第二十六話:恐ろしい罠だ
仕事の棚卸しはやらねばならなかった事だ。
僕がそれらを《明けの戦鎚》に流したのは、それがエティにもドライにもできない事だったからで、エティに事前に許可を取らなかったのは、許可など貰えるわけもなかったから。
《機械魔術師》はスレイブを自ら製造できる稀有な存在だ。だから、彼らは得てして一人で全てをやりがちだ。
振るべきだった。たとえそれらを全て悠々とこなせるだけの能力があったとしても、エティは誰かに頼むべきだった、と僕は思う。
アムのように酷い目に遭って来た者でなくとも――自分で全てをできる者にとって、他人を信頼するのは恐ろしい。
だからこそ、僕が代わりにやってみせた。やってみせねば人は変わらない。
「それに、何も考えずにエティから仕事を取り上げたわけじゃないんだ。お土産もそうなんだけど、実はエティにはやってもらいたい事があって――」
「ふーッ! ふーッ!」
うつ伏せに寝かせられたエティが耳まで真っ赤にして荒く息を吐き出す。その目は焦点を失い、既に夢と現実の間がわからなくなっているだろう。
精神を休めるための施術の一環である。だが、しっかり声は届いているはずだ。
ベッドは活性化した新陳代謝により吹き出した汗でぐっしょりと湿っていた。
汗まみれで服が張り付いた状態は良くない。相手がスレイブだったら服を剥ぎ取っていたところだが、今回は仕方なかった。許可を取れる状態でもなかったし、誤解されてしまったら面倒である。
消化不良だが、ポーションの効果測定はできた。
今回使用した道具の多くはドライに頼みこの街で買ってきてもらったものだ。使用したポーションもギルドには置いていないもので、こんな有機生命種の数が少ない街でマイナーなポーションを売る店があったとは意外だったが――。
「ポーションが効いたのが不思議かい? 《機械魔術師》には毒物を無効化するパッシブスキルがあるからな……だが、これは実は――毒じゃない。毒と薬は紙一重だ、どの種、どの職を相手に何が毒判定されて何がされないのか覚えるのは、ポーションを扱う者にとって基本だよ」
パッシブスキルは恒常的に発動しているスキル、半ば種族特性に近い。任意で切る事ができないから、ポーションを専門に扱う《錬金術師》や《薬師》はどの種の持つ抵抗が何を通すのかを、よく知っている。
耐性に限らず、この手の『判定』は奥が深く、一つの学問にもなっている。例えば、一部の職が持つ相手の能力を精査するスキル一つとっても、それぞれ精査項目が違ったりするのだ。
かつて、この街にやってきた当初、小夜さんが僕にかけたサーチスキルがアリスの憑依を看破できなかったように。スキルとは奥が深いものなのだ。
せっかくしてあげた講釈を、エティは全く聞いていなかった。ただ文句でも言うかのように唸り声を上げる。
「うーッ、うーッ!」
「はいはい、わかってるよ」
有機生命種は肉体と精神両方を調整して初めて施術成功と言える。
ポーションの投与は基本として、匂い、味、触覚、全てを使う。視覚と聴覚は優先度が下がる。どうせ見聞きする余裕なんてなくなるからだ。
無意識の海をたゆたっている時に言葉で暗示を与えるのはかなり効果的なのだが、今回の趣旨とはずれている。
片手を伸ばし、その汗で湿った髪の下――後頭部に指を差し入れる。
全身が鋭敏になっているエティは身を反らすと、びくびくと激しく震えた。涎を垂らしながらエティがこちらを見て息も絶え絶え声をあげる。
「あっ……あっ……コロスぅッ、そうるぶらざあっ、おぼえてるの、ですッ!」
「おかしいな……しっかり用量は守って打ってるのに……………………まだこんなにしっかり意識が残ってる」
これは…………才能かな?
