第七話:どうやら今日は調子が悪いようだな
「!?」
その目が大きく見開かれ、鎧も着ていない身体が大きく震える。その視線がすっと外れる。
「な、なんの、話ですか?」
「アム。目をしっかり見るんだ。逃げるんじゃない」
逃げることは許さない。《魔物使い》は己のスレイブと向き合う事から始まる。
目を逸すのは罪悪感の表れだ。僕はアムを責めはしない。
彼女は『悪性』なのだ。先程は散々アムを貶したが、実は前科がないだけマシであった。
僕は彼女のマスターになった。短期間という変則的な契約だが、僕はその時点で彼女の理解者であり、味方であり、マスターとしてスレイブを幸せにする義務がある。そのためにはあらゆる手を使う。
僕が選んだ。アムと知り合ったのはただの偶然だが、僕にとって契約は命より重い。
真剣な声で語りかける。《魔物使い》の真価は信頼の下で初めて発揮される。
「これはあまりにも当たり前で、言うまでもない事だから、口に出すのはこれが最初で最後だ。アム・ナイトメア。契約を交わした以上、僕たちは一蓮托生で――僕はどんな時でもアムの味方だ。変則的な契約ではあるが手を抜かない。《魔物使い》とスレイブの関係は決して主人と奴隷じゃない。僕には目的がある。だが、それは別として、僕はアムの幸せのために最善を尽くし、そして――」
――アムに幸せにしてもらう。
アムは目を見開き呆然として僕の言葉を聞いていた。
それは僕の《魔物使い》になってから持っていた一貫した哲学である。
確かにかつて栄光を目指した僕にとって《魔物使い》は唯一の道だった。
だが、僕は決して妥協して《魔物使い》になったわけではない。
「だから、僕は己のスレイブを怖れない」
言葉に出さねばならなかったのは僕がまだ未熟な証拠だ。
本来この程度、態度だけでわからせねばならない。僕は躊躇いなく、固まるアムの手を掴んだ。
――それは物理的な衝撃すら伴っていた。
覚悟していた以上の暗い『感情』が衝撃となって肉体を駆け巡り、一瞬、確かに心臓が止まる。
力が抜けかける。その場で昏倒せずに済んだのは奇跡に近い。胃の中をぶちまけてしまいそうだった。生命力が抜けていく。より強靭な魂に吸い寄せられる。アムが遅れて小さく悲鳴をあげた。
「あ!」
アムが手を振りほどく。僕はそれを防ぐ元気すらなかった。
悪性霊体種に区分される種族は二つの大きな特性を持つ。
一つは近づくだけで相手に根源的恐怖を与える『恐怖のオーラ』、二つ目は――。
「ア、ム……『ライフドレイン』は、法律で、人への使用は、禁止されている」
「あ、だ、だって、フィルさんがい、いきなり――ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
他人の魂を食らう『ライフドレイン』。相手の生命力を問答無用で吸収する恐ろしい力だ。
効果は相性や種族にもよるが、酷い場合だと数秒で命を吸いつくされて死ぬ。街一つがたった一体の悪性霊体種に吸いつくされ一夜にして全滅した例もある。
そして一番の問題は、それほど恐ろしい能力が、彼女たちにとって基礎中の基礎である点だ。
他者を害する能力を二つも持つ以上、彼女たちが人里で忌み嫌われるのはただの風評被害ではない。
人の生活圏内ではライフドレインはオフに、オーラは極力抑えるのがルールだ。恐怖のオーラはまあ実害は薄いから目をつぶるとしても、ライフドレインを常時切れていないというのは致命的だった。
一秒で死にかけた。いや、死んでいてもおかしくなかった。余りにも間抜けな死因である。
本当にダメな子だ。また一つ課題が増えてしまった。
僕は荒く呼吸をしながら、両腕を伸ばしアムを掴まえた。
「ッ!?」
そのままアムを引き寄せ、しっかりと抱きしめる。
ちゃんとライフドレインを切ったのか、衝撃はなかった。
アムの身体は華奢で、すこしひんやりしていて、軽かった。アムが身を震わせるが、逃さない。
悪性霊体種は孤高か寂しがり屋の二種類に別れる。特に人里に順応できていない彼女たちは触れ合いに飢えている事が多い。
こういう時に最も効果的なのは抱きしめる事だ。スキンシップはスレイブを安心させる。だから、僕たち《魔物使い》は基本的に異性しかスレイブにしない。
アムが恐る恐る、僕の背中に腕を回す。
僕は弱い。力も魔力もないし何も与えられないが、抱きしめる事くらいはできる。
「ごめ、、ごめ、んな、さい……ごめん、なさい」
アムの嗚咽が耳元で聞こえ、冷たい水滴が首元に落ちる。
危ない、死にかけた。だが、少しは回復したか?
