103. いつかまた会える日まで
「どうしたの? そんなに怖い顔をして。何か気を悪くするようなことを言ったかしら?」
首を傾げて私を見る奥様に、慌てて頭を振って否定する。
オルガのことは決して奥様には言うまい。
今更、過去は変えられないし、それにこれは聞いてもあまり気分の良いものでは無いはず。
ならば、余計なことは言うまいと決めた。
奥様は、急に黙り込んだ私を、話を急かすでもなく、ただ優しく微笑みながら見つめていた。
その温かい包み込むような眼差しに、私はレオン様の言葉を思い出した。
『……お母様は褒めてくださるかな。……僕は、お母様に抱きしめてもらいたい』
涙を流しながら奥様を恋しがっていたレオン様。
奥様のいる王都の方角を見つめながら静かに涙を流すレオン様に、私は胸を締め付けられたのだ。
あの時の、レオン様のことを奥様に伝えられるのは私だけ。
そう思うと、私の口は自然と開いていた。
「……レオン様は」
「レオンがどうしたの?」
「レオン様は、奥様が褒めてくださるだろうかと言って、奥様が恋しいと、抱きしめてもらいたいと泣いていました」
奥様の見開いた目から、涙がはらはらと溢れてくる。
それを拭うこともせずに、奥様はとめどなく涙を流し続けた。
「……レオン、お母様だってあなたが恋しいわ。お母様が、どんなにあなたを誇りに思っているか。……よく頑張ったわね、レオン。お祖父様の代わりに領民を守ってくれて、ありがとう、レオン。お母様はいつもあなたのことを思ってる。愛しているわ」
奥様は顔を上げて、星を見ながら呟いた。
リリアナ様の中に眠っているレオン様に、奥様の心が伝わればいいのに。
私は上着の胸ポケットからハンカチを取り出して、奥様に差し出した。
「……ありがとう、クロード。わたくしの顔、今酷いことになっているでしょう?」
ふふっと笑う奥様の顔は涙に濡れていたが、それでも美しかった。
「いいえ、奥様はとてもお美しいです。泣き顔も、レオン様に似ていらっしゃいます」
「あら、あなた、あの子を泣かせたの?」
「えっ? いえっ、そんなことは……」
「どうなの? はっきり言いなさい」
問い質すような強い目で、奥様が私を見る。
その強さにたじたじとなるが、奥様はレオン様のお母様だ。
許されるならば、私のレオン様に対する気持ちを知って頂きたい。
唯一の理解者である奥様に。
「……私は、一生レオン様について行くと決めました。何があってもレオン様をお守りし、決して側を離れません。私にとって、レオン様は誰よりも大切な、掛け替えのない方ですから。……レオン様を愛おしむことはあっても、決して傷つけたり、泣かせたりはしません。誓います」
私の言葉を黙って聞いていた奥様が、少し驚いたような表情になった。
「……レオンって、凄い子ね。あなたにこんなこと言わせるなんて。信じられないわ」
そうして、いつものように私の頭をわしわしと撫でながら、まるでレオン様のように私の頬に頬をくっつけた。
「クロード。私の子を、お願いね」
「はい。……ですが」
「まだ何かあるの?」
さっさと言っちゃいなさいと、奥様が私を急かす。
奥様には伝えねばならない。
エリオット王子がオーランド領にレオン様を探しに行ったことを。
そして国王が、ラリサ王女をレオン様に妻合わせるつもりだということを。
「……レオン様が、オーランド領にて疫病を収束させたことが国王陛下の耳に留まり、……ラリサ王女と、妻合わせると。エリオット王子が、今、オーランド領にレオン様を探しに行っています」
「何ですって?」
ほんの少し前までとても穏やかだった奥様の表情が変わった。
「……それは確かなの?」
「はい。エリオット王子が馬車の中でそう仰っていました。父王がレオン様に褒賞としてラリサ王女に妻合わせると。王命で、オーランド領にレオン様を探しに行くと」
「……まずいことになったわね」
険しい顔をして、奥様は顎に指を当てて考え込んでいた。
「オーランド領で世話になった者にも、レオン様の素性は明かしていません。……ですが、レオン様は元侍女がアシュラン様と間違えるほど似ているらしく、そこからどう漏れるか分かりません」
「血縁関係を疑われるのは間違いないわね」
アシュラン様にも奥様にも兄弟はいない。
故に、アシュラン様の血筋と言えるのは、今やレオン様とリリアナ様のみ。
万が一にも、エリオット王子がグランブルグ家との関りを嗅ぎつけて乗り込んできたら……。
レオン様がリリアナ様であるという秘密がバレてしまったら……。
「しらを切り通すわよ」
……はい?
「知らぬ存ぜぬで、逃げるしかないでしょう」
奥様は腹をくくったかのような顔で私を見る。
「どれだけ疑われようが、今、レオンはいない。ここにいるのは間違いなくリリアナよ。……以前、ラリサ王女がリリアナのことを女装したレオンだと勘違いして、確認しに来たことがあったわね。あの時に、リリアナが女の子であることは確認済みのはず」
……そういえば、そんなことがあった。
リリアナ様に対するラリサ王女のあまりにも非礼な仕打ちに、私が怒りで我を忘れて取り乱しかけた時に、レオン様が現れて私を思い留まらせてくれた。
「レオンがリリアナの中で眠っている以上、どれだけ王命で探し回ろうが、見つけられないわ。秘密を知っているのは、わたくし達だけ。わたくし達が皆で口をつぐめば、きっとレオンを守れるはずよ」
私に言い聞かせるように奥様が言葉を続ける。
「クロード、心配しないで。わたくしはレオンの母親よ。長く会っていなくても、あの子の気持ちは分かる。レオンの望まない結婚など、絶対にさせないわ。……でも」
奥様が申し訳なさそうに私を見た。
「……しばらく、レオンは現れない方がいいわ。ほとぼりが冷めるまで。……あなたには、つらいことかもしれないけど」
もしもレオン様が本当にラリサ王女と結婚してしまえば、私はもう二度とレオン様には会えない。
平民で最初からレオン様とは身分が違う私は、王女の夫君となったレオン様の側に居られるわけがない。
レオン様をお守りすることも、側で見ていることすら許されない。
……それを思えば、しばらく会えないくらい、耐えられる。
ほとぼりが冷めれば、いつかまたレオン様に会える時が来るのだ。
「……私は、レオン様にまたお会い出来るのであれば、いつまでも待ちます」