第三十九話:あり…………えない
【機蟲の陣容】は荒野のど真ん中にあった。
地面のそこかしこに開いた巨大な穴はまるで地獄への入り口のようで、それぞれの穴から続く複雑怪奇に交わるトンネルが一つのダンジョンを形作っている。有機生命種の魔物の蟻は掘り出した土を使って巣の付近に巨大な蟻塚を作るのだが、モデルアントはそういうものは作らないようだ。
侵入口として選んだのは最もクイーンアントの居室――ボス部屋に近い入り口である。
既にとっくにモデルアントの縄張りに入っているはずだが、周囲はぞっとするほど静かだった。本来存在するはずの飛行能力を持つモデルアント達の巡回もない。
完全に外での迎撃を捨てている。それほどまでに巣の守りに自信があるのだろうか?
作戦は単純なものだ。
メンバーを幾つかの部隊に分け、隊列を組み、主力をボス部屋まで送り届け、主力がクイーンアントを倒す。
ボス部屋まで枝分かれが幾つか存在する。いくらランドさん達が強くても、挟撃を受ければ被害は免れ得ない。弱い者から死んでいくだろう。
主力以外の部隊の役割は枝分かれしているそれぞれの道の前に陣を築き、そこから流れ込んでくるであろうモデルアント達を押しとどめる事だ。
敵の数はこちらよりも圧倒的に多いが、道幅がそこまで広くないからこそ取れる手である。モデルアントの性能はそこまで高くないから、各個撃破さえ心がければ時間稼ぎは難しくはないはずだ。
エティが、トネールが、そしてその他の斥候系職持ちの探求者達が、そのスキルを駆使して巣の中を探っている。そこで、ちらちらとこちらを見ながらアムが呟いた。
「むむー……これは…………まさか、何かがおかしい。何かがおかしいですね! 《探偵》のスキルに何かが引っかかってます!」
「へー、何が引っかかってるの?」
「! えへへ……フィルさん、な、何かがおかしいですよ!」
そんな事、わかってるよ! 皆真面目にやってるのに緊張感のない事をやるんじゃない!
職を得ただけではどうにもならない好例ができてしまった。どうやらあの先日の名推理はアムの人生で一度の見せ場だったようだな……。
せっかく僕が鍛えたアムの鋭さがこの短時間ですっかり元に戻ってしまうとは……リンに視線を投げかけると、リンがさっと目を逸らした。押しつけた僕にも非はあるが――許せん。
「……うじゃうじゃ待ち構えているのです」
「うん。マップ自体はあっていると思うよ。風もしっかり通っているから間違いないはず…………でもお兄さん、これどうやって調べたの?」
「企業秘密」
お願いを聞いて危険な依頼についてきてくれたトネールの頭を撫でて言う。
多様性は大切だ。何が現れても対応できるように、元素精霊種は入れた方がいい。そういう意味でセイルさん達と知り合えたのはベストタイミングだった。
「どうやら、トンネルの構造自体は変わっていないようだな。少なくともここからわかる範囲では、だが」
他の探求者達の情報をまとめ、ランドさんが頷く。アムではないが、妙な話だった。
モデルアント達の能力ならば、ザブラクがマップを作ってから新たなトンネルを増やす事くらいできそうなものなのに……もしかしてこちらの動向が伝わっていないのだろうか?
