第二十四話:本望では?
円滑に依頼を進める上で必要なのは、取捨選択する事だ。いくら強力な職持ちでも身体は一つしかない。そして、魔術師というのは大抵、貧弱だ。
エティの作業スペースにはギルドから請け負った様々な資料や、大規模討伐で戦う予定のモデルアントの部品が所狭しと積み上がっていた。
大規模討伐依頼には特殊な依頼名がつけられる。今回発行された大規模討伐――『灰王の零落』は、ダンジョン【機蟲の陣容】の最奥に生息していると推測されるモデルアントの最上位個体、クイーンアント(個体名アルデバラン)とその配下のモデルアント軍の殲滅を最終目的とした依頼だ。
大規模討伐依頼は一般の依頼と比べて危険性が高い事から、ギルドも間に入り一丸となって取り組む。
今回依頼の中核となっているのがランドさん率いるクラン、《明けの戦鎚》と、外部から呼び寄せたアドバイザーのエトランジュ・セントラルドールである。
大規模クランの《明けの戦鎚》がメインで討伐を実施し、魔導機械の専門家であるエティが調査・分析とアドバイスを行う。
探求者は基本的に個々人――多くても数人単位で動く事が多いので、慣れていないと面倒なトラブルなどが起こる事も多い。ギルドの役割は全般的なサポートという事になる。
クランのリーダーとして動かせる相手が多いランドさんはともかく、一人しかいないエトランジュにかかる負荷の大きさは明らかだ。
机の上に積み重なった資料を前に、エティが笑みを浮かべる。
「まぁ、分析は得意ですし、少し量はありますが、私にかかれば問題ない量なのです」
「……ドライの他に手伝ってくれるスレイブとかいないの?」
「はぁぁ……フィルはわかっていないのです。スレイブは量より質なのです。そもそも、頭を使うのはマスターの仕事でしょう?」
エティが深々とため息をつき、呆れたように言う。どうやらいないようだな。
「なるほどなるほど……わかった、わかった」
「よしよし、わかってもらえてよかったのです。偉い偉い」
エティが視線を書類に向けながらも、腕を伸ばし、頭を撫でてくる。
それが彼女なりの友好の証だというのならば言う事はないが……この僕を何だと思っているのだろうか?
そこで、僕はぱんと強く手を叩き、ドライを呼んだ。
特に合図を決めたわけではないが、ドライがどこからともなく近づいてくる。
どうやら彼はこの大規模依頼における役割を持っていないらしい。
「ドライ――入浴の準備だ。湯船も入れて」
「他人のスレイブを当然のように使って……フィル、まだ昼間なのに、お風呂入るのですか?」
惚けたような事をいうエティの頬を引っ張る。化粧っ気のない頬はもちもちしていて極上だ。
突然の暴挙にぽかんとするエティに宣言する。
「エティ、入るのは、君だ」
「ふぁあ? はひひってふほへふは、ははひは、はいらはひほへふ」
「ふ……何言ってるのか全然わからないな」
「……わからないですね。かしこまりました」
ドライが人にかなり近い少し気味の悪い動きで消える。
機械人形はマスターに絶対服従だ。だから、ある程度自由意志を与えられていても、主の意志に反する事は基本的にしない。思いつかないのだ。
エティが手を振り払い、赤くなった頬を擦る。本来だったら汚れた洗濯物を洗うようにじゃぶじゃぶ洗ってやりたいところだが、どうやらそんな余裕はないようだ。
わかった。僕は、わかったぞ。ソウルシスターが心の底からワーカーホリックだという事が。そして僕と違って彼女は何にでも手を抜かないらしい。
頬を押さえるエティの後ろに回り、その手にあった書類を取り上げる。ざっと見たところ、ダンジョン近辺の環境の図面らしい。
資料を取り上げられ、エティが小さく息を呑む。
「!?」
「動きが鈍い、動きが鈍いぞ! 反応が遅れている、万全じゃない証だ」
「そ、そんな事ないのです!」
そもそも万全だったら僕に書類を取り上げられたり、頬をつねられたりするわけがない。
疲労がたまり反応速度が、判断力が鈍っているのだ。ずっと引きこもっての仕事は肉体的には疲れないかもしれないが、精神疲労は馬鹿にならない。
「そんな事あるよ。そんな状態じゃスキルも使えない」
「つ、使えるのです! 『遮断壁』!」
エティがその言葉を証明するように叫ぶ。
全てを遮断する半透明の壁が出現する。こんこんと壁をノックしながら、僕はエティを見下ろして言った。
「使えるって言っても、下級スキル程度自慢げに発動されてもね」
「ッ…………使えるのです! 『機銃招来』!」
