約束
家まで送ってくれると言うので、伊山君の車に乗った。
彼は以前行った高台へと私を誘った。
私は少しでも『その時』が先延ばされることが嬉しかった。
以前来た高台と場所は同じだが、以前と異なり辺りはまだ暗くなっていなかった。
「神崎さん、トワイライトタイムって知ってる?」
「トワイライトタイム?」
「日没15分から20分の間を指す言葉なんだ。空の端が赤からオレンジ、青と変わっていく、この瞬間に心を奪われるんだ。キラキラしていた海が、漆黒の海へと変わっていく。」
二人で言葉少なく、眼下に広がる風景を見つめていた。
私は急に孤独を感じ、怖くなって身震いした。そんな私に彼はそっとシャツを掛けてくれた。
彼のシャツからは絵の具の匂いと、少しの煙草の匂いがした。
その匂いが、私を孤独から救い上げてくれた。
「過ぎゆく時間の流れを肌で感じられる。とても切ないわね。人生の終焉みたい。」
「そうなんだ。昼間と全く違う表情に変化するこの時、人の最後は孤独だと突きつけられる。
前にも言ったけど、ここへは自分と向き合うために来てるんだ。だから誰かと一緒に見たいと思ったことは無かった。一緒に見たいと思ったのは、紗奈さんが初めてだよ。」
「こんな時、あなたは俺の特別な人なんだと実感する。
終焉は変わらず孤独なはずなのに、今は心が暖かいんだ。一人でいても、どこかであなたと繋がっている気がする。」
彼は真っ直ぐに私を見た。「愛しています。今は無理でもいつか、息子さんが成人したら、僕と一緒に生きて欲しいんだ。」
私はとても嬉しかった。「そんな日が本当にきたら嬉しい。」本音だった。
「でも私は伊山君には本当に幸せになって欲しいの。子供を持つって普通の幸せだけど、かけがえのない幸せなの。私を待っていたら、子供は持てないわ。こんなに価値観の変わる人生経験を感性豊かなあなたにこそ、ちゃんと経験して欲しいの。それに伊山君のご両親や周りの事を思っても、私では問題が多すぎる。」
彼は悲しそうな表情で小さく首を振った。
「世の中にどれだけの夫婦が子供を持てなかったり、持たなかったりしてると思う?本当にその夫婦が幸せでないと思う?もし、子供が欲しいなら養子だって、代理母だってある。
幸せへの形態は多様にある。肝心なのは、誰と生きるかだと思う。」
私はハッさせられた、子供を持つことだけに囚われた私は夫婦としての幸せを失ったのだ。
「俺はあなたといる事で、今回作家として成長できたと思う。これからも俺の制作の活力になるのは、紗奈さんの存在だと思う。だから、あなただけの価値観で俺の幸せを決めて欲しくない。俺はあなたと時を共に歩むことが幸せなんだ。」そう言って愛おしそうに私を見つめた。
「両親は、時間を掛けて説得していけばいい。俺を育ててくれた人達だ、もし今理解されない事があっても、いつかきっと分かってくれるさ。」
私はしばらく何も言えなかった。私の思いはただの自己満足だったのかもしれない。
「そうね、私が間違っているのかも。でも、きっとあなたの周りの人々を悲しませる結果になると思う。そんな選択をして欲しくないと思う反面、我儘だけど伊山君と生きたいと思ってしまう。」
「それで良いんだよ。二人で迷い、悩めば良い。俺達は出逢うべくして出逢った、唯一無二の存在なのだから。」
その言葉で私の迷いは消え、本心が露わになった。「主人と話し合うわ。慶太が大学生になったら、別の人生を歩めるように。その時、伊山君が独り身で、まだ私を想っていてくれたなら、その時は一緒に生きたい。」
「初めてだね、紗奈さんが自分の欲求を口にするのって。」
私は初めてこの言葉を口にした。「伊山君、愛しています。」
彼は今までに見たこと無い満ち足りた顔で微笑んだ。