植生交感による探査能力は魔導機械に察知できるようなものではない。カテゴリーが違うのだ。
可能性はゼロではないが……入ってみるしかないか。いくら備えや警戒をしても、最終的には勇気を出して踏み込むしかない。
「突入しよう。総員、警戒を」
言うまでもないが、一番警戒が必要なのはエティだ。マクネスさんの言葉が正しければ、映写結晶の映像を撮った《機械魔術師》はこのダンジョンで命を落としている。
視線を向けると、目と目があい、エティは呆れたように肩を竦めて見せる。
そして、この土地を訪れて始めての大規模討伐依頼が始まった。
§
洞窟の中はじめじめと湿っていた。酷く足下の悪い中、レイブンシティの高等級探求者と共にトンネルの中を歩く。
姿は見えなかったが、エトランジュのスキルによる高精度なセンサーは無数のモデルアントの気配を察知していた。余りにも数が多すぎて、うまく情報を処理しきれないレベルだ。
ダンジョン攻略は初めてではないが、ここまで大人数で攻めるのは始めてだ。勝手が違うのを感じるが、弱音は吐けない。
今回はフィルの提案で機械人形の探求者はいないが、もしもいたら、エトランジュのセンサーでは敵との区別をつけるのは困難だっただろう。いや――今の状態でも、他の探求者達を巻き込む事を考えると広範囲殲滅魔法は使えない。
普段は大抵つれているドライもお留守番だった。魔導機械に対して高い威力を誇る攻撃魔法もメリットだけではない。ドライにはある程度機械魔法の耐性を持たせてはいるが、エトランジュが全力で魔法を使えばそんなもの容易く貫通して一瞬でばらばらにしてしまうのだ。
だが、悪くはない。悪くはない気分だった。隣を見ると、フィルが周囲をきょろきょろ興味深そうに確認しながら歩いていた。
段差が無数に存在しているせいか、酷く歩きづらそうだ。
フィル、そんな調子で私の事を心配するなんて……とんでもない身の程知らずなのです。
逆だ。フィルがエトランジュを守ろうとするのならば、エトランジュがこのかなり変わっているソウルブラザーの事を守ってやらねばならない。
もしかしたらアリス達、彼のスレイブがあれほどの忠誠心を見せているのもエティと同じ気持ちなのかもしれない。
ちょっとデリカシーはなさすぎるが、友人と共に歩くというのは余りそういった機会がなかったエトランジュにはとても新鮮で、ここは《機械魔術師》をも飲み込んだ死地なのに全く心細くはなかった。
「そうだ、セーラ。お願いがあるんだけど」
「フィル、貴方、一体私を何だと思っているの? 毎回毎回お願いばっかり!」
でもフィル、貴方はもう少し、こう、コミュニケーションを抑えた方がいいと思うのです。
ダンジョン内はザブラクの描いた地図通りだった。光る苔がぼんやりとトンネルを照らしているため、視界は悪くない。敵の数はかなりのもので、段差のある足場を、壁を歩き、エトランジュ達を襲ってくる。
だが、それらは全て事前に話し合った通りだった。道の幅も、敵のレベルも、襲撃のタイミングですら。トンネルが枝分かれするたびに足止めする部隊が外れ、モデルアント達の迎撃に入っていく。
これまでエトランジュとは無縁だったコンビネーション。SS等級探求者、ランド・グローリーの真骨頂。
《破壊者》という職は、職としては《機械魔術師》よりも下だったが、そこにはエトランジュではとても真似できない熟達者の技がある。
「これは……もしかしたら、私達がいなくても問題なかったのでは?」
「いや、地図がなければこうはうまくはいかない。できればどうやってここまで正確なマッピングをしたのか教えて貰いたいところだ。本当に」
エトランジュの問いに、共に同じ決戦担当グループだったランドが首を横に振る。
フィルはその言葉に、眉を顰め訝しげな表情を作っていた。
「おかしい……こんなにうまくいくわけがない。アルデバラン側の迎撃態勢が余りにも整ってなさ過ぎる」
それは……いいことなのでは?
そもそも、半ば反則的な手法で地図を入手してきたのだ。道中出現してきたモデルアントの数だって、ちゃんと数えれば相当な量になるだろう。
他の班の迅速な迎撃によってメイングループの消耗も抑えられている。同じく決戦班に所属するハイルもどこか退屈そうだ。
道はどんどん下に続いていた。モデルアントが誰にも気づかれずひっそりとこの広大なトンネルを掘っていたのだとしたら、なかなかぞっとしない話だ。下手をすればザブラクの地図があってもどうにもならない規模に広がっていた可能性もあるだろう。
もしかしたら本当に恐ろしいのは襲ってくる魔導機械よりも、ひっそりと力を蓄えている魔導機械なのかもしれない。そして、もしかしたらこの地にやってきた《機械魔術師》達もその事に気づいて――。
そこまで考え、エトランジュは首を横に振った。
