102. 特別な時間
夜が更けて、私はいつものように庭に出た。
庭にある大きな木の根元に腰かけて、夜空の星を見上げる。
レオン様に会って帰った後は、いつもここで奥様とレオン様の話をしている。
レオン様のことを話せるのは奥様だけだ。
奥様は、初めてレオン様が現れた時に、キスしてしまったことでそのことを打ち明けられずにいた私を咎めることもせずに、優しく話を聞いてくれた。
レオン様とよく似た顔で、よく似た仕草で、奥様といると私は不思議な気持ちになる。
主家の奥方様というだけでなく、レオン様のお母様であるレティシア奥様は、私にとって特別な方だ。
さらっと衣擦れの音が聞こえる。奥様だ。
振り返ると、そこに奥様が立っていた。
「あなたに、レオンの話を聞きに来たのよ。ずっと一緒に居たのでしょう?」
ゆっくりと私の隣に腰かけた奥様は、いつも私に恋話をねだる時のマリアと同じ顔をしていた。
……あ、嫌な予感。
「それで、どうだったの? どうなったの? 何があったの? 全部包み隠さずに話しちゃいなさい」
悪戯っぽく私の顔を覗き込む奥様は、レオン様にそっくりだ。
奥様の勢いにせっつかれながら、私は少しずつオーランド領でのレオン様のことを話し始めた。
オーランド領に入ってすぐに、レオン様が現れたこと。
疫病が発生し、私がそこからレオン様を連れて逃げようとしたこと。
それに対してレオン様が、自分は貴族だから領民を守る義務があると、お祖父様の代わりに領民を守りたいと涙を流したこと。
伯爵家の書庫に、二百年前に異国で同じ疫病が発生した際の報告書があること。
その知識があったレオン様が、ラリサ王女に対処法を伝えて、疫病が収まったこと。
オーランド領だけでなく、他領も、隣国の民も救いたいと願っていたこと。
ラリサ王女を通して、疫病で大混乱に陥っている隣国に対処法を伝えるよう国王に嘆願したこと。
伯爵家だけで知識を独占するのではなく、書庫を公開して知識を共有するようお父様に進言すると言っていたこと。
奥様に話をしながら、私は自分の胸が熱くなるのを感じていた。
どれほどレオン様が素晴らしい方か、今更ながらに思い知らされたのだ。
賢くて、愛情深く、とても心が温かい。
思い出すたびに愛しさが込み上げてくる。
もしも今、レオン様が私の目の前にいたら強く抱きしめてしまいそうだ。
驚いた様子で私の話を聞いていた奥様は、すべて聞き終えると、ほろりと涙を流した。
「わたくしが、最後にレオンに会ったのは、あの子が五歳の時だったわ。だから、その時の面影しか無いのだけれど、……知らぬ間にそんなに立派に育っていたのね」
レオン様はもう十五歳なのに、奥様には五歳の時の面影しか無いのだ。
レオン様は十年前に屋敷で一度現れたきりで、その後は旦那様の命令で徹底して水を避けていた為、ずっとリリアナ様が現れていた。
ここしばらく何度かレオン様が現れたが、その度に私がキスしてしまい、屋敷に帰るときにはいつもリリアナ様だった。
奥様がレオン様と会えないのは、私のせいでもある。
そう思うと、奥様に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……私のせいで、レオン様に会って頂くことが出来ずに、申し訳ありません」
私がレオン様に会いたいのと同じように、いや、それ以上に奥様だってレオン様に会いたいに違いないのに。
項垂れている私の頭をそっと撫でながら、奥様が優しい声で私に言う。
「いいのよ、気にしないで。きっと、レオンがそう望んだのでしょう?」
レオン様とキスしたらリリアナ様に戻る。
私は恥ずかしくて、奥様になかなか打ち明けられないのだが、時々奥様は何となく気づいているようなことを言う。
……レオン様が、そう望んだ。
「……いえ、レオン様だけではありません。私も、望んだのです」
私の言葉に、奥様が嬉しそうに笑いながら私の頭をわしわしと撫でる。
「そう! クロード、あなた、やっと気づいたのね!」
「……え、奥様も気づいていらしたのですか? ……その、私が、レオン様を好きなことを」
まさか奥様にまで気づかれていると思わなかった私は愕然とした。
「そりゃあ、そうよ! だって、あなたってバレバレなんだもの! そのくせ鈍いのよね。レオンもじれったかったでしょうね」
まるでレオン様のようなニヤニヤした顔で、それから先のことを聞きだそうとする奥様に、私は気恥ずかしくて無理やり話題を変えた。
「あのっ、奥様っ。そういえば、昔オーランド邸で侍女をしていた者が、レオン様がアシュラン様に似ていると……」
「お父様に?」
アシュラン様に似ているという私の言葉に、奥様の動きが止まった。
「レオンはお父様に似ているの? ……それなら、クロード、あなたは苦労するわよ」
「え?」
「お父様はね、若い頃は国中の女が一度は恋をすると言われて、それはもう物凄くもてたのよ。お父様の絵姿を描けば飛ぶように売れると、絵描きが競って描いたものよ」
……そんなに?
「お父様が、一生独身で過ごすつもりだったのも、戦にばかり行っていたのも、実はあまりにもモテ過ぎて、逆に女嫌いになったんじゃないかと、わたくしは疑っているのよ。あと数年してレオンがいい年になった頃に、変な女に絡まれないように気を付けなさいね」
きっと、奥様は軽い冗談のつもりで言ったのだろう。
だが、私はオルガの言葉を思い出していた。
『お嬢様は何年もアシュラン様を思い続けて、報われずに』
『瀕死のアシュラン様に薬を飲ませて、御子を』
奥様の母君の侍女がアシュラン様に媚薬を盛ったこと、恐らくその時の御子が奥様であること。
そんなこと、奥様に言えるはずもない。