100. あなたを攫って逃げれば良かった
エリオット王子は、疫病が収束して領境封鎖が解除されたオーランド領の視察に訪れたのだと話してくれた。
本来ならば、疫病の発生が確認された時点で自分が派遣されるはずだったのを、ラリサ王女が自分が行くと言って強引に押し切ってしまい、兄として情けなく思っていたそうだ。
疫病が収まってラリサ王女が城に戻り、今度こそ自分が行かねばならないと視察に来たらしい。
「妹があれだけ頑張ったのに、兄の私が何もしない訳にはいかないからなあ」
エリオット王子は流れる汗をハンカチで拭きながら笑っていた。
「ところで、リリアナ。こんな所で何をしていたの? 今までオーランド領にいたのか? 疫病が流行って大変だったろうに、よく無事だったね」
「わたくしは、これから歩いて屋敷まで帰ることろです」
……やっぱり。
まさかとは思ったが、やはり歩いて屋敷まで帰るつもりだったか。
うふふと微笑むリリアナ様を見ながら、冷汗が私の頬を流れる。
「歩いて⁉ ここからグランブルグ邸まで⁉ とんでもない! 馬車で送ってあげるから乗りなさい」
リリアナ様はいかにも嫌そうに顔をしかめたが、私には天の助けの声のように聞こえた。
渋るリリアナ様をどうにか説得して、馬車でグランブルグ邸まで送ってもらうことにした。
……ありがたい!
さすがに狭い馬車の中、体温の高いぽっちゃりの男二人がいては熱気がむんむん籠っていたが、乗せてもらう身で文句は言えない。
歩いて帰らずに済んだだけでもありがたい。
「リリアナ、申し訳ないが、あなたを屋敷まで送ったら、私はすぐにオーランド領に戻らねばならない。だから、伯爵や夫人にはあなたから宜しく伝えておいて欲しい」
この後、エリオット王子の口から出た言葉に、私の心臓は止まりかけた。
「あなたも耳にしているかな。この度のオーランド領での疫病の収束にはラリサが活躍したのだが、さっき話したラリサが好きな男もかなりの貢献をしたらしいんだ。その男がいなければ、我が国も隣国と同じ目に遭ったかもしれないと父上が仰せでね。父上に命じられて、その男を探しに行くんだ」
……レオン様を、探しに?
リリアナ様はさほど関心が無さそうにのほほんとエリオット王子の話を聞いているが、隣にいる私は気が気ではない。
国王の命で、エリオット王子がレオン様を探しにオーランド領へ?
……大変なことになった。
やはりレオン様は目立ち過ぎたのだ。
ただでさえレオン様の容貌は人目を引くのに、あんな疫病が蔓延した地で先頭に立って指揮するなど、もっと強く止めれば良かった。
……いや、そんなこと出来るはずがない。
レオン様は貴族としての務めを果たしたいと、領民を守りたいと涙を流して言ったのだ。
それを、どうして私に止められるだろう。
「その男に褒賞を与えると言うのは、まあ建前でね。実は、父上はラリサをその男に妻合わせるつもりなんだ」
……え……?
……め、あわせ、る……?
「カティアが言うには、かなり高位の貴族の子息らしい。王女の相手として不足は無いようだし、私としても、そんなに美しい義弟なら大歓迎だよ」
……レオン様が、……エリオット王子の、……義弟?
……レオン様が、……ラリサ王女と、……結婚?
……そんな!
楽しそうに会話を続けるエリオット王子の言葉は、もはや私の耳には届かなかった。
……ラリサ王女を、妻合わせる、……レオン様と。
……レオン様が、ラリサ王女と。
……そんな、そんなこと。どうして。
……嫌だ、ダメだ、そんなこと絶対にダメだ!
どんどん視界が塞がって、目の前が真っ暗になっていく。
……どうして私は、レオン様を連れて逃げなかったのだろう。
いつまでもレオン様を待つと決めた。
だが、いくら待っても貴族のレオン様と平民の私では身分が違う。
一緒には居られない。
どんなに好きでも、許されない。
それが分かっていたのに。
どうして私はレオン様を連れて、ここから逃げなかったのだろう。
何処か遠い所へレオン様を攫ってしまえばよかった。
一緒に居られるなら何処でもいい。
あの時、攫ってしまえばよかった。
どうして私はそうしなかったのか。
誰にも渡したくないのに。
誰にも触れさせたくないのに。
あなたを攫って逃げれば良かった。