今集中すべきは大規模討伐の成功だ。禁忌については、フィルに相談しながら進めればいい。
彼はもうすぐいなくなってしまうが、きっと……相談に乗ってくれるはずだ。
そんな事を考えたその時、不意に無数の金属がこすり合わされる音がした。既に別働隊は全て出払った。クイーンアントの居室までは一本道だ。
地下に続く坂道。無数のモデルアント達の目がぎらぎらと苔の光を反射して輝いている。
かなりの数だ。ルークアントやビショップアントなどの上位のモデルアントの姿も交じっている。
トンネルはボス部屋を前にして、天井も幅もかなり拡張されていた。壁を、天井を自在に歩き回り、飛行能力を持つ個体がその細い羽を高速で振動させ、宙を浮いている。その群れはまるでモデルアントの波のようだった。
飲み込まれたら――死ぬ。そして、これまで正面からは現れなかったモデルアント達が徒党をなしているのだ。
恐らく彼等は女王の近衛だ、これがアルデバラン戦前の最初で最後の戦いになるだろう。
同じ予感を抱いたのか、ハイルが槍を振り回し、獰猛な笑みを浮かべる。ここまで大勢の仲間がエトランジュ達を送り届けるために外れたのだ。この程度で退くわけにはいかない。
エトランジュは叫んだ。
「下がるのですッ! 私が初撃で減らしますッ!」
ここ数日のフィルの『施術』でエトランジュのコンディションは最高だ。
唇から淀みなく言葉が出て、両腕が激しい電光を纏う。術式発動までに必要とされたのは僅か数秒――エトランジュ・セントラルドールは一息に術を解き放った。
「『電磁衝撃』!」
雷撃系のスキルは魔導機械の最たる弱点だ。一度打ち込めば下級の相手ならば壊滅それ以上でも大抵の相手の動きを止める事ができる。
中央に放たれた衝撃を伴う雷がモデルアントの装甲を伝って道いっぱいに広がり、爆発する。
飛行していた魔導機械が奇妙な音を立て落ち、地面を、天井を這い回っていた個体が弾け飛ぶ。崩れ去り動作を停止した仲間達の死骸の上を、雷に耐性のある上位個体がよじ登る。そこに、ハイルやランド達前衛が、武器を振りかぶり咆哮と共に突撃した。
エトランジュが雑魚を払い、ランド達前衛がそれで倒しきれない者を破壊するコンビネーション。ハイルの槍が、ランドの鎚が、物理的に上位モデルアント達を粉砕していく。エトランジュのスキルで動きが止まっているとは言え、恐ろしい威力だ。
余りの力にばらばらとトンネルの破片が落ちてくる。
これは……やり過ぎるとダンジョンまで破壊するかもしれないのです。と、そんな心配をしたところで、一歩後ろに退いていたフィルが叫んだ。
「上から来るぞッ!」
「!?」
慌てて真上を見る。先程まで確かに天井だったはずの場所に、大きなトンネルが開いていた。小型のモデルアントがばらばらと穴の中から落ち、エトランジュに、フィルに向かって襲い掛かってくる。
だが――問題はない。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!」
すかさず後ろを守っていたガルド達が落ちてくる魔導機械を迎え撃つ。とっさに放った小さな雷がモデルアントを焼く。
後衛を守るのは探求者の鉄則だ。そもそも、機神を纏ったエトランジュを傷つけられる程の攻撃を目の前のこの程度の魔導機械が撃てるとは思えないが――。
増援を瞬く間に駆逐する。その時、エトランジュは新たにできているトンネルにまだ数体のモデルアントがへばり付いている事に気づいた。
小型の上半身に比べて大きく膨らんだ下半身。後ろ足は長く、臀部に大きな穴が開いている。
小さな射出音。その臀部からクルミのような大きさの弾丸が複数、放たれる。
射出能力を持ったモデルアントか……無駄な事を。
機神はあらゆる攻撃を防ぐ万能の鎧だ。ただの質量弾で貫通しようと考えたらその百倍の大きさの弾丸が必要である。
弾丸を無視して迎撃しようとエトランジュが腕を上げたその時、隣にいたフィルが思い切りエトランジュを引っ張った。
「え?」
態勢が崩れる。弾丸が地面に着弾する幾つかの音。それと同時に、肩口に熱が広がった。
弾丸の一つに撃ち抜かれたと気づいたのは、抱きしめられ、地面に倒れた後だった。ガルドがすかさず、トンネルに残ったモデルアントを始末する。
「え? え?」
「大丈夫か、エティ」
あり得ない。苦痛よりも先に驚きがきた。
エトランジュの肩に――大きな穴が開いていた。弾丸は骨を完全に砕き、腕がぷらぷらと揺れている。
機神は強力な兵装だ。力場を発生させ身を守るその装甲服に、部位による弱点などない。機神が覆っていない頭部ですら守られているのだ、あの程度の弾丸で貫通できるわけが――ないのだ。
そこで、エトランジュは気づいた。
「機神が……稼働してない……?」
故障!? いつから……?
