彩る日常
伊山君からメールでアトリエに下絵を持って欲しいとあったので、仕事帰りにアトリエへ寄った。
アトリエでは伊山君が一人で、紫煙をくゆらしながら作品を見ていた。その真剣な横顔に年甲斐も無く胸が締め付けられていた。私はその研ぎ澄まされた空気を壊したくなくて、彼を見つめていた。
視線に気付いた伊山君は先程までの表情とは全く違う、人懐っこい笑顔をこちらに向けた。
私は何処か残念に思いながら、「こんにちは、神崎です。」と言った。
もっとあの横顔を見ていたかったのに。
「下絵を持って来ました。PCに取り込んであるので、良ければお貸ししますよ。」
「ありがとう、助かる。実は制作途中で行き詰まって、ヒントを探してたら神崎さんの顔が浮かんできたんだ。じゃあ、お言葉に甘えてお借りします。」
彼はちょっと疲れた顔だった。
「眠れています?なんか顔色も悪いですよ。ちゃんと睡眠と食事取っています?」
「神崎さん、うちの母さんみたいな事言うなぁ。ありがとう、大丈夫!」
「軽視しては駄目ですよ!睡眠と食事がしっかり取れていればどんな難局も乗り越えられます!」
「はい、気を付けます。」伊山君は嬉しそうに頷いた。
急にいたずらっ子な表情になった伊山君は「そうだ、神崎さんの膝は大丈夫?跡になってない?」と聞いてきた。
「えっ何で、膝なの?」私はよくわからなくて、呟いた。
「あれ、俺の事覚えてない?絆創膏。」彼は愉快そうに笑顔で言った。
「えっ伊山君覚えてたの?絶対忘れてると思ってたよ。もっと早く言ってよ。私は一目見て気づいてたよ。」
「忘れてる訳ないじゃん。僕も一目で分かったよ。でも言い出すタイミングがなくてさ。」彼は愉快そうに笑った。あの時を思い出し、散々笑いあって楽しい時間を過ごした。
帰り道、私は足取りが軽くなっているのを感じながら家路についた。
数日後、試作品を持って、彼らのアトリエを訪れた。
「試作品持ってきたので、ご意見頂ければと思います。」
私が意見を求めると、まず伊山君が
「この場所には、外の作品が入るから、色味抑えつつももう少しメリハリを出したいなぁ。」
「では、この植物なんかどうでしょう?フォルムや彩度にメリハリがつくと思います。」
色々な意見を交わしながら、作品の方向生を各々が探っていた。
国近さんといえば、伊山君が言ったようにいつもの国近さん、いやいつも以上の国近さんにパワーアップしていた。
「古来より野生に存在する野花の凛とした、強さが欲しいの。もっと力強くないと私の作品に負けて、相乗効果にならないでしょう。」と手厳しい事も言われたが、事実だし何より勉強になった。
皆と過ごす時間は私には、キラキラと輝いて彩られた時間となっていた。
興奮冷めやらぬ気分で、暮れがかった中を家路に急いでいると後ろから、
「神崎さん、送ってくよ。遅くなっちゃったから乗ってよ。コンビニ買い出しもあるからさ。」ワゴン車に乗った伊山君だった。
「ありがとう、遅いので助かります。」私少し緊張しながら車に乗った。
「国近さんパワーアップしてましたね、凄い。伊山君の言った通りだった。」
「8年間の付き合いだからね、彼女の強さには何度となく驚かされているよ。」彼は少し、胸を張って微笑んだ。その表情からは 本当に彼女を大切に想ってる気持ちが伝わった。
自宅が見えて来たところで、自宅前にタクシーが停まるのが見えた。
私は思わず、「車を停めて!」と言った。
伊山君はハザードランプをつけて車を脇に停車させた。
タクシーから主人が降りてきたと思ったら、色白な華奢な腕が伸び、彼を引っ張り別れ際のキスをした。
私は一瞬、目を見開いた。そして思わず座席にしゃがみこみ隠れた。
「もしかして、旦那さん?」
私は微かに頷いた。
彼は主人が家に入ったのを確認すると、車を出した。そして黙ったまま車を走らせた、15分ほど走っただろうか車は信号で停まった。
「どうする?珈琲でも飲みに行く?」
「いえ、大丈夫、帰るわ。制作が忙しい時にごめんなさい。」
「神崎さん、もしかして、知ってたの?」
私は軽く頷いた。
「以前から疑ってたの、だから大丈夫。」
「なんで、話し合わないの?」
「そんな事して波風を立てたくなかったの。息子を動揺させたくなくて、彼が成人して自分で生活できるようになるまでは、親の助けが必要なの。息子が成人してから私の人生を考えれば良い。」
「なので、平気。こんな事くらい。」少し震える声を押さえて言った。
伊山君は少し悲しそうな瞳で私を見つめた。
そして「もっと自分も大切にして欲しいな。」
そう呟くと、車を出した。




