王子がじゃがいもに見えてしまった
「つっっっかれたぁぁ〜〜……」
王都が一望できるようなお城の超絶VIP席。そんなところにあるふかふかソファに横たわり、私は疲労困憊のため息を吐いていた。
しかし、突如聞こえるノック音。「失礼する」なんてお馴染みの声が耳を通り抜け、すぐさま姿勢をピンと正しく整えた。
「体調はどうかな? 不快な所や感情は残ってない?」
尋ねる王子は相変わらずの爽やかオーラで。さも当然のように、私の隣へと腰掛けた。
体調――そりゃもう眠いし、疲れたし、早く家に帰りたい。
けど、また不十分だとか言われて、あの苦行をもう一周とかは絶対嫌だし無理なので。私は、凝り固まった頬を無理矢理持ち上げて、自称淑女の微笑みを王子に返しておく。
「すこぶるいい感じです。全く問題ありません」
「そうか、なら良かった」
僅かに口角を上げ、静かな笑みを浮かべる王子に安心する。
小さく息を吐けば、思い起こされるのはあまりにも辛かった約五時間。
あれは私に対する罰なのか、矯正プログラムだったのか。どちらにしろ、命に別状がなかったのは良かったけど。
なにせ苦痛を与えるにしては十分すぎるものだった。
王家秘伝の聖水を煮詰めた湯、とか言って。明らかにドロドログツグツしたものに身体を沈められれば、全身チクチク電気が走るみたいに痛かったし……。恐ろしい力で全身隈なく揉みしだかれた時には、身体が引きちぎれるのかと思ったくらい。
けれど何より辛かったのは、精神浄化なるもので。全身白装束のお爺ちゃん数名にぐるぐる周りを取り囲まれながら、延々と呪文を唱え続けられるのは、本当に頭がおかしくなりそうだった……。
よく耐えた、よく頑張ったぞ私。
ヒシヒシ自らを労っていれば、今度はメイドさんが部屋に入ってきて、何故だかティーワゴンだけをおいて綺麗なお辞儀と共に出ていった。
同時に王子が立ち上がる。
「マリウ島から茶葉を取り寄せたんだ。是非君に振舞わせてくれ」
とか言いながら、ワゴンの前に立つ。
マ、マリウ島……?
ていうか、役立たずの身でそんな素晴らしそうなものいただけない! 恐れ多すぎて潰れてしまう!
そんな思いで私もすかさず立ち上がった。
「いや、そんな貴重な品申し訳ないです! それに王子、手ずから淹れてくださるなんて……」
しかし、王子は手を止めず、なんなら軽い笑みすら浮かべながらも、
「そう思ってくれるなら、僕の我儘に付き合って貰えると嬉しいんだけどね」と。
そんなことを言われては、引け目持ちの私は渋々腰を下ろしていくより他はなくなって。これは餞別だ、とか言われたらどうしよう……、なんて不安を胸に抱いてじっと待つことになった。
部屋には、流れ落ちる湯の音と、微かな陶器の衝突音だけが鳴っていて。王子の美しい所作には、惹き込まれてしまうものがあった。
本当になんでも出来るんだなぁ……と、そんなことを思ったりする。
正直、私が持っている王子情報は他と比べて多くない。名前ですらニュアンス覚えな私だから、王子のそっくりさんが二人といたら、まず本物を選べる自信がないほどだ。
けれど、そんな私でもよく知っている肩書きが二つほどあったりして。
その一つが、稀代の天才というやつだったりする。
王子は、成績優秀、剣術等の実技も含めて極めて優秀だと噂に名高く。それがまた、学年トップとかそういう次元を軽く超え、学園が定めた一般的には無謀ともいえる条件をクリアしてやっと授かれる『特殊奨学金』という制度の対象者になっているというのだ。
ちなみにこの特殊奨学金生は試験順位には一切依らないようで、単純に試験成績の条件達成有無で決まるとのことなので、対象者が出たのは実に四年ぶりらしい。
そんなことが入学一年前、片田舎にある我がオーフェル領にすら新聞が飛んできたので、記憶に強く残っていた。
まぁ、全額無料とかいいなぁ〜〜とか、そんな理由だったんだけど。
そしてもう一つ、王子の代表する肩書きには副生徒会長というものもある。これは、特殊奨学金生のオマケみたいなもので、奨学金生は学年に依らず生徒会入会が必須らしい。そのため、王子は奨学金生となった入学当初より、ずっと生徒会の一員として身を置き続けているというわけなのだ。
思い返して並べてみれば、『天才』に『副生徒会長』なんて錚々たる文言。私だったら、五分と経たず逃げ出しちゃいそうなヘビー級の重圧だ。
けれど、王子はそれを背負いつつ、なんなら生来『第二王子』なんて特別ビッグな肩書きすらを持ちながら、尚も苦悩なんて見せない優雅な姿を披露し続けているのだから、最早格が違う――生きてる世界が違うとしか言いようがない。
きっと王子に愛されている女性も、さぞ立派な方なんだろうなぁとか思ったりする。
そんなことを考えていれば、紅茶が淹れ終わったようで、
「口に合うといいんだけど」
なんてことを言いながら、王子が私の前にカップを置いていく。
だから、私もお礼と共におずおずとカップを手に取って、
「いただきます……」
なんて言ってから口を付けてみる。
ふわりと広がる、柑橘系の香り。僅かな酸味が鼻を突き抜けて、苦行で溜まった疲労を消し飛ばすかのようだった。
「美味しい……」
呟けば、王子は嬉しそうに「良かった」と微笑んだ。
それから、王子は再び私の隣に戻ってきて、いつになく真剣な面持ちで静かに口を開いていった。
「君にひとつ、話しておきたいことがある」
そんな言葉に、私はギクリと身体を強張らせた。
き、来た……!