最強の鎧などと言っても、機神は魔導機械の一種だ。稼働していなければほぼ防御力皆無の服でしかない。
朝、家を出る前に確認したときには確かに働いていた。
肩が燃え上がるような熱を持つ。フリーズしているエトランジュに、フィルがポーションを振りかけたのだ。これまで見たことのない薄水色のポーションを受け、ほとんど繋がっていなかった腕の肉が盛り上がり、僅か数秒で元に戻る。
そこで、ようやくエトランジュは自分の心臓が早鐘のように鳴っている事に気づいた。大きく深呼吸をするエトランジュに、フィルが言う。
「エティ、油断大敵だ」
「は、はぁ、ありがとう、なのです」
「なんだあのモデルアントは…………だ、大丈夫か?」
ガルド達が駆けつける。
危なかった。いや――腕がちぎれかけたくらいではしばらくは死んだりしないが、心臓や頭部を打ち抜かれていたら終わりだった。
あの時、フィルが手を引いてくれなかったら――。
フィルが大きくため息をついてエトランジュの手を引き、立ち上がらせてくれる。
その余りにも平然とした表情に、エトランジュは思わず尋ねた。
「ど、どうして、手を引いたのですか? 弾丸は貴方にも当たるところで――」
「そりゃ…………攻撃が来たら引くでしょ。ずっとエティの事は見ていたし、むしろ、避けられるのに無視しちゃ駄目だよ。……それで、どうしてあの程度の攻撃が?」
「…………どうやら、故障、みたいです」
何でもない事のように言うフィルに、呆然と答える。
信じられない。機神が故障したのも信じられないし、フィルに助けられてしまったのも信じられない。我が身を顧みずエトランジュを救おうとしたのが……今度こそ助けると思っていたのに、穴があったら入りたい気分だ。
真剣な表情でフィルが考え込んでいる。その顔をちらちらと見ながら大きく深呼吸をして呼吸を整える。
肩口を破壊され、機神は完全に停止していた。だが、ないならないでスキルで身を守ればいいだけだ。
大丈夫、エトランジュ・セントラルドールは問題ない。
標的を殲滅し終えたランド達が戻ってくる。
「大丈夫か、エトランジュ」
「はい……問題ないのです。フィルが助けてくれたので」
「チッ…………こんな直前で負傷しやがって」
ハイルが舌打ちをする。無理からぬ話だ。今回の件は完全にエトランジュのミスだ。
エトランジュは、あの程度の弾丸、避けようと思えば避けられたのだ。迎撃だってできた。
もう二度と油断はしない。ミスに対する葛藤も、フィルへの礼をどうするのかもとりあえず頭から追い出し、気分を引き締め直す。
――さっさとクイーンアントを倒して街に戻るのだ。
エトランジュはまだざわめいている気分を意図的に無視すると、仲間達と共に女王の間に足を踏み入れた。
――アルデバランは、死んでいた。
ランドが、ガルドが、ハイルの表情が一瞬、戦場にいる事を忘れ歪む。エトランジュもまた、一瞬息が止まりそうになった。
映写結晶であれほど、威容を誇ったアルデバランが死んでいた。
空中に無数に張り巡らされた卵管は健在だ。
だが、死んでいた。映像よりも二回り大きな巨体。遥か天井付近に存在しているはずの頭はもぎ取られ、その断面にばちばちと紫電が散っている。卵管には作りかけのモデルアントが残っていた。
死して尚、残しているその威厳は、女王の名に相応しく、そして余りにも無残だ。
《機械魔術師》のセンサーにも、その個体は死骸としか判定されない。
死んだのは、殺されたのは、明らかに直前などではない。少なくとも――数日は経っている。
そして、フィル・ガーデンは――。
「あり…………えない」
その浮かんだ表情に、エトランジュはアルデバランの死骸を見た時よりも遥かに大きな衝撃を受けた。
かっと見開かれた目。その奥に燃えるおぞましき情念の炎。戦慄く唇。その表情はまるで砂漠で水を求める旅人のように飢えている。
ランド達が状況を把握し、活動を再開する。指示を出し、予定通りアルデバランの死骸の回収を始める。
その間、フィル・ガーデンはずっとアルデバランの死骸を見上げていた。まるで――死体と会話でもするかのように。
重傷者七名。軽傷者五十一名。死亡者ゼロ。
討伐対象、アルデバランの破壊を確認。
こうして、エトランジュの初めての大規模討伐依頼は波乱のまま、幕を閉じた。




