第八話:遊びじゃ……ないから
渋い戦いだった。ポーンアントの攻撃は単純で、アムよりも大きな身体を持っているので同時に襲いかかってもうまく連携を取れていない。
アム側は攻撃の手段はないが透過はあるので、僕の命令が間に合う限り致命傷を受ける事はない。
剣と顎が噛み合い、力比べになる。上から圧殺するように向かってくる鋭い顎に、アムが顔を真っ赤にして銅の剣で抵抗する。もう一匹のアリが背後から無防備なアムの背中に噛み付きにかかる。
そこで僕は『命令』した。
「アム、『右にジャンプ』!」
アムの身体が僕の指示に従い右に跳ねてそれを躱す。一匹目のアリの全重力をかけた顎が、もう一匹のアリの頭に激突し、轟音があがる。
こんなに指示を出すのは本当に久しぶりだ。
僕はそこで久しぶりに《魔物使い》の能力を発動した。脳の片隅がちりりと熱を持つ。
『戦いの鐘』
身体からただでさえ少ない魔力が抜ける。そして、僕は叫んだ。
「アム。『全力で斬り伏せろ!』」
「……まるでフィルが戦ってるみたいだな」
サファリの声が虚しく耳に入る。アムの身体が『戦いの鐘』の強化により淡く輝く。
そして、アムはそのまま地面を強く蹴ると、僕の言葉どおり激突の衝撃で動きが止まっているアリの胴体……上半身に向けて思い切り剣を振り下ろした。
馬鹿! 胴体じゃなくて頭を狙え!
最も威力の高い、何も考えない全力振り下ろしが、ポーンアントの強靭な鎧を打つ。
高い金属音が響く。さしもの頑丈な甲殻も、一撃に耐え切れなかったのか罅が入る。
――だが、代償は大きい。
「剣、折れたな……」
「折れたね……」
《魔物使い》の使える術は正直言ってかなり弱い。魔物使いは――育成職なのだ。
『戦いの鐘』は使用中に契約しているスレイブの全能力を上げるスキルだが、その上昇値はあらゆる職のあらゆる付与系魔法の中で――最弱である。僕も使うのは久しぶりだった。
アムの膂力に耐え切れず、ぶち折れた銅の剣の剣身がぐるぐる回転して荒野に刺さる。
アムが呆然と半分程の長さになってしまった相棒を見る。隙だらけだ。
「アム、『バックステップで思い切り距離をとれ!』」
アムの身体が一飛びで数メートル後ろに後退る。
ポーンアントがゆっくりと身体を起こした。アムの攻撃を受けたポーンアントは、胴体に罅がはいっているが、行動に支障はないようだった。複眼が静かに不気味にアムを見ている。
もう一体――片方のポーンアントの突撃をモロに食らった個体はもっと重症だ。顎が取れ、複眼も片方が破壊されてバチバチと火花を散らしている。知覚領域が大分狭まっているはずだ。
同士討ちの方がダメージを受けてるなんて……何てできない子なんだ、アムは……
ギョロリと片方しか残っていない複眼がこちらを見た。やや眼に赤い光が宿っている。
その瞬間、僕は確かにただの魔導機械から怒りの感情を感じた。
胴体に罅が入ったポーンアントがアムに襲いかかり、もう一方がこちらに向かって襲ってくる。
「おい、フィル。大丈夫か? あのアリ、ターゲットを変えたようだが……」
「大丈夫じゃないです……」
はぁ……どうするんだよこれ。こちらに気づいたアムが悲鳴を上げる。
「フィルさん、逃げて!」
「自分の方に集中しろ! こっちはなんとかする!」
幸い、距離はある。ポーンアントの速度はそう速くはない。ド素人のアムでも二体相手にぎりぎり対抗できる程度の動きだ。前情報通り、脅威は救援信号であって、性能は高くないらしい。
「おい、本当に大丈夫なのか? 見たところ丸腰のようだが……」
「いや、さすがに丸腰じゃ戦場にこないよ……」
