④「目と耳塞いで蹲ってろ」
いよいよダンジョン編スタートです!
どうなることやら。
「うっし、ここが今回攻略する初心者向けダンジョン、通称:【橙の鳥居】だな!」
ブゥゥン、という鈍い音が響いたかと思うと、次の瞬間、目を開けた僕たちは、じめじめした石作りの大部屋の中にいた。広さはおよそ十メートル四方くらいだろうか?僕はスポーツをやらないので確証は持てないけれど、恐らく、テニスコートやプールの長い辺の、丁度半分くらいのサイズの、正方形の部屋、って感じだ。足元を見ると、これまた壁と同様に、苔むした石造りになっていた。壁も床も、かなり経年劣化しているのか、“あるいは何かがここで起きたのか”、所々欠けた部分が見受けられる。壁には等間隔でいくつか松明が掛けてあって、そのおかげで部屋の中は明るく、ある程度見通しが効いた。僕らから見て前方と後方に細長い通路のようなものが見えるけれど、どちらも先の方までは松明の明かりが届かず、暗くてよく分からなくなっていた。ぐるりと辺りを見回して得られた情報は、ひとまずこんなところだろうか。
「……おーい、シャッチィ〜、いつまで手ェ握ってんだよー」
ラミィ先輩に指摘されて、僕は握っていた右手を慌てて離した。
「相当緊張してんな……まあ無理もないか。なんせ初めての異世界転移なんだもんな」
なるほど、じっとりと汗ばんでいた手のひらは、当然ラミィ先輩に、僕の心情を余すことなく丸ごと伝えてしまっていたワケだ。
「異世界?ここって、僕たちのいる世界とは違うんですか?」
そりゃあ、異世界という単語自体は聞き覚えがある。というか、昨今の漫画やアニメや小説なんかのテーマとしてしょっちゅう出てくるので、もうすっかり耳馴染みといっても過言ではない。だがしかし、僕の知ってる異世界系作品の殆どは、序盤に主人公が何らかの形で死ぬことで、記憶はそのままに違う世界に運ばれていくものなのだが……。
「はっ!まさか僕たち、死んだんですか!?」
「なワケねーだろ。命は一つ。だから大切なんだよ」
まるで道徳の授業みたいな、すごく当たり前の事実を諭されてしまった……、まあ、たとえ一つだろうと一つじゃなかろうと、命は大切だと思うけれど。
「さて、“習うより慣れろ”……と言いたいところだが、流石に状況をいくつか説明しとくか。コレばっかりは初見じゃ分かんねーからな。……とはいえ、こういう大部屋はダンジョンの危険地帯。いつ敵に襲われるか分からねえ」
「やっぱり敵とか……いるんですね……」
石造りの壁や床の破損はやはり、経年劣化によるものではなく、過去に行われた戦闘に由来するものだったか……。ようやく少しずつ現状を飲み込んできた。そして、文字通りごくりと大きく喉を鳴らして生唾を飲み込んだ僕を、ラミィ先輩はいつもみたいにバカにして笑うことはせず、むしろ大真面目に頷いて見せた。
「ああ。うじゃうじゃな。モンスターもいれば、ボスもいる。そして、それ以外も……」
と、ラミィ先輩が言いかけたところで、がしゃり、と金属が何かにぶつかるような足音が、遠くの方から微かに聞こえた。
「……先輩!今のって!」
「ああ、侵入者に気が付いて、奴らが目を覚ましたんだろう。直にこちらへ向かってくるな。一対一ならともかく、お荷物抱えた今のアタシじゃ、囲まれたら間違いなく終いだな」
「ど、どうすれば……?」
「つーワケで、説明の為に説明は後だ。とりま、敵と遭遇しない安全地帯まで突っ走るぞ!」
そう言って、ラミィ先輩は僕の手を取ると、後方の通路目掛けて一気に駆け出した。自分より足の速い人間に引っ張られて走るというのは、中学の持久走の練習で体験したことがあるけれど、かなりペースを乱されるし、それに伴い体力だって必要以上に持っていかれるものだ。けれど、危険溢れる見知らぬダンジョンで、先輩と逸れるワケにはいかない。僕は必死に両足を動かして(そういえば、先輩も僕も鞄が無くなっている。どうやら転移の際の持ち込みには制限があるみたいだ)、なんとか通路の奥の方まで辿り着いた。一見行き止まりに見えたそこには、なんと、石造りのダンジョンには見合わない、鉄製の扉がぽつねんと用意されていた。
「はぁ……、ここまでくれば大丈夫か。走った分、流石にちょっとお腹空いてきたな……。まあいいや、おいシャチホコ、先に入っていいぞ」
「ぜぇはぁ……はい、わかりました……」
肩で息をしながら、僕が扉に手を掛けようとした──その瞬間!
ぐいいっっ!と肩を後ろに強引に引かれて、僕は思わずバランスを崩した。って、バランスを崩した?いつもならこの程度、何ともなく踏みとどまれるはずなのに?だけど何故だか両足に力が入らず、そうして、どさり、と無様にも後方に、頭から仰向けに倒れ込んでしまった。しかし、不思議と身体を石床に打ち付けた痛みはなく、むしろ柔らかいものが僕の下敷きに……?
「っ痛〜〜〜……わりぃ。一言大事なこと言い忘れてたわ」
申し訳ないことに、どうやら僕は思いっ切り、ラミィ先輩を下敷きにしてしまったらしい。しゃきっと立ち直り、ペコペコと頭を下げる。どう考えても不慮の事故だし、なんならラミィ先輩に原因があると思うけれど、それはさておき、後頭部に触れた柔らかすぎる感触は忘れるので、どうかセクハラに関しては情状酌量の余地をください!!!!
「……なに?どしたよ、その挙動不審……まあいいや。一つ、“安全地帯に入る前に”、大事なことを言っておくな」
改まって、一体何の話だろう?ていうか、そもそも、諸々の説明をゆっくりする為に、この安全地帯に入ろうってことになったんじゃなかったっけ?立ち上がった僕が、話を聞きながら、それでも扉に手を掛けようとすると、しかし今度は、僕の胸ぐらがぎゅるりと掴まれる。そのまま僕の顔に自分の顔を近づけるラミィ先輩。マジで顔面綺麗だし唇ぷるぷるじゃん、キスしてみてえな、とか呑気な事を考える余裕も猶予もない。むしろ、蛇に睨まれた蛙に等しい。巳年なのに、蛙。鬼と錯覚するほど凄い剣幕で、そして男のように低くドスの効いた声で、ラミィ先輩は僕に向かって忠告をした。
「敵に襲われてヤバいと思ったら、迷わず目と耳塞いで蹲ってろ。そうしたらきっと、命だけは助かるはずだ」
……バカにしてるんですか?と、普段のノリなら口走ってしまっていたかもしれない。しかし今の僕は、このダンジョンにおいて、自分の嘴で餌も食べられないヒヨコのようなひよっこなのである。大人しく頷いて、それからようやく、三度目の正直、スチール製の冷たそうな扉のレバーに──
──手を掛けた、はずだよな?確かに。
じゃあ、一体どうして?
敵がいないはずの安全地帯の中で、明らかに敵意と殺意むき出しの、甲冑を着込んだ骸骨兵共が、数え切れないくらいの大群で、僕のことを待ち構えていたんだ?
そして、予想だにしなかったヤバすぎる状況、つまり死の直感に恐怖した僕が、引き攣る顔で振り返ると、その先にいたはずの、ダンジョンの引率係を務めてくれていた──
ラミィ先輩の姿は、どうして跡形もなく消えているんだ?
(続くかも)