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11. 大事なことなので今後も言います「肌を人目に晒してはいけません」

 その農婦の家は簡素な木造の平屋で、壁は煤で薄汚れ、床には藁が敷かれていた。


 箒で殴ったお詫びに、濡れた服が乾くまで代わりの服を貸してくれるとの農婦の申し出は有難いのだが、すぐにでもここを発たねばならないので借りても返せないからと断ると、それなら今着ている、この濡れた服を置いて行けばいいと言う。


 ……はあ? この農婦は頭がおかしいのか?


 旦那様が仕立ててくださった護衛服とは比べ物にならないが、今着ているこの服も一応それなりの値段はした。

 いくらお忍びとは言え、伯爵家令息であるレオン様にあまりに貧相な物は着させられないからだ。

 それを、自分たちの薄汚れた粗末な農民服と交換しろだと?


 ……がめついにも程がある。


 息を巻く私を尻目に、馴れ馴れしくレオン様の髪を撫でながら言葉を続ける。


「子供は濡れた服のままだと、すぐに風邪を引いちゃうからねえ」


 ……くぅ、人の足元を見るような真似を。


 だが、実際濡れた服のまま宿に帰っても、乾くのを待っている時間の余裕はない。

 ラリサ王女のこともあり、なるべく早くここを離れたいし、それに何よりも旦那様と奥様がどれほど心配されているだろう。

 新しく買いなおすにも金がかかるし、本音を言うと、先が見えない今の状況ではなるべく節約しておきたい。

 しかし、言われるがままに交換するのも癪に障る。


 ……どうしたものか。


「平気だよ。僕、このまま脱いで帰るから」


 ……へ? 脱いで帰る?


 出し抜けに、レオン様が飛び切りの笑顔で言ったかと思うと、そのままシャツのボタンを外し始めた。


 ……え、ええっ⁉ レオン様、何をっ⁉ やめてくださいっ‼


 ボタンをすべて外し終え、シャツを広げて白い胸元を露わにしようとするレオン様に慌てて抱きついて、その体を見ないように目を固く閉じる。


 見てはダメだ! この体はリリアナ様のものでもあるのに何てことを!

 リリアナ様を裸で歩かせるなんて、とんでもない‼

 そんなことをしたら私がマリアに殺される‼


「……レオン様、大切なお体をそう簡単に人目に晒してはなりません。……分かりました。服を替えてもらいましょう」


 固く目をつぶって天を仰ぎつつ、濡れた服を交換してもらうことにした。


 どんなに粗末な服でも、レオン様を、……リリアナ様を裸で歩かせるよりはマシだ。


 嬉々として服を持ってくる農婦を忌々しく感じながらも、さっさと着替えを済ませ濡れた服を渡して、そこを後にする。


「色々楽しかったね」


 細かいことは気にしない性質なのか、レオン様は頭の後ろで手を組み、鼻歌を歌いながら宿に戻る道を歩いている。 


「……そうでしょうか?」


 裸で歩かせるよりはマシとは言え、伯爵家令息であるレオン様にこんな薄汚れた農民の服を着せて街を歩かせるとは、自分が情けない。


「うん、楽しい。前は屋敷から一歩も外に出られなかったから。こんな風に外に出て、あちこち出歩いて、いろんな人に会って、すごく楽しい!」


 その言葉に驚いて、横を歩くレオン様を見る。


 髪も顔も薄汚れた農民の子たちとは違って、レオン様の蜂蜜色の髪は陽の光を集めて輝き、白い肌は透き通っていて、粗末な農民の服を着ていても、一目でそれと違うのが分かる。

 これほど美しくて、一見何不自由なく育ったように見えるのに、……屋敷から一歩も出してもらえなかったとは。 


 ……確かに思い返してみれば、あの時は、リリアナ様からの突然の変化で衝撃を受けた旦那様が、屋敷から絶対に出さないようにと厳命されていたはず。

 五歳の男の子が一歩も外に出られずに屋敷に閉じ込められていたとは、旦那様の気持ちも理解できるが、可哀想に……。

 私の五歳の頃と言えば、木登りをしたり、靴を飛ばしたり、他の使用人の子達と庭を駆け回っていたな。


 レオン様を気の毒に思う気持ちで胸がいっぱいになり、何か、喜ばせてあげることは出来ないだろうかと考え、ふと思いついて、レオン様の脇の下に手を入れ持ち上げて肩の上に乗せ、肩車をしてみる。


「……わあっ、急に何⁉ 高いっ!」

「しっかり掴まっていてください」 


 落とさないように、しっかりとレオン様の両足を掴み、肩車で通りを歩く。


「うわあっ! 高いね! すごい! すごいよ、クロード! 楽しい!」


 私の頭の上で喜声を上げるその子供らしい様子に、つられて私まで笑ってしまう。

 体は十五歳だが、中身はまだ五歳なのだ。

 伯爵家に帰ったら貴族の子息としての生活が始まるだろう。

 ……いや、もしかしたらまた屋敷から一歩も出られなくなるかもしれない。

 それならば、今だけでも楽しませてあげたい。


 そのまま宿に戻ると老女将が笑顔で迎えてくれて、すぐに発つ旨を伝えると、預けていた服を持って来た。


「お預かりしていた服です。すべてちゃんと洗ってありますが、こちらのマントが……」


 女将は受付台に、綺麗に畳まれたリリアナ様の狩り用のドレスと私の護衛服を置いて、マントをそっと広げて見せた。

 ちゃんと洗われてはいるが、あちこち破れてほつれたままだ。


「何人かのお針子に頼んでみたのですが、ここでは目にすることの無いとても高価な布地で、恐ろしくて自分達の手には負えないと言われてしまいまして……」


 ……それはそうだろう。

 これはリリアナ様の護衛として恥ずかしくないようにと旦那様が誂えてくださったものだ。

 こんな田舎に、これを扱えるだけの腕を持った針子がいるとは思えない。


 私は破れたマントを手に取って見た。

 貴族でもない平民の私に、これほど高価な布地を惜しみなく使い仕立ててくださった旦那様の気持ちを思うと、たとえ破れていても粗雑に扱うことは出来ない。

 私にとっては大切なものだ。


「……いや、構わない。このまま持って帰る」


 受付台に置かれていた服と共に畳んだマントを袋に入れて、宿を出た。

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