スレイブとして契約しての初戦だ。実力の過剰申告など起こって当然。
その処理もマスターとしての責務と言える。
久しぶりの直接の戦闘に震える手足を叱咤する。僕は一度深呼吸をして呼吸を落ち着かせると、ベルトに差していた購入したばかりの武器を取り出した。
「おいおい、本気か? それは武器じゃないだろ……」
この震えは――ただの武者震いだ。
「武器ですよ。立派な。特に魔導機械が相手だと……役に立つ」
それは、僕が円環を売り払った金でギルドショップで買ってきた物だった。
『分解ペン』。
探求者は倒した魔物から素材を剥ぎ取る。
肉や皮、血や骨、剥ぎ取る素材は魔物によるが、『分解ペン』はその名の如く、金属の身体を持つ無機生命種の魔物を分解し、素材を剥ぎ取るための道具だ。
こちらに向かって脇目も振らず襲いかかってくるポーンアントに向けて、分解ペンを向ける。
ひしひしと伝わる殺意に、鼻をつく独特の金属臭。遠くから見ている分にはなかなか実感がわかなかったが、さすがにD級、十メートル程度の距離になると、その迫力は圧巻だ。
サファリを巻き込むつもりはない。五メートルほどに近づくのを待って、こちらも疾走を開始した。
僕は元々昆虫が余り好きではない。昆虫型と好んで契約する《魔物使い》は僕にとって尊敬の対象である。
ぎりぎりまで観察する。ポーンアントの一番の武器は大顎だと言われているが、脆弱な純人の身からすると一番の脅威はその大きさだ。体当たりを受けただけで戦闘不能のダメージを受けかねない。
タイミングを見計らう。ポーンアントが近づいてくる。そして、彼我の距離が二メートル程になった瞬間、僕は分解ペンのスイッチを入れ、ポーンアントの眉間に向かってダーツの要領で投げつけた。
「モード信号麻痺!」
ペン先から発生した三センチ程の小さな光の針が、ポーンアントの眉間に完璧にヒットする。
結果は一瞬で出た。巨体がそれだけであっけなく崩れた。慣性の法則で運動エネルギーを保持したまま向かってくる巨体をサイドステップでぎりぎり躱す。
あぶな――これが一番危険だったんだ。
アリは三メートルほど滑って、その場で停止した。手足がぴくぴく痙攣しているが、全身に信号を送る中枢に麻痺を食らって動けるわけがない。
外套についた土埃を払い大きく深呼吸をすると、実体の針ではないので、刺さらず地面に落下した分解ペンを拾う。
そのまま、唖然とした様子で痙攣しているアリを見ているサファリの元に戻った。
「フィル、貴様、何をした……」
「分解ペンの機能で中枢を麻痺させただけだよ。命令の発信装置が一箇所しかない魔導機械だから、そこが麻痺すれば動けない。まぁ麻痺させただけだからもちろんまだ死んでないけど……」
「馬鹿な……魔導機械だぞ? 多くの有機生命種とは違って、中枢は頭にあるとは限らないんだぞ? もし脚にあったらどうしてたんだ!?」
「下らない問いだ。こっちは命がけだ。当然、モデルアントについては全て……頭に入れてきた」
僕は遊びで探求者をやっているわけではないのだ。倒れたポーンアントの目の前に立つ。
真っ赤な瞳がこちらを見ている。それが少し虚ろに見えるのは僕の感傷だろうか。
「モード切除」
分解ペンのモードを切り替える。ペン先から、五センチほどの光の刃が発生する。
『切除』はその名の通り、各部位を速やかに切断し、貴重な資源だけを奪い取るための機能だ。硬い装甲を持つ魔導機械のための光の刃だ、リーチは極めて短いが、その切断力は銅の剣の比ではない。
ポーンアントの思考回路――チップは頭部の下――前胸背板の下に存在する。
