第二十七話:相手の気持ちになって考える
ギルドを出る。エティの施術に手間取り訪れた時間が遅めだったせいか、日は既に沈みかけていた。
金属製の道路。数メートルおきに設置されていた電灯が薄暗闇を剥いでいる。
魔導機械の動物が引く馬車が忙しなく幅広の通りを行き来していた。魔導機械の引く馬車は大きな街で見ることもあるが、ここまで普及している街は存在しない。
僕の問いに対してのマクネスさんの答えは簡潔だった。
『消息を絶っている、か。私の知る限りではそういった話を聞いた記憶はないな。もっとも、我々ギルドが把握しているのは依頼を受けて生きて帰れなかったパターンだけだ。《機械魔術師》にとってここは楽園だ、依頼を受けずに魔物の部品を採取するためにダンジョンを訪れた結果生きて帰れなかった者もいるだろう。我々には、そういう探求者と、ここを出て他の街に向かった者の区別がつかない』
探求者は基本的に自由で、自己責任だ。魔物蔓延る街の外を自由に歩ける者の消息を追うのは並大抵の事ではないから、探求者はどこかで、誰にも知られずにして亡くなる事が多い。
大都市ならば街に入る際に審査を行い人の出入りの管理をしているところもあるが、レイブンシティだと審査もしていない。エティがやったように決め打ちで確認でもしなければ気づかないだろう。
《機械魔術師》は魔導機械に圧倒的優位ではあっても、無敵ではない。相手が知性を持つ個体で、罠にかけられれば敗北する事も十分あり得る。
たとえば――エティだってそうだ。あれほど才覚のある彼女でも、やり方次第では純人の僕でもベッドに縛り付ける事ができるのだ。僕達は野生の動物ではないから、勝負の結果は単純な力だけで決まらない。
《機械魔術師》の探求者の行方。死んでいるかどうかだけならば、条件を揃えて稀少職のスキルを使えば不可能ではないが、現実的ではないだろう。
人の死後の魂に干渉する職は特に秘匿性が高い。こんな小さな街にいるわけがないし、《託宣師》は一度見て識った職しか与える事はできない、この街の《託宣師》――エルでは不可能なはずだ。
道を一人、歩きながら考えをまとめる。
ドライは、エティがやってきたのはこの地の禁忌を知るためだと言った。だが、アプローチを間違えている。
十年で確認できる範囲で五人消息を絶っているという事は、範囲を広げればもっと大勢行方不明者が出ているはずだ。そして、その中には確実に、エティと同じように禁忌を知るためにやってきた者がいるはずだった。
僕が彼女の立場だったら、依頼をあげて強力な探求者を連れてくる。自分とは種族も職も異なる、高等級の探求者を。一種族、一職の対策をするのは難しくないから、あえてバラけさせるのだ。これは、城攻めやダンジョン攻めなど強固な防衛能力を持つ施設を突破する際の基本である。
それが、それなりに準備はしたのだろうが、一人で挑むなど――やはり彼女は少々、自信家なのだろう。
この地がどうして禁忌なのか、真実はわからない。だが、ワードナーとの交戦は僕に少しだけ情報をくれた。
何者かはわからないが、相手の気持ちになって考える。
僕が、《機械魔術師》を効率的に始末するとしたら――どういう手法を使うか?