一旦は落ち着いた私の胸が、途端に騒ぎ出す。内容は恐らく、お役御免のお話だ。
こっちが頑張って恋人のフリに励んでるっていうのに、なんでお前は異性の裸見て喜んでるんだ! って話だと思う。
いや、喜んではいないんだけど!
そりゃ、ちょっと過剰なところはあったけど、王子の偽装恋人への執念は本当に徹底したものがあった。
こんな二人きりだって、敢えて隣に座ってくるあたり、想いに懸ける真剣さがよく分かる。
だからこそ、私の足を引っ張るような行為は許せないんだろう。
けれど、王子は決して感情的に私を叱咤するでもなく。あくまで落ち着いて、少しだけ言いづらそうに、
「今後の君との関係だが――」
そんな風に切り出した。
一方私は、予想ルートを寸分違わぬ調子で駆け抜ける王子に焦燥感を募らせて、
「ああああのっ……! 私も王子にお話がありまして」
どうしようどうしようと急かされるがまま、考えもなしに飛び出した。
「……あぁ、そうだったか。それなら、君から先に」
言われて、遠慮なく口を開く。
焦った私は、礼儀なんて頭からすっぽり消えていた。
「あっ、あの、私!」
まずいまずい、こっからなにも考えてないぞ!
焦る心に垂れる冷汗。けれど、不思議と口は意外と頼もしく言葉を紡ぎ出していって。
「わわ私……、しっ、知りたくて……」
気が付けばそんなことを口走っていた。
今思えば、なんであんなことを言ったのか。多分勢いだったんだとは思うけど。
それにしたって、あり得ないと思う。
悉く自分は打算的な人間なのだと。
もっと、謝罪とか懇願とか色々言葉はあったはずなのに――
「……知りたい?」
まさか――
「はい……。わ、私、もっと、もっと……。お、王子の事を知りたいと思っておりまして」
「……え?」
父の言葉――
「王子と……、いや」
じゃがいもってね、個性があるんだよ。その品種にあった土、肥料、貯蔵に熟成。勿論、その時々の気候に合わせたりしてね。その子をよく見て知って、気に掛けて。合った育て方をして初めて、味を咲かせくれるんだ。
――なんて、そんな言葉を思い出して。
「イルヴィン様と。もっと……、もっと仲良くさせていただきたいので!」
王子にお金どころかじゃがいもを重ね。あろうことか今更信頼を得ようなんて――
恋人のフリがダメなら、友人として仲を築いてお金をいただこうなんて――
はしたなくも思い付いてしまったのだから。
「…………」
唖然とする王子、無理もない。
こいつ往生際が悪過ぎるだろう、と思われているんだろう。始末されないだけマシと思えとも、思われているのかもしれない。
けれど、私だって醜態晒しても捨て切れないものがある。そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。
もし今回見逃して貰えたら、次は絶対にヘマはしない!
それに、言っちゃったものは取り消せない!
そんな気合いと勢いだけで、なんとも居づらい空気に身を留めていた。
ややあって、王子は眉根を寄せた。
悩むように少し俯いた。
これは、ダメなやつ……? そう思った瞬間、王子の言葉は意外なものだった。
「……もう一度言って貰えるだろうか?」
えっ、まさかの聞き取れなかったパターン?
そんなことを思いつつ、少し芽生えた羞恥と共に、もう一度口を開いた。
「え、えっと……その。王子と、仲良くさせていただきたいのです、と……」
多少モゴモゴしつつ伝えれば、
「……先程は、名前が入っていたはずだ」と。
なので、やり直しもう一回。私は、ギュッと拳を握り、高まる羞恥と共にまた口を開いていった。
「なっ、仲良く……、仲良くなりたいですと言いました。……イ、イルヴィン様と」
消え入りそうになりながらも言い切れば、何故か王子は私の手を取った。
そんな行動に流石の私もピンとくる。
あ、これは……。
これは……。
「分かった、すぐ手配しよう。日時は今週末。君には見せたい景色、連れて行きたいところが沢山あるんだ。案内させてくれ」
恋人のフリ、続行……?
そんな気付きとほぼ同時。私は疲労蓄積故に、またも意識を手放した。
霞む視界の中、何故だか王子が笑っている。そんな気がした。
「……疲れがあったからね」
イルヴィスは突如ソファに倒れ込んだミラに驚くこともなく、ただ静かに微笑んでそう呟いた。
立ち上がって横へ行き、その頬にそっと触れる。それから、軽々ミラを横抱きにした。
ダランと垂れるミラの左腕に、イルヴィスは苦渋の顔をあらわにする。
「さっきは、しっかり掴んでいたのにね……」
イルヴィスの頭には、ミラがアスラの腕を掴んでいたときの様子が浮かんでいた。
あれは、完全に事故的なものなのだが、イルヴィスにとってはミラからの接触というのは、それほどまでに貴重なものだったのだ。
だから、イルヴィスの機嫌はずっと悪かった。アスラに対しても、果てしない嫌悪を抱いていた。
それでも、笑みを浮かべていられたのは、『ミラが無事だった』『ミラが目の前にいる』その事実だけで成り立っていたことだったのだ。
そんなイルヴィスがミラを連れていった先は前回同様、自室。
イルヴィスはミラを自身のベッドへと優しく下ろすと、眺めるようにして自身もベッドへと腰を下ろしていった。
そして、ミラの頭をゆっくり撫でる。
「どうなってもいいって、なんでも言うこと聞くって、それは今も有効なのかな……?」
そう言って笑みを浮かべるイルヴィスは、ただ愛おしそうにミラの唇を撫でていった。
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