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10. 5歳児に翻弄されて

 そろそろラリサ王女も諦めて帰っただろうか。


 腰かけていた木の根元から立って、ぐーっと背伸びをする。

 目の前には小さく簡素な家が立ち並び、その奥の方には遊び場でもあるのか、子供の騒ぐ声がかすかに聞こえてくる。


「さあ、レオン様。宿に戻って荷物を持ったら、そのまま出立しましょう」


 レオン様は木の根元に座ったまま、何やら真剣な顔をして子供の声がする方を見ていたが、急に立ち上がって、立ち並ぶ家の裏手へ駆けて行ってしまった。


 ……またか! 今度は何だ? 


 慌ててレオン様の後を追って裏手へ行くと、草が生えた土手の手前に子供が数人、水面に向かって伸びている大木を囲んで声を上げていた。


 皆が揃って上を見上げているのを何事かと見ると、どうやら細い枝の先に猫がいて、降りられなくなっているらしい。


「レオン様! 川に近づいてはいけません!」


 子供達と一緒に木の上の猫を見ているレオン様に声をかけるが、その耳には届いていないようだ。


 ……川は危険だというのに。


 リリアナ様は川に流されて、気が付いた時にはもうレオン様に変化していた。

 前回レオン様がどのようにしてリリアナ様に戻ったのかは分からないが、リリアナ様と同じように水に濡れることで変化するのだとしたら、川は危険だ。


「レオン様! 危険だから川から離れてください!」


 何度呼びかけても、猫に気を取られて私の声にまったく気づかないレオン様にしびれを切らして、その手を引こうとした瞬間に、「危ないっ」と子供たちの悲鳴にも似た声が上がった。

 見ると、猫が更に枝の先に進んでしまったらしく、枝が大きくしなっている。


 ……あんなに細い枝の先まで行かれたら助けようがない。

 それに今は猫に構っている場合ではない。


「レオン様、もう戻りますよ」


 レオン様の肩に手をかけて帰りを促そうとするも、レオン様はそれをすり抜けて大木の根元に駆け寄り、怯えて小さく鳴き声を上げる猫を一点に見つめたまま、木を登り始めた。

 ごつごつとした硬い木の肌の間に細い指を引っ掛け、出っ張りに足をかけて、器用に登っていく。


「レオン様! 危ないから降りてください!」


 私の呼びかけにも応えずに、レオン様は枝分かれした所を上の枝に掴まりながらゆっくり移動していくが、その枝の先は少しずつ細くなっていて、いくらレオン様が身軽でも人の重さには耐えられそうもない。


「レオン様! もうやめてください! それ以上は危ない!」


 枝に掴まりながら、少しずつ腰を屈めて手を伸ばし猫を助けようとするが、レオン様の重みで枝がしなり、枝の付け根からミシミシッという音がする。


 ……枝が保たない。


「レオン様! 枝がもう保たない! 早く降りて!」


 何とかレオン様の手が猫に届いたかと思うと、猫はレオン様の腕から背中を通り、そのまま木を駆け下りていった。

 それを見ていた子供たちも、「わあっ」と歓声を上げながら猫を追いかけていく。

 木の上に残されたレオン様と私は、呆気に取られて顔を見合わせた。


「……ぷっ、あはははははっ!」


 耐えきれずに吹き出したレオン様はそのまま木の上で大声で笑い出した。


「レオン様、笑ってる場合じゃありません。危ないから早くそこから降りてください」


 木の上のレオン様を見上げながら、早く移動するように両手で促す私を見て、レオン様はにやっと意味深な笑みを浮かべる。


 ……あ、嫌な予感。


 予感が的中し、レオン様は木の上で両手を羽のように広げたかと思うと、そのまま私を目掛けて飛び降りた。


 ……危ない! ……だから何故、いつも飛び降りようとする?


 慌てて両手を広げて、落ちてくるレオン様をかろうじて受け止めたが、その弾みでバランスを崩して後ろに倒れ、川に落ちた。


 ……今日は川に落ちるのは二度目だ、なんて言ってる場合ではない。

 幸い、一度目とは違って川は浅く、増水もしていなかったが、私もレオン様もずぶ濡れだ。


「レオン様、大丈夫ですか? お怪我は? どこか痛い所はありませんか?」

「うん、大丈夫。……クロード、ごめんね」

「いいんですよ、レオン様にお怪我が無ければそれで」


 私の上に乗っかったまま、しょんぼりしているレオン様の濡れた髪を撫でる。

 しょんぼりしていた顔がへにゃっと崩れるのを見て、つい自分の顔も緩むのを感じながらレオン様を抱きかかえて立ち上がり、川から上がる。 


 ……それよりも、これから変化が始まるかもしれない。

 ……どこか、人に見られないところに身を隠さねば。


 辺りを見回すが、前には川、後ろには人家で身を隠せるような場所が無い。


 ……あのマントが手元に無いのが痛いな。


 常日頃欠かさず身に付けているマントは、着ていた服と一緒に宿の老女将が洗濯してくれている。

 その上、ぼろぼろでとてもそのまま使える状態ではない。

 それでも、あのマントがあれば人に見られぬように隠すことは出来たはず。


「……クロード、どうしたの? 僕、自分で歩けるよ」


 私がいつまでも抱きかかえて降ろさないのを不思議に思ったレオン様が、私の顔を覗き込んでくるが、いつ変化が始まるか分からないレオン様を一人で歩かせるわけにはいかない。


