109. 伯爵家の娘
旦那様の部屋は悲愴な空気に包まれていた。
やっと、旦那様からレオン様のお側にいられる許しが頂けたのに、私の心は重く沈んでいた。
旦那様も奥様も、クラウス様も、私も、誰も口を開かなかった。
どうしたらいいのか、どうすべきなのか、誰にも答えが出せなかったのだ。
窓から差し込む陽の角度が、それからかなりの時間が経ったことを教えていた。
そうして、そのうち奥様がぽつりと言った。
「……リリアナに、話しましょう」
旦那様が驚いて、奥様を見る。
「……話して、どうする? あの子が嫌がるのは、聞かずとも分かるだろう?」
「それでもよ。王命である以上、どうしようもないわ」
「だが……」
「あの子も、貴族の家に生まれた以上、どうしようもないこともあるのだと分かっているはずよ」
厳しい表情で答える奥様に、旦那様はそれ以上何も言えず、そして、その場にリリアナ様が呼ばれた。
「お父様、わたしに大事なお話って何かしら?」
少ししてリリアナ様が、無邪気に笑いながら部屋に入って来た。
「……あら、お母様もクロードもいるのね。……クロード、どうしたの、そんな顔をして? ふふっ、よっぽど、お父様に怒られたのね。でも、大丈夫よ。お父様はお優しいから、きっとすぐに許して下さるわ」
……リリアナ様。
私は、まともにリリアナ様の顔が見ていられずに、思わず俯いてしまった。
旦那様は、自分の前でにこにこと無邪気に微笑んでいる愛娘に、話を切り出せずにいた。
「……リリアナ」
「なあに、お父様?」
リリアナ様に王命を伝えようと口を開きかけて、その度に何も言えずに下を向く旦那様に業を煮やした奥様が、代わりにその口を開いた。
「リリアナ、お父様が今朝、王妃様に呼び出されて登城したのは知っているわね?」
「ええ、知っているわ」
「あなたとエリオット王子の婚姻が決まったの」
「……えっ?」
「近いうちに王命が下されるそうよ」
リリアナ様の笑顔が固まった。
そのまま強張った顔のまま、奥様を見て、旦那様を見て、最後に私を見た。
けれど、奥様以外、誰もまともにリリアナ様の顔を見られなかった。
「……お母様、何を言って、……悪い冗談はやめて……?」
顔を引きつらせながら、やっと言葉を絞り出したリリアナ様に、奥様が表情を変えずに伝える。
「冗談ではないわ。もう決まったことよ。あなたもグランブルグ伯爵家の娘なら、王命に逆らえないのは分かるでしょう?」
目を見開いたまま顔を左右に振りながら、リリアナ様が後ずさる。
「……嫌よ、嘘よ、……そんなこと。……お父様がお許しになるはずが無いわ」
唇を噛んで下を向いている旦那様に、リリアナ様がすがりついた。
「ねえ、お父様。お父様ならきっと、お断りしてくれるでしょう? ……わたし、嫌よ、エリオット王子なんて。ねえ、知ってるでしょう、お父様?」
「……リリアナ」
「ねえ、お父様、助けて、お願いよ」
「……リリアナ」
旦那様の胸にすがりつくリリアナ様の頬を涙が流れる。
目を見開いたまま涙を流し、必死に懇願するリリアナ様に、旦那様は言葉を失くしてその場に立っていた。
「お父様を困らせるのはやめなさい、リリアナ。お父様が、これまであなたをどんなに大切に愛してきたか……」
「……それなら、どうしてこんなことを言うのっ⁉ わたしを愛しているなら、どうしてこんな酷いことを言うのよっ⁉ どうして断ってくれないのっ⁉ 嫌よ! 嫌っ! 絶対にいやあっ!」
すがりついて声を上げるリリアナ様に何も言えずにいる旦那様を見かねて、リリアナ様を引き離そうとその手を取った奥様に、リリアナ様が髪を振り乱しながら泣き叫ぶ。
……リリアナ様……。
いつも優しく穏やかだったリリアナ様。
ふんわりと微笑んで、可憐なリリアナ様。
こんなリリアナ様は見ていられない……。