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家族

 今日は息子がクラブの合宿でいない。時間を気にせずに話ができる機会だと思い、仕事帰りにアトリエに寄ることにした。

何かきっかけが欲しくて、昨晩作り置きしていたリンゴのコンポートを使ってパンを焼いた。

アポなしなので、伊山君が不在ならパンだけ置いて帰ろうと思っていた。


 アトリエには伊山君だけだった。

今までに見た事のない、思い詰めた表情で作品を見ている伊山君。

直ぐには声を掛けれなかった。余りにも辛そうで。


出来るだけ明るい声で「こんばんは!パン焼いてきたの一緒に食べない?」

一瞬にしていつもの表情に戻った伊山は、笑顔で珈琲を入れてくれた。私はオーブンを借りてパンを温めた。

外のベンチに二人並んで「いただきます!」

珈琲の苦みとリンゴの甘さが丁度良かった。美味しさでお腹が満たされると、二人の間に流れる空気は穏やかになった。

「伊山君、ちゃんと眠れてる?」

「まあまあだよ、少々寝れなくても、大丈夫さ。」

「何があったの?最近作風が変わったわ。何かに苦しんでいるようにも見えるし。」

「う~ん。そうだね、今人生で初めての感情に苦しめられているかなぁ。でも、苦しい反面、ワクワクもしている。これはチャンスさ!成長する為のチャンス。乗り越えられない試練はないよ。」

伊山君の横顔に迷いはなかった、力強くさえあった。 

結局原因は分からず仕舞いだったが、伊山君の言葉を信じて帰ることにした。


 アトリエからの帰り道、一人で帰られると言う私に、伊山君は送ると言った。

そして「出来れば、一緒にきて欲しい場所があるんだ。遅いし無理かな?」

私は少し悩んで、「息子が合宿で泊まりだから、少しなら大丈夫よ。でも、遠くじゃないよね。」

 伊山君は車で高台に向かった。「月並みだけど、夜景なんだ。でも僕の秘密の場所なんだよ、悩んだ時、嬉しい時、何か抱えきれない時、此処に来て自身と向き合うんだ。本当はもう少し早い時間がお勧めなんだけどね。」

 車を路肩に停め、獣道のように細い道を行くと、パッと開けた場所に出た。穴場なのだろう、人はいなかった。

市街が見渡せる絶景で、その先に黒い海が闇となって広がった。美しさと恐さを兼ね備えている景色に魅入った。


 しばらく言葉も交わさず、立ちつくしていた。ふと横を見ると伊山君が私を見つめていた。「顔に何か付いてる?」慌てて頬をさわる私を、伊山君は笑った。

「何も付いてないよ、なんか見ていたくてさ。いつまでも見ていたくて、綺麗な横顔だ。」

「何言ってんの、からかわないでよ。」私は俯いた。

懐かしそうに「初めて会った時も神崎さんは俯いていたね。どうしたら、こちらを見せてくれるのかとあの時も思ったなぁ。」


 伊山君が急に真剣な顔で「ところで神崎さんは、今幸せですか?」

私は動揺を隠しつつ「幸せって。まぁそれなりに。」

「ずるくない?『それなり』ってさ。じゃあ質問をかえよう。愛している人はいますか?旦那さんを愛していますか?」

私はびっくりして一瞬言葉に詰まった。「愛しているわ、家族として。」

「それは、情ってやつ?まぁ、それも一種の愛情だね。でも俺が聞いているのは、欲情するかってこと。旦那さんと抱き合ったり、キスしたり、セックスしたりできるか?ってこと。」

私は言葉に詰まった。確かにここ何年も寝室すら共にしていない。

夫に最後に触れたのはいつだろう?

「これからも、寂しさと向かい合っていけるの?それで本当に幸せなの?」


 私は自分の気持ちを整理するように、ゆっくりと言葉にしていった。

「正直、怖いよ。息子が独り立ちした後、私は一人になる。主人には、愛する人がいるから。

でも、私からは離婚できない。彼の出世には離婚はダメージになる。彼の頑張りはずっと見てきたから

知ってる、だからこそ彼の人生の足を引っ張ることは出来ない。」

私は結婚前の私達に思いを馳せた。

「今はこんな夫婦になっちゃったけど、昔は違ったの。私は何度も彼に救われたわ。

だから、息子が巣立ち、主人が地位を確立したときに、初めて私から離婚を切り出せる。それまでは、力になりたいの。私達は一度は愛を誓った夫婦で家族だしね。」

「先に旦那さんから離婚をきりだされたら、どうするの?旦那さんには愛人がいる。神崎さんは一人になるよ。」

「確かに、私に帰れる場所はないなぁ。でもね、彼には幸せになって欲しいと思ってる。だって一度は

愛した人よ。不幸になってなんて欲しくない。残念ながら、私では彼を幸せにできない。」


私は、込み上げる哀しみを抑え込み、笑顔を作った。無理にでも笑わないと涙が溢れてくるから。

「でも一人って、意外に自由で気軽に生きれるかもよ。」まっすぐ前を見た。


「あなたは何故そこまで、自分を大事に出来ないんだ。」絞り出すような声で伊山君は言った。

そして、怒りと悲しみに満ちた眼で私を見つめた。

「以前も言ったよね。『もっと自分を大切にして下さい』って。」

私以上に傷ついた表情で「俺はあなたが幸せならこの気持ちを、何をしてでも抑え込む自信があった。でもあなたが幸せでないなら、この気持ちを抑え込むことはできない。」

「何言ってるの?」

「さっき言った事覚えてる?俺が初めて抱えた『感情』。」

彼は驚く私の瞳を真っ直ぐ見て、「それは、嫉妬と執着だよ。」言った。

「誰に執着してるって、神崎さんあなたに。誰に嫉妬してるかって、あなたの旦那さんだ。」

私は驚いて、よろけて、その場に座りこんだ。

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