拳を握り、高らかにエティが叫ぶ。周囲の床に輝く幾何学的な魔法陣が浮かび上がり、そこから漆黒の砲塔が生える。
数は四。自作の重火器を召喚して攻撃する機械魔術師の攻撃スキルだ。一般的な重火器は使用者の能力に左右されず一定の威力を出せるが、機械魔術師の機銃スキルは術者の実力が威力に反映される。
召喚できる砲塔の数も術者の実力次第だ。
「たった四つ? たった四つなの?」
「ッ……この! そんな事、ないのですぅ!」
魔法陣が地面に、空中に、次から次へと出現し、砲塔を生やす。その数――十以上。機銃の威力は術者次第ではあるが、たとえ最低の威力しかなかったとしてもこれだけ出せるのならば彼女が一流である事に疑いはない。
それらの砲塔は全てこちらに向けられていた。エティが大きく深呼吸をして、僕を見上げる。
目と目が合う。僕は鼻を鳴らして言った。
「目の前、ちかちかしてるでしょ?」
「…………」
「一瞬意識飛んだだろ?」
「飛んでなんて、ないのです」
ふらふらと頭を揺らしながらエティが言う。
ここまで強がれたら立派だな。まぁ、どっちにしろしっかり入浴した後にゆっくり眠って貰うけど。
スキル行使で精神力も削れただろうし、湯船につければ意識も落ちるはずだ。魔法陣が放つ光が既に消えかけている。まだ出してから数十秒しか経っていないのだが、限界に近づいている証だ。
ドライが戻ってきた時には、魔法陣は消え砲塔もなくなっていた。ぐらぐらしているエティの背中を押す。
「ドライ、君のマスターを風呂に叩き込め。しばらく出すなよ」
「承知しました」
「そして、風呂に浸けたら《明けの戦鎚》のガルドとセーラを呼んできてくれ。僕の使いだと言えばいい」
その間に、エティの前に積み上がったこれらの仕事をどうにかすることにしよう。
大規模依頼に口を出すのは久々だ。王国では色々口を出しすぎて余程のことがない限り呼ばれないようになってしまったから――。
僕からエティを引き取ったドライが冷ややかな声で言う。
「こき使いますね」
「本望では?」
「…………」
ドライの答えは沈黙だった。
いつの間にか意識を失ったらしい。ドライがエティを横抱きにして連れて行く。
反応は冷たいが、ドライは味方だ。僕がエティの味方をしている限りは僕の命令にも従ってくれる。機械人形とは、そういうものだった。
姿がなくなるまでそちらを見送ると、僕はようやく机に向き直った。
僕には彼女程の専門技術はないが、できる事はある。さっさとやれる事をやってしまおう。
§ § §
心地の良い微睡み。意識が柔らかく浮上する。
エトランジュが目覚めた時、そこは自室のベッドの中だった。
「ん……うぅ…………ここは――」
カーテンの隙間から光が入ってきている。しばらく簡素なベッドの上で薄暗い室内を見回していると、朦朧としていた意識が少しずつ覚醒してくる。
身体はまだ少し重かったが、頭はすっきりしていた。ここしばらくあった寝不足の感覚が消えている。ぼんやりと時計を確認し、エトランジュは慌てて立ち上がった。
「朝!? もう朝!? ドライッ!」
「はい。おはようございます、エトランジュ様」
「なんで、起こしてくれないのですか!」
「フィル様が、起こすなと」
その言葉に、ようやく昨日、意識が落ちる前の記憶が一気に蘇ってくる。
帰還したはずのフィルが全く報告に訪れず、苛立ち紛れに宿に向かったこと。ギルドへの付き添いに、家に招き入れてからのやり取り。
疲労のせいで判断力が鈍っていた。いつものエトランジュならば、たとえ友人でもそう簡単に屋敷に入れたりはしない。ましてや、自分の仕事に立ち入らせるなど――。
そもそも普段のエトランジュならば、いくら帰還しているはずのフィルが報告に来ないからといって、たった数日反応がなかっただけで宿に突撃するなんて事、しないのだが。
エティの意識が消えたのは昼だ。そして、時計を見る限り、現在は朝。十時間以上眠ってしまった。
「貴方は、どちらのスレイブなのですか!」
自分の事は棚に上げてドライを叱ると、部屋を飛び出す。リビングに向かうと、なんとも言えない、いい香りが漂ってきた。
そこで初めて、お腹が空いている事に気づく。ここしばらくは食事もドライが作ってくれたものを仕事をしながら摘む程度だったので、この感覚もなんとなく新鮮だ。
どうやらフィル……本当に料理しているようですね。その程度で許す気は毛頭ありませんが――。
気合いを入れ直し、リビングの扉に手をかけたところで気づく。そういえば、ドライ以外の誰かが部屋にいるというのは初めての経験だ。