キュロキュロと駆動系の妙な音が聞こえる。痙攣する顎の下を潜り、前胸背板に光の刃を突き立てた。装甲を四角く切り抜き、チップを取り出す。もちろん、生存している魔導機械の体内には動力である莫大な魔力子エネルギーが宿っているが、構造を理解していれば分解は難しくない。きちんと事前にギルドのショップで用意した絶魔体でできた手袋もはめている。
脳みそに値するチップを抜かれたポーンアントは、悲鳴を上げることもなく完全に停止した。
討伐証明であるアンテナは後で切り取ればいいだろう。
パンパンと手を払って、念のため、こちらを見ているサファリさんに確認する。
「やれやれ、割に合わないな……あ、サファリさん。救援信号って出てないよね?」
「……出てないな。一撃で麻痺したからそんな暇ないはずだ」
「よかった……いくら雑魚でも大量に出てきたらさすがに勝てないからな」
てか、もうやりたくない。今更ながら心臓がばくばく音を立てている。
「さて、問題は……アムか……」
必死に応戦しているアムを見る。幸い、相手が一体ならば折れた銅の剣でも余裕がありそうだ。
まぁ種族の地力に違いがあるしね……。
「……フィルの方がもしかしたら強いんじゃないか?」
「いや、今回は相手が良かっただけで……と思いたい」
へっぽこだなー。隙を見て銅の剣で装甲をガンガン殴りつけているが、効果はなさそうだ。
そりゃそうだ。銅の剣より装甲の方が硬いのだから。……あ、足を滑らせて転んだ。
「アム、『透過』」
ぎりぎりで透過したアムの身体をアリの脚が通り過ぎる。
「アムには準備が致命的に足りてないみたいだな。僕でも勝てるのにアムで勝てないのはおかしい」
「全くだな。むしろこれまでどうやって生きてきたんだ?」
「多分ポテンシャルはある……はず。あ、ちょっと助けてくる」
呆れたような表情でアムを見ているサファリを尻目に、小走りで救援に向かう。
アムはこっちに向かってきた僕を見て、悲鳴をあげた。
「フィルさん! 危ないです! 後少しで倒せるので待っててください!」
「後少しって……どのくらいだよ」
腰から分解ペンを抜いて、再びスイッチを入れる。
「モード拘束」
一時的に信号の疎通を阻害し、動きを妨害する機能を起動する。
十センチ程の光の帯を放射するそれを、アリの右後ろ脚に向けて投げつけた。
アムにのみ意識が向いていたアリは、避ける余地もなくその光を受ける。
その脚から力が抜け、アリの体勢が崩れた。アムがその隙を逃さず、銅の剣を頭に振り下ろす。
僕はそれを横目に、腰からもう一本の分解ペンを抜いた。
「モード拘束」
今度は左後ろ脚に向けてそれを投げる。うまいことヒットし、再び体勢が崩れる。基本的にアリの身体的構造は、後ろ足が機動力の要だ。二本も麻痺すれば本来の機動力の半分も出せないだろう。
銅の剣がアリの頭部を撃つ音がしたが気にしない。無言で腰からもう一本の分解ペンを抜く。
「何本持ってるんだ、フィル……」
いつの間にか近くにきていたサファリが呆れた声を上げる。僕はため息をついた。
「……一応予備を入れて三十本程……」
「……多いな」
「命がかかってるから……」
ずらりといつでも抜けるようにベルトに差した分解ペンを見せる。ちなみに一本五十万するので、これだけで一千と五百万がとんだ。分解ペンを一度にこんなに買う人は初めてだと店員が驚いていた。
僕はサファリの眼をしっかり見て、はっきりともう一度言ってやった。
「命かかってるから……」
「……そうか」
「遊びじゃ……ないから」
「……ああ……」
頭を何度も撃たれてもノーダメージなポーンアントを眺めながら、僕は新しい分解ペンを抜いた。
 