と、そこで、僕は一軒の小さな店の前に辿りつき、立ち止まった。
余り目立たない個人商店だ。木製でできた小屋のような建物には趣があり、金属素材の先鋭的な建物が多いレイブンシティの中で異彩を放っている。
小さな看板には『アマリスの壺』と書かれている。アマリスとは伝説的な薬師の名前だ。
そこは、僕が指定したポーションを買ってくる際にドライが選んだ店だった。ドライの情報によると、この街で唯一、《薬師》が営んでいる店らしい。
既に閉店時間間近のようだが、遠慮なく扉を開ける。鈴の音がなる。
「いらっしゃいませ。こんな時間にお客さんは珍しい、何か入り用のものが?」
応対してくれたのは、金髪に青い目をしたエルフの男性だった。同じエルフでも、セイルさんよりも背が低く、やや垂れ下がった眼が柔和な印象を与える。
胸につけられた名札には『アレン・カード』と書かれていた。
エルフ種と一口に言っても、彼らは住み着いた場所で変わった生態や特徴を持つ。《薬師》の職に適性があるのは森を住処とする森エルフだ。彼らは大抵、《魔術師》か《薬師》か《狩人》になる。
店内は狭かったが、綺麗に整頓されていた。壁際に置かれた棚に並べられた壺や半透明の容器からは強い薬草の香りが立ち込めている。
僕もポーションには少しばかり詳しいしやろうと思えば調合だってできるが、《薬師》には敵わない。彼らのスキルはポーションの効果を劇的に向上・変容させるのだ。
だから、高等級探求者の扱うポーションは全て《薬師》が作成したものだし、一流の《薬師》はどの街に行っても歓迎される。
アレンさんは雲ひとつない空を想わせるとても美しい瞳をしていた。きっとこういう目をした人は心も美しいのだろう。元素精霊種だしな。
僕は、きょろきょろと軽く棚を確認し、単刀直入に尋ねた。
「初めまして、僕はSSS等級探求者のフィル・ガーデン。昨日、機械人形がポーションを買いに来たと思うんですが、その命令を出した者です。閉店間際に申し訳ない、単刀直入に聞きたいんですけど――《機械魔術師》の職持ちのメカニカル・ピグミーを効率的に始末できるようなポーションって、この店に置いてますか?」
毒だ。僕が《機械魔術師》を効率的に片付けるとしたら、毒を使う。
最上級魔術師職を正面戦闘で片付けるのは相当難しいし、倒せたとしてもこちらにも被害がある。
《機械魔術師》は万能だ、罠を看破するスキルもあるし、スレイブだって作れる。防御スキルも攻撃スキルも移動スキルすら揃っている。たとえアリスを使ったとしても、複数人の《機械魔術師》を一人も逃さず始末するのはかなり難しい。
だが、だからこそ、その万能性が逆に選択肢を狭めている。
毒だ。高い状態異常耐性スキルを保有する彼らは毒をそこまで警戒していない。そして、《薬師》の強力な効能強化スキルがあれば彼らに有効な猛毒を作る事も可能なはずだ。
突然出された物騒な問いに対し、アレンさんは一瞬黙り込んだが、考える素振りもなく、すぐに険しい表情で言った。
「………………何に使うのか知らないが、ないね。この店にはそんな物騒なものは売っていない……というか、毒薬自体、販売していない。この地には毒が効くような魔物はいないからね」
淀みない答えだ。僕の勘だが――嘘はついていないな。
そもそも、《薬師》は強力であるが故につく者を選ぶ職だ。彼らが大成するには職を授かっただけでは得られない素材の知識が必要で、故に師弟制を残している。
まともな《薬師》ならば性根の曲がった者に毒薬の知識は与えない。そして、これは人里離れた森で暮らすエルフでも同様だ。もちろん可能性だけ考えればやりようは色々あるが、その辺りを気にしすぎたら限りがない。
「使わないよ、これはただの調査です。では、これまでそういうものを作った事は?」
嘘がバレる純人の性質もこういう時には役に立つ。
僕の言葉を信用できると判断したのか、アレンさんが安心したように息を吐き、やや表情を柔らかくして言った。
「一度もないな。毒薬なら…………除草薬ならあるよ。強力な奴が。入り用ですか?」
除草薬…………除草薬じゃ静脈注射しても《機械魔術師》には効かないな。
《機械魔術師》を抵抗の余地なく即死させるような薬を作ろうとするのならば、強力な幻獣魔獣の素材を元に《薬師》のスキルをフルに使わねばなるまい。
