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1. すべての始まり

 「…雨か」 


 雨が強く窓を打ちつけ、風が窓枠を揺らす音に目を覚ます。

 夜半から降り始めた雨は、いつのまにか大雨になっていたらしい。

 外はまだ薄暗く、起きるにはもう少し時間があり、寝床の中でぼんやりと昔を思い出す。



 私の名はクロード。

 平民ながら、名門グランブルグ伯爵家の一人娘リリアナ様の護衛を務めている。


 裕福な商家の娘だった私の祖母は、花嫁修業を兼ねた行儀見習いで伯爵家に入ったが、先々代の当主に気に入られて、そのまま伯爵家に残って仕えることになった。

 そして、同じ伯爵家の使用人と結婚して息子を授かり、幸せに暮らしていた。


 しかし、その後成人して家庭を持った息子とその妻だけでなく、自らの夫までも流行り病で一度に亡くし、たった一人残された孫である私を、働きながら女手一つで育ててくれた。

 祖母は、強くて優しい人だった。



 伯爵家の使用人のほとんどは敷地内にある離れに住んでいる。

 子供の頃は私もそこで、他の使用人の子達と一緒に育った。

 今、リリアナ様付の侍女をしているマリアもその一人だ。


 その頃の伯爵家には、御一家の他に、伯爵の遠縁にあたるアレクシオ様、地方貴族のキオン様やダーネル様、他に数人の方がいた。

 爵位の継げない次男や三男といった貴族の子弟が、名門のグランブルグ伯爵家で王族や上級貴族に仕える為の礼儀作法や剣術等を学んでいたのだ。


 旦那様の護衛騎士であるクラウス様の手解きを受けた貴族の子弟たちの剣の鍛錬の音は、いつも私が住んでいた離れまで響いてきていた。

 その剣の音がし出すと、子供だった私はすぐに離れから飛び出して、鍛錬を覗きに行っていたものだ。


 貴族ではない平民の、ただの使用人の子である私には、剣術など許されるはずもない。

 だが、そうと分かっていても、護衛服を着て剣を持つクラウス様の凛々しさ、精悍さを前にすると、自分の身分のことなどすっかり忘れてしまうのだった。


 自分も剣を持ちたい。強くなりたい。クラウス様のような騎士になりたい。


 鍛錬の度に、茂みに隠れてこっそり覗いている私を、旦那様の遠縁にあたるアレクシオ様は疎ましがっていた。


「クロード! また覗いているのか! 平民の癖に、お前は生意気なんだよ! あっちへ行け! 目障りだ!」

「まあまあ、アレクシオ。そんな酷いことを言わずに、大目に見てやれよ。まだ子供じゃないか」


 何かと言うと剣を振り回して私を追い払おうとするアレクシオ様とは違い、地方貴族の三男であるダーネル様は優しかった。

 私と同じくらいの年の弟がいるというダーネル様は、時折、アレクシオ様がいないのを見図って剣を教えてくれることもあった。


 強くなりたい。

 強くなって、自分も祖母のように伯爵家にお仕えしたい。

 強くなって、意地悪なアレクシオ様を見返してやりたい。


 強くなりたいというただ一心だった。

 ダーネル様に教わったことを忘れないように、木の棒を剣に見立てて毎日一人で練習していた。

 それを、ある日たまたまそこを通りかかったクラウス様に見つかったのだ。

 今にして思えば、あれが私の運命を変えた。


「平民に剣は必要ない。無駄なことはやめろ」


 クラウス様はそう冷たく言い放ったが、だからと言って、私の強くなりたいと言う気持ちは、簡単に諦められるものでは無かった。

 平民でも、自分で勝手に練習することは構わないはずだ。

 自分にそう言い聞かせて、私はそれ以降も木の棒を手に、一人で練習を続けた。


 それから、半年ほど経った頃だろうか。

 突然、クラウス様が私の前に現れた。


「お前は女みたいな顔をして、なかなか意志が強いし、筋も良い。きちんと教えて鍛えたら、将来は一角の者になるかもしれん」


 そう言って、クラウス様自ら剣を教えてくれるようになった。 