「ッ…………うーッ! うーッ!」
だが、うーうー言えるだけでは意識が喪失しているのと一緒だ。だらんと投げ出された腕を取り、脈拍を測る。
近くで僕を見張りがてらデータ測定などのサポートをしていたドライが言った。
「如何でしょうか、フィル様。如何にエトランジュ様のためとは言え、マスターの醜態はこれ以上見るに耐えません」
「これを醜態と捉えるのは良くないな。まぁ、生き物というのは魔導機械程明確じゃないから仕方がないが――大丈夫、心配いらないよ。水分補給もさせてるし、抜かりはない」
少しばかり、疲労が溜まりすぎているのだ。軽く肩や背骨に触れ、マッサージをやった限りでも、彼女がこれまで如何に肉体を酷使してきたのかがわかる。
本来ならばもっと専門的な機関で施術するべきであった。だが、この街でそんな事できないし、僕の手でもやらないよりはマシだ。
最先端で未認可の手法だって混ざっている。
エティの上に乗り、改めてぐっしょりと湿り身体に張り付いた服の上からその細い背中に指圧を行う。今までぐったりしていたのが嘘のようにその身体がばたばたと跳ねる。
鎖の擦れ合う音。よく見ると、両手両足に取り付けられた手錠と足かせが変色していた。
強力な魔術を使える上位の魔物でも抑え込めると評判の道具だったのだが、どうやら許容限界が近いらしい。このままでは物体としては残っても、魔術発動を阻害する能力は壊れてしまう。そうなれば一巻の終わりだ。
そろそろ激しい施術はやめてクールダウンさせた方がいいだろう。コロスだなんて、物騒な事も言ってるし……。
「そう言えば、大半はガルド達に押し付けたけど、仕分けた残りの仕事もあるんだよな」
「エトランジュ様でなければ行えないもの、ですか」
だが、考えものだ。エティの再起動には少し時間がかかるだろうし……そうだな……。
まだ痙攣しているエティの背中をばしばし叩いて言う。
「自慢じゃないけど、僕は仕事を全部友人に渡して自分の仕事がなくなった事がある」
「それは……本当に自慢じゃないのでは」
《機械魔術師》はどちらかというと戦闘よりも育成に特化している者が多い職だ。エトランジュ・セントラルドールの唯一性は、彼女が戦闘型の《機械魔術師》である点にある。
彼女が絶対に必要なのはダンジョン攻略に赴くその瞬間だ。それ以外の仕事は別に彼女である必要はない。
《機械魔術師》だ。《機械魔術師》ならばいいのだ。
エティより練度は低いかもしれないが、魔導機械の分析は基本中の基本スキル、皆が持っているはずだ。事前調査くらいなら代わっても差し支えないだろう。
「ドライ、この街にエティ以外の《機械魔術師》は何人いる?」
僕の問いに、ドライがすかさず答える。
「私の知る限りでは、マクネス様。そして、ギルドでは他にも魔導機械の研究分析のために何人か《機械魔術師》が所属していたはずです」
「ギルド所属以外を除けば?」
「存在していたら、わざわざ新参のエトランジュ様を呼びつけたりはしません。フィル様、《機械魔術師》はレアなクラスで、どこの街に住んでも大金を稼げます。このような果ての街に、数人でも《機械魔術師》が存在しているのは、ギルドが誘致しているためです」
ごもっともな話だ。《機械魔術師》にとって魔導機械は非常にやりやすい相手だが、そもそも《機械魔術師》だったら魔導機械など狩らなくても財を築ける。有名な機械人形の製造メーカーに入れば危険な冒険をせずに思う存分研究できるだろう。
腕を組み考える僕に、そこでふとドライが言った。
「フィル様。エトランジュ様がこの街にやってきたのは――この地に眠る『禁忌』を知るためです」
「……続けて」
スレイブがマスターの指示なしで情報をくれるなどなかなかないことだ。僕もドライから少しは信頼されたという事だろうか? あるいはそれとも――僕に話してしまうくらい、ドライはエティが心配だったのだろうか。
「そのために、準備をしていたところで、声がかかりました。エトランジュ様は言っておりました、この地は《機械魔術師》にとっても、そこまで容易い地ではない、と。未確定ですが、私が調査した限りでは――ここ十年で、この地では少なくとも、五人の《機械魔術師》が消息を絶っています」
知らない情報だった。上級職持ちが五人――高等級のダンジョンならばおかしな数ではないが、相性のいい魔導機械の楽園で消息を絶つとなると話が違う。
そしてそれを知りつつこの地にやってきたという事はつまり、彼女はとても…………勇敢だ。ドライが心配になる気持ちもわかる。
「んあ」
腕を伸ばし首元を撫でてやると、ぐったりしていたエティが短く返事をする。体温がだいぶ上がっている。
