焚き髪祭
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である」
確か芥川龍之介の言葉、だったっけか。
いまどきライターやチャッカマンが多くなってるが、それらのガスが切れたときとかは、おおいに役立つもんだな。
この言葉、個人的に「一箱」ってのがミソだと思うんだ。
一本じゃ取るに足らないが、何本も使っていけば、やがて一箱が空になる。その一本一本、大事に扱うことができたかどうか、というのが一点。
もう一点は、一箱いっぺんに火がついたらってこと。
何十本もあるマッチに火がつけば、家を焼き尽くせる大火になるかもしれない。マッチ売りの少女を天国へ導くのにも、十分だ。人生の力をまとめて注げば、大きな壁さえも焼き尽くすことができることを暗示してるんじゃなかろうか。
燃やすもの、燃やされるもの。
火を扱い始めてから、ずっと俺たちの間で意識を向け続けていたことだ。俺の地元でも、火に関する不思議な話がいくつかあってさ。そのうちのひとつ、聞いてみちゃくんないか?
俺の地元は冬が近くなると、火焚き祭りがあちらこちらで開催される。多くは願掛けをした護摩木を焚き上げて、願い事の成就を祈る。参拝するとまんじゅうとかがもらえたりしてな、小さいときはお祭りそっちのけで、そちらの方へ気持ちが向いていたっけ。
だが、ごく限られた地域だと、少し形の違う火焚きの祭りがおこなわれる。
ほとんどの場所では、火床に大々的な炎がともされ、そこへ護摩木をささげていく。だが俺の知ったやり方だと、何台もの燭台が用意されて、火が少しずつ灯されていくんだ。
参拝者は、あらかじめ自分の髪の毛を何本か抜いておくことが求められる。境内の入り口の受付で、その髪の毛を渡すと、用意された燭台の薪の中へ混ぜられて火がつけられるんだ。
いわく、体の毛はすべて肉体のうちより生み出されたもの。つまりは身を削り、燃やしながら作られるもので、それは己が身を焦がして火を焚く、薪と同じ過程を踏んでいる。
その体から出すもの同士で交流をはからせ、一年の運気を呼びこまんとする……っていうのが、この火焚きのおこりらしいな。
たいていがつつがなく終わるこの行事なんだが、ごくまれにトラブるケースもあるらしくてな。俺が聞いたのは、親父の代での話だ。
当時、学生だった親父が友達と連れ立って祭りに行ったときのこと。
事前に頭髪を一本、根っこから引き抜いたものを受付の人に渡したんだが、どうも火のつきが悪い。
一緒にきた友達の髪は、すでに赤々と逆立つ火の中で、遠慮なくあぶられているというのに、友達のものはいくら火種を投じても、かろうじて薪の頭を焦がすだけ。火の粉のひとつも飛ばさないうちに、鎮まってしまう。
その場で足止めを食らった父親は、ひとまずみんなを先に行かせて、自分は新しく3本、髪の毛を抜いた。先ほどのものに足したり、別の燭台へ移したりしてみても、結果は変わらない。
大きい騒ぎにはならなかったものの、受付の裏側では住職さんも呼ばれて、少しものものしい雰囲気。「用心のためにお持ちください」と、タダでお守りまで渡される始末だった。
そのうえ、気になることがあったら、相談に来てもらいたいとも。
――なんかこれ、まずい雰囲気じゃね?