 それが更にアレクシオ様を始めとした他の貴族の子弟たちの機嫌を悪くする原因となってしまったのだが、幼い私にそんなことをおもんぱかる余裕などあるはずもない。


「身の程知らずの使用人の子が!」

「その女みたいな顔でクラウス様に取り入ったのか!」

「目障りなんだよ、お前は!」


 アレクシオ様達に、誰もいない場所に連れて行かれては殴られ、蹴られ、痣だらけになって離れに帰ってくる私を、祖母とマリアはとても心配した。


「クロード。もう剣の鍛錬なんてやめなさい。平民のお前は努力しても、どうせ騎士にはなれないのだから、諦めなさい」

「そうよ。毎日毎日こんなに痣だらけで帰ってきて……痛々しくて見ていられないわ」


 泣きながら私の手当てをする祖母に、子供ながらに精一杯の虚勢を張りながら私は答えた。


「これくらい、どうってことないよ、お祖母ちゃん。僕は強くなりたいんだ。誰よりも強くなって、クラウス様のように旦那様にお仕えしたい。それに平民の僕が、伯爵家の護衛騎士のクラウス様から剣の手解きを受けられるんだよ! こんな凄いことってないよ! 僕はアレクシオ様になんか、絶対に負けない! 負けるもんか!」




 そんなある日、グランブルグ伯爵家で事件が起きた。

 伯爵が溺愛する一人娘のリリアナ様が行方不明になったのだ。


 莫大な財産を持つ名門伯爵家令嬢が突然いなくなり、屋敷内は大変な騒ぎになった。

 すぐに箝口令が敷かれ、決して外部に漏れぬように秘密裏に捜索がなされた。

 身代金目当ての誘拐かと、皆が小声でひそひそと話をする中、しばらくしてリリアナ様が見つかった。


 何処でどのようにして見つかったのかは、一切使用人達には知らされなかった。

 ただ、リリアナ様は行方不明になっていた間の記憶を無くしていた。

 奇妙なことがあるものだと、口さがなく言う者もいたが、それは次第に消えていった。


 そして、その事件の後すぐに、伯爵家にいたアレクシオ様を始めとする貴族の子弟たちは全員屋敷を出ることになった。

 このようなことが起きてしまった以上、今後は他家の者は一切屋敷には置いておけぬと、何よりも愛娘を優先した旦那様が、彼等の出仕先や縁談を急ぎまとめて追い出したのだ。


 そして大切な娘を、決して片時も離れずに守る者が必要だと、そのお役目に使用人の子である私が選ばれた。


 傲慢で敵の多かったアレクシオ様はともかく、優しいダーネル様や他の貴族の子弟を差し置いて、平民の私が伯爵令嬢であるリリアナ様の護衛に選ばれたことに、周囲の皆が驚いたが、これはクラウス様の推薦だった。


「確かにクロードは平民だが、この子には剣の素質がある。私が鍛えれば、一角の剣士になるだろう。それに真面目で意志が強く、私がどれだけ厳しくしても、決してへこたれずについてくる。また、容姿に優れていることも護衛としては加点になる。それに何より、リリアナ様と年が近く、話し相手にもなれるだろう」


 その言葉を旦那様が受け入れて、私は平民ながらリリアナ様の護衛に選ばれ、その日から屋敷内に住むことを許された。



 それからは、私が護衛としてリリアナ様に恥をかかせることの無いように、身につける物など一切を与えられて、剣だけでなく礼儀作法も教わるようになった。


「クロード、お前ほど恵まれた子はいない。旦那様の恩を決して忘れないように」


 これは当時の祖母の口癖だ。


「どんなにお嬢様のお側に仕えていても、決して勘違いしないように。お前は平民。お嬢様とは身分が違うのです。決してお嬢様を好きになってはいけませんよ。身分をわきまえなさい」




 初めてリリアナ様、お嬢様にお会いしたのは、お嬢様が五歳で私が十歳の時だった。

 暖かく穏やかな日差しの下で、旦那様に手を引かれて現れたお嬢様は、これほど美しい子がこの世に存在するのかと思わず息を呑むほどだった。


 柔らかな蜂蜜色の長い髪は陽の光を浴びてきらきらと輝き、大きな青い瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいて、頬は薔薇色に上気していた。