これだけ汗をかけば体力消耗も激しいだろう。毒を抜いたら後は整えるだけだ。
完璧ではないが、設備も時間もない今の状況では最善を尽くした。もうちょっとその肉体機能と反応を確かめてみたい気持ちをすっぱりと断ち切り立ち上がる。
ここで僕にできる事はない。ドライに言う。
「ドライ、先に言った通り、彼女の世話は任せたよ。できれば意識が戻ったら僕の弁護もしておいてくれ」
「フィル様は?」
「残りの仕事、ギルドに協力を要請してくる」
僕が間に入るとは伝えていたし、誠意をもって話し合えばまあなんとかなるだろう。他の《機械魔術師》がいるのならばギルドに話を持ち込むしか方法はない。
報酬の減額を求められるかもしれないが、その時はその時だ。
エティは名誉欲を求めるような性格でもなさそうだし、ルールに則った戦いは僕が最も得意とするものである。
「私が付き添わなくても大丈夫ですか?」
「心配してくれるの? 問題ないよ。街からは出ないし」
機械人形って結構素直な子が多いんだよなぁ。
優れた感情機能は徐々に独自の自我を構築しそれが個体差となるのだが、悪い子が余りいないのは、設計思想からして彼らに悪意を焼き付けるつもりがなかったからなのだろう。
「何かあったらエトランジュ様の怒りを受ける相手がいなくなりますので」
「……今のジョークは少し面白かった」
「本気です。私が叱られて貴方が叱られないのは公平ではない」
逆だ、逆。エティは僕の事は叱ってもドライの事は叱らないだろう。まだまだ人の心理というものがわかっていないな。
§
「まったく、最上級――SSS等級探求者が聞いて呆れる。間にはいると言っていたから何をやるかと思えば…………しかも、君はアポイントメントというのを知らないのか」
突然の僕の訪問に、マクネスさんの機嫌はだいぶ悪かった。
応接室。眉間にしわを寄せ、招かれざる客の招かれざる要望に深々とため息をつく。
僕が低等級探求者だったらまず成立しない手法だ、もしも等級が戻っていなかったら別の面倒くさい手法を取らねばならないだろう。
表情に申し訳なさは出さない。
「話は早い方がいいだろ? マクネスさんも忙しいでしょうし」
「ふん……ならば、話を持ってこないで欲しいものだ。邪魔をするつもりはないとか言っておいて――これは興味本位なんだが、君の故郷だという王国の探求者は皆、そうなのか?」
「皆そうだったら取り合って貰えませんよ」
僕だって最初からこうではなかった。才能も種族的強さも何ももたなかった僕だからこそ絡め手を使わねばならなかったのだ。
他人と同じ手を使っていたら、才能で負けている僕に勝ち目はない。
「まぁ、確かに、うちにも《機械魔術師》はいる。何しろ、魔導機械の部品の流通から研究、情報のアップデート、機械人形の修理まで全て請け負っているのだからな、平常業務だけでも目が回る程忙しいよ。もっと欲しいくらいだ」
市長のバルディさんはギルドなくしてこの街はないと言っていたが、かなり大きな役割を負っているらしい。
「何人くらいいるんですか?」
「……さぁな。だが、他の二都市と合わせたら、少なくとも十人よりは多いだろう」
マクネスさんが、手渡した押し付ける予定の書類を机に置き、肩を竦めてみせる。マクネスさんは小柄だが、その仕草は随分と様になっていた。
十人……思ったより少ないな。日々どれだけの魔導機械の残骸が持ち込まれているのかは知らないが、幅広い業務をその人数で捌くのは至難だろう。
そこで、マクネスさんが表情を真剣なものに戻し、本題に入る。
「ギルドの仕事は探求者のサポートだ。どうしても不可能というのならば検討もするが、いくら大規模討伐とはいえ、一度引き受けた役割を果たせぬというのならば、相応の理由と代償が必要だ。示しがつかない。しかも、全体の三分の一程のようだが――単純に時間がかかる作業を差し戻すならばともかく、これは紛れもなく、《機械魔術師》にしかできない仕事だよ。エトランジュは責任感の強い《機械魔術師》だと聞いていたのだが――」
どうやらマクネスさんはまだ、僕が残りの三分の二を《明けの戦鎚》に引き渡した事を知らないらしい。
まぁ、正論だ。この場にエティが来ていないのも問題だろう。張本人不在で仕事の交渉など馬鹿げている。
僕はそこで前のめりになると、声を潜めてマクネスさんに言った。
「マクネスさん…………ここだけの話なんだけど、僕は今回の件、アルデバラン側からの罠だと思っているんだ」
不穏な言葉にマクネスさんの目の色が変わる。
周囲を軽く確認すると、前のめりになり視線を合わせてくる。