やや緊張しながら扉を押し開ける。鼻孔を擽る空腹を刺激する香り。この臭いは――と、そこでエティの気配に気づいたのか、キッチンの方からフィルが顔を出した。
「おはよう、エティ」
「おはようなのです、フィル――じゃなかった、貴方、どうして私をこんな朝まで――」
ついつい挨拶を返してしまい、慌てて文句の言葉を出しかけたエトランジュに、フィルは真剣な表情で言った。
「エティ――シャワーを浴びて頭をすっきりさせてくるんだ。ついでに、着替えてきなよ」
「!? そ、そんな時間は――」
「エトランジュ。もう一度言うよ? 身支度を、整えてくるんだ」
「わ、わかったのです」
輝く瞳に、宥めるような声。まるで、従うのが当然であるかのようなその仕草に、思わずエトランジュは小さく頷いてしまった。
《魔物使い》は、自らの戦闘には参加せずにスレイブを操る専門職。
その職につく者は己の力だけで戦うのが難しい者ばかりらしいが、それ故に《魔物使い》は言葉や仕草のみで強者を従える技術を持つという。
アリス戦の最後のおすわりに思わず従ってしまった時はさすがに呆然としたが、もしかしたらそれがフィルがSSS等級である証なのかもしれなかった。少なくとも、スレイブが強いだけ、などではないのだろう。
どちらにせよ、身支度を整えなければ話も聞いてもらえそうにない。急いでシャワーを浴びにいこうとするエトランジュに、フィルが追撃してきた。
「昨日はお湯に浸けただけだったから、すぐに戻らずしっかり身体を洗うんだよ」
「余計なお世話、なのです! 子どもじゃないのですよ!」
全く、女性にしっかり身体を洗えなんてデリカシーの欠片もない。
戻ったらどう文句を言ってやろうか、それだけを考えながら浴室で頭からお湯を浴びる。だが、スポンジにソープを垂らし泡立て、時間をかけて念入りに身体を洗い、泡を流した時には腹立たしさも少しは収まっていた。
最近は本当に忙殺されていた。こんなに落ち着いたのは久しぶりだ。
その分、詰まっているはずの仕事を考えると気が滅入りそうになるが、とりあえずフィルに怒りをぶつけるのは手加減してやろう。
髪を乾かし、梳かしつけてドライの用意してくれた服を着る。鏡を見て特に問題ないことを確認すると、リビングに戻る。
テーブルには朝食が並んでいた。色鮮やかな野菜を盛り付けたサラダにスクランブルエッグにパン。それに――大きな器に波々と盛られたクリームシチューだ。
メニューはそこまで複雑ではないが、配膳がしっかりされている。お店で出てきそうだと、エトランジュは思った。
「……朝から、少し重いのです」
十分食べ切れそうだったが、これまでの仕返しを込めて文句をつける。
エティの感想に、フィルはにやりと自信に満ち溢れた笑みを浮かべて言った。
「煮込み料理が得意なんだ。栄養が簡単に取れるし、薬を仕込んでも味の変化に気づかれにくいのが最高にイカしてる」
「…………冗談、なのですよね?」
「好物がわからなかったから、感想を聞かせて欲しい」
答えになっていないのです……。
さすがのフィルも、スレイブでもないエティに薬物を仕込むことはないはずだ。
そう自分に言い聞かせ、ご飯を食べながら少しでも遅れを取り戻そうと、自室に資料を取りに行く。
そして、自分の机を見て、目を丸くした。
昨日まで机にうず高く積み上げられていたはずの資料がごっそり――半分以下に減っていた。慌てて机の周囲を確認するが崩れている様子はない。
後ろからついてきたドライに確認する。
「ドライ、資料が減っているのです。何か知らないですか?」
「フィル様が処理なさっていました。処理済みのものはこちらに――」
「そんな馬鹿な……いくらなんでも量が量なのです。この短時間で、一人で終わるようなものでは――そもそも、街の外に確認に行かなければならないものもあったはずで――」
ありえない。エトランジュの作業はそう簡単に終わるものばかりではないのだ。
資料だけ見て分析すればいいものもあれば、魔導機械の部品を分解せねばわからないものもある。そして、問い合わせしなければならないものもあった。いくら優秀でも一朝一夕で終わるようなものではない。
ドライが示す箱を確認する。山で言えば三つ程だろうか。内容をじっくり確認しようと思っただけで半日はかかるだろう。
混乱しているエトランジュに、ドライがいつも通り無機質な声で予想外の事を言った。
「はい。処理したと言っても、実際に終わらせたわけではありません。フィル様は目を通しただけで――実作業の方は、《明けの戦鎚》を呼び出して、押し付けたのです」




