第三十七話:僕に借りがあるはずだ
たどり着いたのは、住宅街の片隅に存在する何の変哲もない家だった。表札や看板のような物もなく、高い金属製の塀の内側には土がむき出しの庭があり、樹木や草花が植えられている。
ほぼ全ての道が特殊合金で舗装されたこの街では庭というのはとても珍しいが、事前の話を聞いていなければここが情報屋だなどとはわからないだろう。往々にして、優れた情報屋というのは客を選別するものだ。
エティが戸惑いを隠せない様子で僕を見る。
「本当にここがSSS等級探求者の住居なのですか? 特に――何も感じませんが」
「注意して。ザブラクは僕のように弱い探求者じゃない」
探求者の等級は達成した依頼や功績によって上昇していくが、普通は強さに比例する。頭脳派の探求者も己に降りかかる火の粉を払える程度の力は持っているし、それがSSS等級ともなると、存在するのは怪物ばかりだ。まぁ、エティの戦闘能力も大概なので彼女よりも強いかというと必ずしもそうとは限らないが。
「しかし、いくら情報屋だなんだと言っても――【機蟲の陣容】の内部構造なんて知るわけがないのです。ビルドアントによって、常に構造が変化しているのですよ?」
「そうかもね。……でも、彼には貸しがある」
「うーん……」
どこか腑に落ちなさそうなエティの表情。確かに、情報屋というのは大抵が各方面のコネを駆使して情報を集めるもので、誰も知らない情報を持つ者は少ない。だが、ザブラクは違う。
《機械魔術師》の持つスキルでも調査不能なダンジョン内部を調べられる者がいるというのはにわかに信じがたいだろう。恐らく《空間魔術師》の術でも【機蟲の陣容】を外から調べる事はできない。
だが――ザブラクは違うのだ。
開いている門から敷地内に一歩足を踏み入れる。その時だった。
道の両側に生えていた草が槍のように伸びてくる。【黒鉄の墓標】の外に生えていた『金属樹』ではない、ただの植物だ。
本物の槍さながらの鋭さを以て襲い掛かってきた草や舞うようにこちらに襲い掛かってきた大きな花びら。その異様な光景に、エティがほぼ反射のような速度でスキルを行使した。
一瞬で壁から生えた砲塔が草木に熾烈な銃弾を浴びせかけずたずたにする。
エティがぱらぱらと落ちる草の破片を手に取り、呆然と呟く。
「な、なんなのですか、いきなり! 本物の……草なのです」
「セキュリティだ。だが…………酷い歓迎だな。よほど嫌われているらしい」
しかし、いきなり攻撃を仕掛けてきたザブラクもさる事ながら、エティの方も恐ろしい反応速度だ。
さては、いつでも迎撃に入れるように注意していたな? …………僕が襲撃を受けた件が大分堪えたと見える。
ノックはいらないだろう。扉のノブを掴み、回す。鍵はかかっていなかった。
薄く開いた扉から煙が流れ出てくる。むせ返る程の甘い香りに怪しい煙。なるほど、一筋縄ではいかないらしい。
エティの顔が一瞬強ばり、すぐに一歩前に出る。頼んだ通り僕を守ってくれるのか。
だが、煙は多分毒ではない。彼は僕に借りがあるのだ。
視線は感じない。だが、間違いなく見られていた。煙の中に声をかける。
「ザブラク、初めまして、だ。情報を買いに来た」
しばしの沈黙の後、狂ったような笑い声が煙の向こうから聞こえてきた。
びりびりと魂を揺さぶる甲高い男の声。
「かーっかっかっか、フィル・ガーデン。グラエル王国の災厄の星。知ってるかぁ? 店側には――客を拒否する権利もあるんだぜえ!」
扉を開け換気したおかげで少しずつ煙りが薄くなる。
店内は非常に狭く、ほとんど物がなかった。
古びたカウンターの向こうで、深いフードで身を隠した影が悠々と古びたパイプを燻らせている。
《天眼》のザブラク。その恐るべき種族スキルで屈指の知恵者とされる男は、先程とは一転、とても悲しげな声をあげた。
「《白の凶星》、俺はお前に――会いたくなかった。会うことはないと、そう思っていたぜえ。SSS等級第七位、敵どころか、味方からすら恐れられたお前が、何だって俺みてえなちんけな探求者に用事があるのか」
「……フィル……知り合いじゃなかったのですか?」
警戒心を露わにしながら、エティが小声で聞いてくる。
知り合いだよ。だけど、互いに知っているけれど、会うのは初めてだ。
只者ではない、プレッシャー。僕が口を開く前に、ザブラクが言う。
「禁忌だ。フィル・ガーデン、禁忌だよ。情報屋は己が危険に陥るような情報を、話さない。だから、俺はお前の情報を、話さなかった。信頼が第一、だからなぁ!」
交渉には……ならないな。
「君は僕に借りがあるはずだ。大きな借りが……精霊は命よりも盟約を重んじる。そうだろう?」
笑顔で出した僕の言葉に、ザブラクはその動きをぴたりと止めた。
盟約だ。僕と彼の間には盟約がある。彼等は全にして一、一にして全。一人が受けた恩を、彼等は忘れない。だからこそ、彼等の種は生来の情報屋として知られている。
もちろん、数多存在する彼等の中でも、ザブラク程、種族スキルを使いこなしている相手はいないが。
「…………」
ザブラクが身にまとっていたローブをゆっくりと脱ぎ捨てる。エティが息を呑む音が聞こえた。
「かっかっか、知っている、知っているぞ、エトランジュ。街中で、人型でも魔導機械でもない種族を見るのは初めて、だなぁ?」
ザブラクは――人ではなかった。顔も身体も手足も、現れたその全てがくすんだ焦げ茶色をしていた。
樹だ。その肉体は、手も足も身体もねじれ絡み合った樹で構成されていた。金色に輝く双眸に、亀裂のような口。