そう、例えば――ヒュドラが体内で生成する悪名高いヒュドラ悪毒とか。少なくとも、この辺りに存在する魔獣ではない。
「この店で最もよく売れるポーションはなんですか?」
「あいにく、お客さんは少なくてね。大抵の傷はギルドに卸しているポーションで事足りる。昨日、フィルさんからの使いで買いに来たのが最近では一番の大口だった。……ああ、除草薬は割と売れているかな」
魔導機械は職を持てない。強力な毒薬を入手するには《薬師》の協力が不可欠だが――。
店内を歩き回り、棚を一つ一つ確認する。種類は多様だが、アレンさんの言う通り、毒薬の類は置いていないようだ。
睡眠薬や麻痺薬はあるが、そんなものでは《機械魔術師》は無力化できない。《機械魔術師》を無力化するには、その強力なパッシブスキルが発動できない死の状態に一瞬で遷移させる必要がある。これは、仮に行方不明者がメカニカル・ピグミーじゃなかったとしても同様だ。六大種が変われば効く毒も変わるが、《機械魔術師》の職を持てるのは基本的に有機生命種だけだ。
棚を注意深く確認しながら尋ねる。
「ちなみに、仮に依頼されたら作れますか?」
アレンさんの表情が一瞬思案げなものに変わり、だがすぐに答える。
「考えた事もないが――恐らく、かなり難しい。素材も足りていないし、《機械魔術師》の耐性スキルはAクラスだ。私のスキルではそこまでの耐性を貫く薬効を出すことはできない。というか、そんな《薬師》、この辺りの街にはいないと思うよ?」
熟考に値しないレベルで練度が足りていない、か。どうやら僕が王国で常連だった《薬師》よりもだいぶ腕が落ちるようだ。
外部の大都市から運んだ可能性も少し残っているが…………まぁ、無理か。そこまでするとなると、効率が悪すぎる。
考え込む僕に、アレンさんが目を瞬かせ、真剣な表情で言う。
「何かあったのかい? ポーションに関係する事なら相談に乗るけど――」
「アレンさん、弟子はいますか?」
「いるけど、未熟だ。毒薬系についてはまだ教えてない。というか、私もそこまで詳しくないんだけど」
やはり無理か。そもそも仮に作れたとして、スキルを使ったポーションには使用期限もある。
即効性のある強力な毒薬は長く効果を保てないし、いつ来るかわからない《機械魔術師》をそれで始末し続けるというのは不可能に近い。
と、その時、ふと店内の片隅に置いてある踏み台に気づいた。
店内を軽く確認するが、踏み台を使ってまで確認するような棚は一つしかない。カウンターの隣にある商品棚だ。
探求者の平均よりはやや小柄とはいえ、僕の身長は平均的だ。僕で手が届かない棚という事は――。
「踏み台使ってもいい?」
「…………ああ。もちろんだとも」
踏み台を持ち上げ、カウンターの隣に持っていく。踏み台に上がると、つま先立ちして一番上の棚の商品を確認した。
埃はついていなかった。棚の上に所狭しと並んだポーションの瓶のラベルを一つ一つ確認し、下ろしていく。
「…………もう、閉店なんだけど……」
どこか言いづらそうにアレンさんが言う。僕は構わず商品を一通り下ろすと、棚の奥、まるで隠されているかのようにたった一本だけ変わった瓶のポーションがある事に気づいた。
綺麗に磨かれた、まるで香水のような瓶。蓋は他のポーションと異なり、ハートの形をしている。二組の翼で形作られたハートだ。
「これは?」
持ち上げ、アレンさんに見せると、アレンさんは複雑な表情をした。
「…………覚えていないな」
「ふん。こんないかがわしい物を置いているなんて…………需要あるの?」
にやりと笑みを浮かべて問いただすと、アレンさんは観念したようにため息をつき、肩を竦める。
「いかがわしいだなんて――モラルはともかく、法には違反していない、ちょっとしたお遊びポーションだよ。まぁ、こんな街で《薬師》の需要と言ったらそのくらいしかない。……よく見つけたね」
「隠された物を見つけるのは得意なんだ。せっかくだから貰おうか。一応、解毒薬もセットで頂戴」
「まいどあり…………まったく…………余り売りたくないから隠していたのに」
ブツブツ文句を言いながら、アレンさんが渡したポーションを紙袋に入れてくれる。