 ……下手に変化の最中に移動するよりも、変化し終わってから移動した方がまだマシかもしれないな。


 どのように変化するのか見たことが無く想像もつかない為、とりあえず少し離れた所にある茂みに身を隠して様子を見ることにした。

 レオン様を膝の上に乗せて座り、どこかに変化が無いか確認する。


「……クロード? どうして宿に帰らないの?」

「レオン様、お体に何か異変はありませんか? ……痛いとか、辛いとか?」

「……何ともないよ。何なの?」


 ……私が見る限りでは、まだ変化は始まっていないようだ。


 レオン様の額や頬、首筋に手を当てて熱が無いか確認する。

 レオン様は目をぱちくりさせながらも、そのまま黙って私の膝に座っている。


 ……マントも何もない状況で、急に誰かが来たらどうすればいいのだろう。


 決して誰にも知られてはいけない。

 変化が終わるまで、どうか誰も来ないでくれと祈りながら、ぎゅっと強くレオン様を抱き締める。

 誰にも見られない様にレオン様を腕の中に隠して、じっと時が過ぎるのを待った。


 ……どれくらい経っただろう。


 変化があるとするなら、充分な時間が経ったように思う。

 腕の中のレオン様は何の変化も無く、大人しくされるがままになっていて、レオン様の胸の鼓動が触れている胸をとおして私に伝わってくる。


 ……もう大丈夫だろうか。

 何の変化も無いということは、レオン様の変化のきっかけは水ではないのか。

 それなら何だ?


「あ、母ちゃん! ここだ! いたよ‼」


 ガサッと茂みをかき分けて子供が出てきた。

 この顔は、さっき猫が降りられなくなった木を取り囲んでいた子供の中にいた気がする。

 そんなことを思い出していると、子供の後ろから、逆さにした箒を手に持った体格のいい農婦が息を荒くして出てきた。


「あんたかいっ? 大男が綺麗な女の子を川で溺れさせて、無理やり茂みに連れ込んでるっていうのは⁉」


 ……はあっ?


「この変質者めっ! その女の子を放せっ!」


 そう言うと農婦は、いきなり手に持った箒の穂でバシバシ殴ってきた。


 ……ちょっ、出し抜けに何だ⁉ ……痛い痛いって!


 かなわず逃げ出すが、農婦はしつこく追いかけてくる。


「いい若い者が働きもしないで、昼間っからこんな子供を襲うなんて! 恥ずかしくないのかい⁉」

「違う! 誤解だ!」

「根性を叩きなおしてやる! 待てっ!」

「レオン様っ、助けて下さい!」


 ぽかんっと見ていたレオン様が思い出したように、箒を振り回して私を追いかける農婦の袖を引っ張る。


「おばちゃん、僕、男だよ」


 濡れたシャツが張り付いているレオン様の上半身を見て、一瞬時が止まった様子の農婦は、すぐにさらに激高して襲い掛かってきた。


 ……何故だ⁉


「男の子が好きなのかいっ⁉ この変態めっ! なおさらタチが悪いよっ! まさか、うちの子も狙ってるんじゃないだろうね⁉ このっ! このっ!」


 ……そんなわけないだろう。もう勘弁してくれ。今日はなんて日だ。


「おばちゃん、もう許してやって。クロードは僕の護衛なの。クロードがいないと、僕、家に帰れないんだ」


 エプロンを掴みながら話しかけるレオン様の顔を、その時初めてまともに見たらしい農婦は、傍目からも分かるほどに息を呑み、言葉を失くし、手から箒を落とした。


「……あ、で、でも、……襲われてたんだろう? ……怖い思いをしたんじゃないのかい? おばちゃんが助けてあげるよ?」 


 農婦が私を睨みながら、レオン様に尋ねる。

 ……私は護衛だ。己の主を襲うわけないだろう。


「違うよ。クロードは僕を心配してくれてただけ。とっても優しいんだよ」


 そのあどけない笑顔に、一瞬どこか後ろめたいような気持ちを感じたのは何故だろう。


 農婦は胡散臭そうに私を見ながらも、レオン様の言葉を聞き入れ、自分の家に招き入れてくれた。

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