 その美しさに気圧されて、ぽかんと開けた口を閉じることすら忘れて、私は自分の胸が早鐘を打つのを感じていた。


「リリアナ、今日からお前の護衛になったクロードだ」

「……ゴエイ?」


 リリアナ様にはまだ護衛という言葉は理解できなかったようで、ぱちぱちと可愛らしく目を瞬かせて旦那様を見上げていた。

 目の前で跪いている私が、旦那様に名前を呼ばれて顔を上げると、リリアナ様はふわっと可憐な花が咲き開いたような愛らしい笑顔を見せた。


 ……うわっ、可愛い。


「クロード……」


 少し舌足らずな口調で、リリアナ様は私の名を呼んだ。

 初めての主。初めての仕事。

 天にも昇る思いだった。

 この方が私の主。この美しい方を私がお守りするのだ。

 旦那様やクラウス様の御恩に報い、期待に応えたい。

 決して自分の立場を忘れずに、ただひたすらお仕えするのみ。




 先程まで激しく振っていた雨も気づけば止んでいた。

 外が少しずつ明るくなって、カーテンの隙間から光が漏れ入ってくる。

 私は寝床から出て、身支度を始めた。


 お嬢様の護衛に選ばれてから、あっという間に十年が経った。

 その間に私はぐんぐんと成長して、その背丈は今や旦那様やクラウス様を超えた。 


 お嬢様に恥をかかせない為に、私が身につける物はすべて旦那様が揃えてくださっているのだが、私のあまりの成長の早さに仕立てが追いつかないことも度々あった。


「クロード、……一体、お前は何処まで成長する気だ? 天井まで行く気か? 大きくなり過ぎだ」


 クラウス様と苦笑しながらも、毎回きっちり誂えてくださる旦那様には感謝しかない。


 滑らかで艶のある黒い生地で仕立てられ、袖口や襟には細かな刺繍が施された優雅な上着を着た後、忘れずに肩に黒のマントを付ける。

 これは、長身の私の為の特別に長いマントだ。


 これからお嬢様の元へ向かう。

 髪や服装に乱れがないか、鏡の前に立って全身を確認する。

 黒髪に黒の上着、黒のマント。

 我ながら、いっぱしの騎士に見えるのではないだろうか。


「平民の私に、こんなにも良くしてくださる。有難いことだ」


 貴族の気まぐれ、玩具扱いと陰口を叩く者もいる。

 だが、私には掛けがえの無い大切な主家だ。

 これまで受けた恩に必ず報いねばと、決意を新たにする。



 コンコンッ。


「クロード、お嬢様がお目覚めになったわ」

「分かった、すぐに行く」


 お嬢様付きの侍女になったマリアが、ドアの外から声を掛けてくる。


「エリオット王子が昨日の帰り際に、また明日って言っていたから、多分昼頃には来て、また長居するんじゃないかしら」


 ……エリオット王子か。

 朝から全身の力が抜ける気がする。

 


 あの事件の後、旦那様は私をお嬢様の護衛に付けただけでなく、お嬢様の一切の外出も禁じた、


「外に出て、もし何かあったらどうするんだ。ほんの少しでも私の目の届かない所に行ってはいけない」


 それはただ愛娘の身を案じた親心から出たものだったが、お嬢様はそのまま年頃になっても「虚弱だ」という建前で、外に出ることは無かった。


 これほどの美貌を埋もれさせるのはあまりにも惜しいと皆が思っていたが、当のお嬢様が外の世界にまったく興味を示さず、たまに客人が伯爵家を訪れても驚いて隠れてしまうような、そんな人見知りな方に育ってしまっていた。


 お嬢様が子供のうちは、それでも何とか誤魔化せていた。


 だが、成長するにつれ美しさにさらに磨きがかかったお嬢様が、誰にもその存在を知られずにひっそりと隠れ暮らす……などと出来るはずもなく。

 いつの間にか、グランブルグ家の掌中の珠の噂は国中に広がってしまっていた。


 何だかんだと理由を付けて、噂の令嬢を一目見ようとする輩が屋敷に来るたびに旦那様が叩き出していたが、とうとうそれを物ともしない猛者が現れた。


 それが、このアルディ国の第二王子エリオット殿下、その人だ。



「王子が来るなら、きっとお嬢様が不安がっていることだろう。急ごう」


 私は部屋を出て、マリアと共にお嬢様の元へ向かった。

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