この瓶の蓋の形……惚れ薬だ。といっても、精神に洗脳じみた強力な作用を齎すものではなく、一時的に対象を興奮させて気持ちをこちらに向けさせる魔法薬。
友人の《薬師》曰く、この手のポーションは探求者の数に依らず、恒常的に売れる数少ないポーションらしい。
「……どうやらフィルさんはこの正体を知っているから一応言っておくけど――割と強力なポーションだ。注意して使うんだよ。説明書は入れておく」
「結構売れてるの?」
「…………まぁ、除草薬の次くらいだな。まったく…………私は惚れ薬を作るために《薬師》になったわけじゃないっていうのに」
どうやらアレンさんは納得いっていないらしい。まぁ、精霊種は感性が人とは違うからな……惚れ薬の類も人間社会と交わって初めて作られたと聞いたことがある。
下ろしたポーションを元に戻し、踏み台を戻し、少し考えて言う。
「そうだ、一応、アレンさん渾身の除草薬も貰おうか。一番人気も試してみよう」
「…………情けはいらないよ。惨めになるだけだ」
いい人だな……友人になれそうだ。
アレンさんはげんなりしたような表情で一度ため息をつくと、包装した紙袋を押し付けてきた。
§
購入したばかりのポーションを片手にエティの屋敷に戻る。
空には月がくっきり浮かんでいた。道路脇の電灯が点滅している。
随分と時間を使ってしまった。もうとっくにエティも正気に戻っているだろう。魔力妨害の腕輪さえなくなれば、金属製の拘束具など湿ったクッキーみたいなものだ。ドライが怒れるエティに分解されていなければいいのだが――。
静かな道を歩いていく。
時間は空けた。体調も万全近くまで調整できた。さて、これからどうすべきか――。
クイーンアント討伐に力を割くべきか、ワードナーの解析に力を入れるべきか、あるいは禁忌とやらを確認するべきか。この地には幾つも未踏破のダンジョンもどきが存在する。少々リスクはあるが、エティとアリスがいれば攻略は不可能ではないだろう。その中の一つにエティの目的に繋がるものがある可能性は低くない。
だが、待っている子が王国にいるのも忘れてはいけない。この地の状況はとても興味深いが、だらだら時間をかけて調査していくわけにもいかないのだ。
やはり……禁忌優先か。恐らく、僕がぶち当たっている問題とエティが探しに来ていたものは同じだ。
ならば、危険な方を先に済ませてしまった方がいい。僕がいなくなった後、少しでもエティが安全に活動を続けられるように――。
と、そこで僕は顔を上げ、慌てて周囲を見回した。
気づくのが遅れた。いつの間にか、大通りが静まり返っていた。
馬車も走っていなければ、人も歩いていない。仄暗い電灯の明かりだけが僕以外誰もいない道を照らしている。
足元から影が伸びていた。周囲を改めて確認するが、どこにも人影はない。
確かに、レイブンシティの人口は故郷の王国とは比べるべくもない。だが、これは――。
ぞくりと、背筋を悪寒が駆け上がる。優れた五感からくるものではない、経験からくる悪い予感。
不意に背後から光を当てられる。月明かりとも電灯の明かりとも質の違う白い光に、とっさに振り返る。
音もなく宙を浮いていたのは――僕の頭程の大きさの魔導機械だった。
漆黒のつややかな羽。白い強い光は、下半身の大部分を占める透明な部品から放たれていた。しかも、一体じゃない。
いつ現れたのだろうか? 空を舞う無数の魔導機械から、白い光が降り注ぐ。
一瞬思考が空白になる。どこか空気が浄化されるような白い光は、神官系職が保有する浄化スキルに酷似していた。
そしてこのこの形は――。
「蛍……ッ!? 憑依対策かッ!」
憑依はそこまで強力なスキルではない。知ってさえいれば簡単に解除できるスキルだ。
闇を祓うはずの光が牙と化し、僕の魂に仕込まれていた悪性の魂の欠片を浄化する。
それは、まるで本物の蛍のように美しく、どこか儚かった。
――対策と改良は魔導機械の得意分野だ。
モデルファイアフライが放っていた光が明滅し、消える。蛍たちが命を失ったように連続で地面に落下し、大きな金属音をたてる。
そして、一呼吸置く間すらなく――空から蛍の放っていたものとは異なる、暴力的なまでのエネルギーを秘めた光が降ってきた。