節くれ立った指にパイプを挟み、これ見よがしと口に運ぶ。
元素精霊種、自然の調停者、叡智を束ねる者、深き森の奥でひっそりと悠久の時を生きる、森の賢者――樹人。
恐らくこの世界でも彼等と出会った事のある者はほとんど存在すまい。僕が彼の名を知っていたのもただの幸運だった。好奇心のままに様々な方面に首を突っ込んできたから、こういう事も希にある。
この地に住み着いていたのは多分、この地が本来彼等があるべき森の深奥と正反対の場所だからだろう。
彼等は人ならざる者だが、人ならざる者には人ならざる者のルールがある。その制約はきっと僕達よりもずっと厳しい。
ザブラクは声を潜め、深い深い笑みを浮かべて言った。
「かっかっか、フィル・ガーデン。あんたの勝ちだ。まさかあの《明けの戦鎚》の嬢ちゃんが名前を教えるとは――人の心ってのは、どうにも読みづらくてならないねえ。確かに、盟約は守られる。確かにあんたは、かつて俺の同胞を救った。だから、俺もあんたを助ける。一度だけ、あんたの欲しがる情報を売ってやる」
かつて、僕はとある大樹海を旅し、『樹人』と交友を結び、助けた。ザブラクの名を聞いたのもその時だ。彼等の中には、たった一人、そのコントロール困難な種族スキルを使いこなしSSS等級まで至った凄腕の情報屋が存在する、と。
打算があって助けたわけではないが、人助けはしておくものだ。
敵意にすら感じる視線を投げかけてくるザブラクに、エティが声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください…………【機蟲の陣容】は常日頃から拡張が続いていて、女王の部屋を知る者なんて……情報屋などと言っても知らない情報は――いくらSSS等級探求者でも、どうやって調べるつもりなのですか?」
「ふん……調べる?」
ザブラクが、何も知らないエティの言葉を、鼻で笑った。
カウンターの下から一つの巻物を取り出すと、こちらに放り投げてきた。
「もう、既に…………調べた。数日前までの【機蟲の陣容】のマップだ、少なくともアルデバランの居室は数日じゃ変わらねぇ! これで――借りは返したぞ」
「!?」
仕事が早いな……。
ゴワゴワした紙で作られた巻物を開く。それは手書きの地図だった。無数の部屋に上下前後左右に伸びる無数の通路。そして――最奥に存在するアルデバランの部屋まで、全て網羅している。
今日ここに来ると決めてからの時間では作れないだろう。どうやら、僕がセーラに情報屋の名前を聞いた時点で、調べ始めたようだな。
後ろから地図を覗いていたエティが戦慄く声で叫ぶ。
「あ、ありえないのです! フィル! そんな事、可能なはずが――」
いや、可能だ。可能なのだ、樹人の持つ唯一無二の種族スキルならば――。
種族スキル――『植生交感』。それは、対象を植物に限定したテレパシーだ。
彼らはそのスキルにより、あらゆる場所に存在する植物の目を借り、記憶を共有する事ができる。
一見、限定的な能力のようにも思えるが、そのテレパシーは北と南の境界線を越えて情報を取得できる数少ない手段だった。
この世の全てを見られるわけではないが、この世界に雑草の一本も生えていない土地など存在しない。【機蟲の陣容】にだって、光る苔が生えていた。
そして、記憶や体験を共有するが故に、彼らは同種の受けた恩を忘れないのだ。
「……花粉でもOKなんだっけ?」
僕の一見脈絡のない問いに、ザブラクが笑う。
「かっかっか……金属樹は無理だがなあ」
本当に恐ろしいのは、見る能力ではない。本当に恐ろしいのは、流れてくるであろう膨大な情報を適切に取り込み仕分ける情報処理能力だ。
何でも知れるというのはメリットだけではない。樹人のほとんどが森の深奥から出てこないのは、情報の海に溺れないためだ。
そういう意味で、適切に種族スキルを行使し、僕が来る前から僕の来訪や依頼内容を予見していた、出来ていた彼は間違いなく世界最高の情報屋――SSS等級の探求者だった。
この引き渡された情報についても、疑いの余地はない。
「さて、用事は済んだだろう、フィル・ガーデン。さっさと、お引取り願おうか?」
「お茶は出ないの? 聞いた話では、セーラ達は随分サービスして貰ったみたいだけど」
「………………」
せっかく世界最高の情報屋と会えたのだ。これだけで別れてしまうのは……とても惜しい。是非とも色々お話しを聞きたい。
そんな思考が表情に出ていたのか、世界最高の情報屋は前のめりになっていた姿勢を正すと、大きく舌打ちをして囁くような声で言った。
「フィル・ガーデン。この世には――常人の感性じゃ想像のつかないものが幾つもある。純人の寿命じゃ、何代かけても識ることのできないような――俺達だって同じだ。長く生き続けるコツは――無知である事よ」
その声には実感が込められていた
情報屋の禁忌。SSS等級探求者については語らない。情報を売る相手は選ぶ。ザブラクは情報屋としては驚くほど強いが、あくまで情報屋だ。エティと一対一で戦えば、恐らくエティの方が強いだろう。
ザブラクがパイプを置き、口元だけで笑みを浮かべて言う。人のものとは異なる亀裂のような口を三日月型にして、恐らくそれは――彼のサービスだった。
「無駄だ。フィル・ガーデン、俺は情報屋であって占い師じゃあないが――予言しよう。渡した情報は、きっと無駄になる。くっくっく……準備などいらないねえ、【機蟲の陣容】に行けばわかるだろうよ」