「…………どういう意味だ?」
「【黒鉄の墓標】での事は聞いただろ? 相手は人語を操る魔導機械だった。彼らには高い知性がある。クリーナーの王にもあるんだから、大規模な縄張りを持つアントの女王にないとは考えづらい。ましてや、モデルアントは低等級個体でも陣形を組むだけの知恵を持っているんだから」
「ふむ…………一理あるな。だが、罠とは?」
どうやら興味を引けたようだ。
知性を感じさせるモノクルが光を反射している。真剣な表情のマクネスさんに、僕の推測を語る。
「彼らが知性を持っているのだとすれば、間違いなく己の天敵を知っている。《機械魔術師》だ。モデルアントの始祖を作ったのは間違いなく《機械魔術師》で、それを分解する術を誰よりも知るのも《機械魔術師》だ。僕が彼らの王ならばまず、《機械魔術師》を消耗させる策を取る。ここらへんの街には魔導機械もありふれているし、斥候を送り込んだりして情報を調べるのは難しくはない」
人の思考を知った魔物の恐ろしさはそこにある。
社会を知り、思考を知り、知恵をつけた魔物ほど厄介なものはない。人間社会では、そういう魔物を一般的な魔物と区別して魔族と呼ぶ事もある。
話を聞いたマクネスさんが眉を顰めて言う。
「モデルアントだぞ?」
「人型の蟻がいないと言い切れますか?」
「…………推測だ。ただの、推測に過ぎん」
マクネスさんが顔を上げ、額に眉を寄せ、腕を組む。僕は出された金属のグラスに注がれたお茶を口に含んで答えを待った。
時間が少しずつ過ぎていく。マクネスさんは何も言わず、僕も何も言わない。
ただ、その視線は僕の考えを読み取ろうと言わんばかりに鋭い。
そして、たっぷり数分考え、マクネスさんがようやく口を開く。
「つまり、フィル・ガーデン。君は――こう言っているわけか? アルデバランは人間社会に斥候を放っていて、この街の情報に厚く、大規模討伐の依頼が発行された事を知り、天敵を知り、罠をしかけてきていると?」
「まぁ、概ねそんな感じですね」
「それで、君の考える罠とはなんだ?」
マクネスさんがこちらを凝視し、問いかける。
僕は一片の隙もない真剣な表情で答えた。
「それはもちろん……この大量のタスクですよ。恐ろしい罠だ」
「ッ…………!」
マクネスさんが話を断ち切るように、強く机を叩く。
声はまだ荒げていなかったが、明らかに込められた圧力が違った。
「君は……ふざけているのか? 役割はエトランジュと《明けの戦鎚》とギルドで話し合って決めたのだ! モデルアントの絡む余地はない」
「………………本当に?」
「…………ッ」
唇を噛み、こちらを睨みつけてくるマクネスさん。その気持ちもわかる。余りにも馬鹿げている。常識的な観点で言うと、確かに僕の言葉は馬鹿げていた。
自分を騙せない言葉で人を説得させる事は出来ないと、僕はエティに言った。だが、実はそれは少し違う。
信念の篭もった言葉は、人に届くのだ。
小さく咳払いをする。身振り手振りを交えて言う。声に力を込めるのは僕も得意だ。
「マクネスさん、僕はクリーナーロード……ワードナーを見て、聞いて、触れて、知った!」
「彼らは――とても、恐ろしい存在だ。彼らは、敵として作られ、敵としてこの地を支配し、敵として人を見ていた」
「どれだけ備えをしても足りはしない。日常業務を少し止めた程度で備えができるなら、するべきだ。絶対に。取り返しが――つかなくなる前に」
「………………」
直感的にわかった。――届いた。
マクネスさんが再び沈黙する。が、もはや理は僕の側にある。マクネスさんには、断る理由が、大義がない。無能ならばともかく、彼は有能だ。
唇を噛み、凄惨な形相で僕を睨む。二度も無茶を通そうとしているのだ、睨まれる事くらい甘んじて受け入れるべきだ。
僕と彼は――味方同士なのだから。少なくとも、今のところは。
マクネスさんは深呼吸をして表情を戻すと、すっと手を差し出してきた。
「…………いいだろう。フィル、今回だけは、君の口車に乗ってやろう。だが、代わりにエトランジュにはその分、戦場で成果を出してもらう」
「ああ、もちろんだ。高等級探求者の責任は果たす……と、多分エティも言うだろう」
固く握手を交わす。少しばかりマクネスさんの手に強めに力が入っていた事については――何も言うまい。
なにはともあれ、目的は達した。エティの持っていた仕事はなくなった。
話は終わりと言わんばかりに、マクネスさんが立ち上がる。そこで、僕はもう一つ聞かねばならない事を思い出した。
「そう言えば、マクネスさん。この地で消息を絶った《機械魔術師》が何人もいるって聞いたんだけど、知ってる?」




