121. 泣かないで
「まだ生きてるそっ! 息の根をとめてやれっ! 蜂の巣にしろっ!」
何処か遠くでギリエル男爵の声が聞こえる。
……ああ、また矢の雨が来るのか。
私はもう動けないのに。
……もう避けられない。
意識が朦朧としながらも死を覚悟した私の前に、突然影が現れた。
まだ明るい昼間のはずが、急に目の前が暗くなる。
だが、私にはもはやそれが何事か確認する気力も体力も無かった。
「クロード!」
……ああ、リリアナ様の声だ。
あれほど出てきてはいけないと、動かないように言ったのに。
「クロード、しっかりして!」
「……リ、リアナ様」
私は気力を尽くして声のする方にどうにか顔を向けた。
微かに目を開けると、マントを高く掲げ壁のようにして矢を防いでいるリリアナ様がいた。
「クロード。ごめんなさいっ! わたしのせいでこんな酷い目に……」
涙を顔をぐしゃぐしゃにしながらリリアナ様が言う。
「あんな我儘、言わなければよかった……! 王命に逆らわなければよかった……! わたしが素直にエリオット王子との婚姻を受け入れて逃げたりしなければ、あなたをこんな目に遭わせることも無かったのに……! ごめんなさい、許して、……わたしのせいでこんな酷い目に。……クロード、ごめんなさい……! もう我儘なんか言わないから……!」
その大きな青い目からぼろぼろと涙が溢れ出ていた。
……ああ、泣き顔までレオン様に良く似ている。
……レオン様も、こんな風によく泣いていた。
「……泣かないで」
私は手を伸ばして、リリアナ様の頬を流れる涙を指で拭った。
「……いいのです、私はあなたの護衛なのですから。……あなたをお守りするのが、私の務めなのですから」
「……クロード!」
「……旦那様と、奥様の代わりに、……私が、お守りしますから。……だから、……もう泣かないで」
……少しずつ、目の前が暗くなる。
リリアナ様の涙を拭う指すら、もはや動かせない。
「ええいっ、目障りなそのマントを引き剝がせっ!」
矢の雨を跳ね返す旦那様のマントに業を煮やしたギリエル男爵が、邪魔なマントをリリアナ様から取り上げるよう兵士たちに命令する。
これを取り上げられては、矢の雨が防げなくなってしまう。
「……あ、……ダメ、だ。……マントを」
私の体は鉛のように重く沈んで、私にはもうそれを動かす力は残っていない。
リリアナ様が矢を防ぐために高く掲げていたマントは、数人の兵士に力ずくで取り上げられてしまった。
「きゃあっ! やめて! 返して!」
マントを取り返そうとリリアナ様は兵士に向かって行ったが、軽くあしらわれて地面に倒れ、その白い頬に泥が跳ねた。
「……リ、リアナ様」
「クロード!」
……あんな兵士にこんな真似をさせるなんて、自分が情けない。
私がついていながら、リリアナ様にあんな無礼を許すなんて。
「……申し訳、……ありません」
「クロード! しっかりして! わたしのことなんてどうでもいいから!」
起き上がったリリアナ様が、私の声を聞きつけて駆け寄って来た。
動けない私の手を取り、リリアナ様が泣きじゃくる。
……ああ、こんなに泣いて。泣かせるつもりなんて、無かったのに。
大切に大切に、甘やかすつもりだったのに。
こんなに泣かせてしまった。
私は、護衛としても、兄としても失格だ。
「そこの死にかけの間男とリリアナを一緒に串刺しにしてやれっ! 王命に逆らって間男と逃げた女だと、王都の広場で晒し物にしてやるわっ!」
ギリエル男爵の叫び声で、私とリリアナ様を取り囲んでいた兵士たちが一斉に刃を下に向けて剣を振り上げた。
「……ううっ!」
何とかリリアナ様だけでも守ろうと、意識が朦朧としたまま動かぬ手を動かして、リリアナ様を抱き締めたその時だった。
「……うわっ! 目が!」
「何だ⁉ 眩しいっ!」
突然の目がくらむような強烈な光に、辺りが真っ白になる。
「……きゃっ!」
何処からか現れたそのまばゆい強烈な光に目をやられて、何も見えなくなる。
「……目が、目が見えないっ!」
「……うわあっ! 目がやられたっ!」
「……助けてくれっ! 目が痛いっ!」
ばたばたと周囲で兵士が倒れ、助けを求めて騒ぐ声が聞こえる。
……そして、ここで私の意識は途絶えてしまった。




