ていい奴。
ちらりとレオン様の様子を伺うと、仕方ないと溜息を吐いて私を見ていた。
「俺は一仕事してくるからしばらく戻らないけど、こんな所、誰も来ないから心配しないで眠っていて大丈夫だから」
そう言い残して、男は小屋を出ていった。
私が内心どきどきしながら、レオン様がどうするのか待っていると、レオン様は「まったくもう」と唇を尖らせて軽く私を睨みながらも、寝床に横たわり私の腕に頭を乗せてきた。
さらりと、レオン様の柔らかな髪が私の腕にかかる。
胸が高鳴る。
あんなにも会いたくて堪らなかったレオン様が今、自分の腕の中にいるのだと思うと、幸せで胸がいっぱいで涙が零れそうになる。
彫りの深い整った顔立ち、伏せられた長い睫毛。
思わず引き寄せられて、その白い頬に口づけた。
「……っつ」
つい体を起こしてしまい、左脇腹に痛みが走る。
「……何してるの?」
ばちっと目を開けたレオン様が冷めた目で私を見る。
「……え、いや、あの、可愛いなあと思って、つい、その」
ぎろっと私を睨んだレオン様が、信じられない言葉を吐いた。
「傷口が完全に塞がるまで、僕に触らないで」
「……そんなっ!」
「嫌なら一人で寝ろ」
そう言って体を起こして寝床から下りようとするレオン様の手を、私は咄嗟に掴んだ。
「……どうして、そんなに冷たいのですか?」
やっと会えたのに、私は嬉しくて堪らないのに、どうしてレオン様がこんなにつれないのか分からない。
私がこんな怪我をしてしまったことで、……もしや弱い護衛など必要ないと思われたのだろうか。呆れられてしまったのだろうか。
私にはレオン様の考えていることが分からない。
私がすがるようにレオン様を見ると、レオン様は戸惑ったような顔で私を見た。
「……治ったら、触っていいから」
「……本当に? いっぱい触っても怒らない?」
「怒らない」
そう言うとレオン様は、私を寝床に寝かせて、まるでなだめるように私の頬に口づけすると、そのまま横になってまた私の腕の中で目を閉じた。
よっぽど寝不足で疲れていたのか、レオン様は横になってすぐに寝息を立て始めた。
その眠りを邪魔しないよう、今度こそは余計なことをしないように自分を抑えつつ、私はずっとレオン様の寝顔を見ていた。
……どんなにあなたに会いたかったことか。
そのあなたが今、私の腕の中にいる。
夢のようだ。