自分がみんなと違うものである。プラスの意味なら歓迎するが、マイナスの意味ならひた隠しにしたいとこだろう。
合流した友達にも、帰宅後の家族にも、問題なく済んだことを告げて、知らん顔を決め込んだ親父。けれども異変は、一週間後あたりから見えだした。
「あれ、お前髪の毛切った?」
学校でクラスメートのひとりに指摘された。
床屋にはいっていない。校舎内の姿見で確認するも、いつも通りのマッシュヘアがそこにある。意識してみると、少しだけ前髪のうっとおしさを感じなくなってきたような。
あの日のお守りは、外へ出るときにいつも懐へ忍ばせている。その場は適当に流しつつも、トイレの個室でぎゅっとお守りを握り、学校でも家でも鏡を気にするようになった。
観察の結果、一日あたり0.2ミリくらい、髪が短くなっていくことに親父は気がついたらしい。
――このままだと、坊主になるんではなかろうか。
心配し始める親父へ、更に追い打ちをかけるように襲ってきたものがある。
フケだ。祭りに行く前まで、自分はさほどフケを出すような体質じゃなかった。それがあの日を境に、ちょっと頭をこすっただけで、肩に机にはらはらと。
抜け毛と一緒に舞い散る白い粒。それはときに黄色がかったり、黒みがかったりしていて、つい顔をしかめてしまう。しかも心なしか、このフケたちは妙に生暖かったんだ。
親父は学校帰りに、件のお寺へ行き、住職へ相談。話を聞いた住職さんは、そのまま親父を伴って家へ。一晩、親父を預からせてもらう許しを得ると、お寺へ取って返して、親父を本堂へ招き入れた。
また親父の髪の毛を一本拝借し、ロウソクへ火をともした上で、かざして見せる。そのまま30分近く固定されたが、髪の毛はちぢれもしなければ、独特の嫌な臭いを放ちだすこともなく、じっとしたままだ。
住職はそれを確かめると、いったん奥へ引っ込んで、戻ってきた時にはギンナンによく似た香りを放つ草を、盆に乗せて持ってきた。更に姿見を用意し、親父へ鏡の前へ立つよう指示すると、その髪の上、数十センチのところへ草の束をかざしていく。
するとどうだ。
髪に触れず、風にも吹かれていないにもかかわらず、草の束はみるみるうちに黒くしなびていき、くてりと茎を折ってしまう。まとっていたギンナンの香りもすっかり弱まって、住職さんの握る手元を残し、ほとんど枯死してしまったかのような姿をさらした。
戸惑う親父を前に、住職は草の束を盆の上に戻して告げる。いま、あなたの髪は足りなかった運気を補おうと、燃焼しているのだと。
「燃焼とは、光や熱を伴う、激しい酸化反応であることはご存じでしょう。すなわち、酸素を急激に取り込むことによって、『燃える』という現象は起こります。
しかし、それが運気であるならば。光や熱を伴うものであるとは限りません。場合によってはあらゆるものと結びつき得る。しかし、運気をしっかり受け取り切ったならば、あなたの毛の縮みはおのずと止まるでしょう」
住職の言葉に、親父は不安を隠せない。このままいつまで、自分は髪の毛が短くなっていくのに気を付けなくてはいけないか。またどのような運気を取り込むことによって、どのような被害がもたらされる恐れがあるのか。
差し支えなければ、いまこの場で運気すべてを取り込んでしまいたいと、親父は頼み込んだ。目の前の厄介ごとは、すぐに解決してしまわないと気が休まらない。
住職もうすうす、その言葉を予想していたのだろう。
布団が敷かれるとともに、先ほどの草が、山のように盛られた盆が持ってこられて、鼻がバカになりそうだった。
住職によれば、この布団へ横になり、一晩を過ごすべきとのこと。先ほどの様子を見るに、こちらの草との結びつきが強そうだから、そばに置いておくべきだと。
親父はそのまま本殿で一夜を明かすも、ぐっすり7時間ほど眠って、起きたときの有様には、驚きを隠せなかった。
自分の髪は、坊主も坊主の一厘刈り。それはすでに覚悟していたものの、枕もとに積まれていた、あのギンナンの香りを放つ草の束――立った自分の、腰ほどもある高さ――は、すっかり枯れきってしまっている。
本堂に梁、柱、床や畳にも、傷やカビなどがそこかしこに目立ち、一晩で何十年も時が過ぎたかと思うような傷み具合だったらしい。
住職に見送られて戻った家、そして通学した学校でも、丸刈りの頭は少なからぬ注目を集めた。そして例のお寺も、その日から修繕工事を行い始め、一年余りの間、参拝客が中に入ることが許されなかったとのことさ。