僕はアムを抱きしめながら、目を細め、呆れているサファリに目配せをした。
§
落ち着くのを待って解放する。アムは神妙な懺悔をするような口調で言った。
「ごめんなさい。嘘、つきました。実は私……D等級の依頼は、受けたことがなくて……」
知ってる。
「その……調子がよければ倒せると思うんですが、相当良くないと、倒せないと思います」
アムは目を真っ赤に腫らして嘘をついた。悪性霊体種のプライドには呆れる。
彼女たちはいつだって背伸びしてでも成果を見せたいと思っているし、しょっちゅう嘘泣きをする。周りの和も考えない。
――だが、いざという時になりふり構わず真っ先にやってくるのは彼女たちだ。
うん、目は真っ赤だが、調子は先程よりもだいぶ良さそうだ。死にかけたかいがあった。
続き、アムに順番に確認していく。
「アムの剣の腕はどのくらい?」
「はい……恐らく、一般的な剣士の平均よりは……上かと」
嘘だ。彼女は剣を持っているしギルドでも剣士として登録されているが剣士の『職』を得ていない。
つまり、剣を持ってるからとりあえずギルド登録で剣士と書いておいた初心者探求者レベルだ。
「モデルアントの装甲は切れそう?」
「その……十回に一回くらいは、いけると思います……」
嘘だ。彼女はモデルアントよりずっと弱い魔導機械を剣で撲殺している。
それで剣士とは、笑える。
「種族スキルは使える?」
「……じゅ、十回に、一回くらいは」
アムが目を逸し、もごもごと言う。嘘だ。
アム・ナイトメアは徹頭徹尾嘘つきなダメな子であった。
「フィル、大丈夫なのか?」
サファリが窺うような目つきで聞いてくる。ランナーに心配される探求者など僕くらいだろう。
「だ、大丈夫です、フィルさん。フィルさんのおかげでしょうか……今の私は、力がみなぎっています。最近で一番いいです。勝てます」
契約で刻んだ紋章を通じて、アムの力が伝わってくる。
だが、それは最底辺にまで低下していた力が精神の安定によりちょっと元に戻っただけだ。
アムの評価は僕の中で下降の一途を辿っている。が、こういう時の事も考えていた。如何にスレイブを信頼するのが仕事の《魔物使い》でも、最初の依頼で備えをしないというのはあり得ない。
王国で手に入れたランクアップ報酬――『冥王の円環』は高値で売れた。
急ぎ資金が必要で手っ取り早く処分したので値段が落ちてしまったが、それでもおよそ一億キリ。
一億キリあれば生活には困らないし装備換算なら中級上位の探求者が使う物が一式揃えられる。
僕はその資金で身支度を整え、近辺の地図や魔物の情報を購入し、対モデルアントの対策を行った。
アムの武器は買わなかったが、それは彼女のへっぽこな腕では多少いい剣を持っていても無意味だからである。
そもそもなんでアムは剣を使う事を選んでしまったのだろうか?
ギルドのショップではそれなりの魔導機械の装甲を破壊できる重火器がずらりと並んでいた。
……まあいいか。先入観に囚われるのはよくない。その辺はアムの戦い方を見ればわかることだ。
僕はそれらの疑問を全て置いておき、一番重要な事を確認した。
「アム、戦えるね?」
「はい、もちろんですッ!」
「よろしい。ならば、剣を抜け。戦闘準備だ。初陣と行こうじゃないか」
「ッ! フィル、敵だッ!」
遅れて、サファリが鋭い声を上げる。地平線の向こうで金属の甲殻が反射している。
ポケットの中で、ギルドで購入したレーダーが小さく震えていた。この辺の一部の魔導機械が放つ電波を検知し敵の接近を知らせるアイテムだ。安いものではないが、へっぽこスレイブしかいない状態で奇襲対策は必須である。ここは縄張りの外のはずだが、こういう事もまああるのだ。
アムが弾かれたように慌てて剣を抜く。僕はすかさずその佇まいを確認した。
よし、重心は先程よりもずっと安定している。手も震えていない。調整の効果が出ている。
サファリが続いて報告してくれる。
「D等級のモデルアントが二体だ、雑魚だがさっさと倒さないと仲間を呼ばれるぞッ!」
「了解だ。アム、力を見せてくれッ!」
「は、はいッ! 行きますッ!」
大丈夫、恐怖はない。数百メートルの距離まで迫っていたモデルアントに金髪の夜魔が疾走する。
「さすがB等級、予想より……少し速い。近接戦闘職並の力はあるのか……」
探求者は格差の世界だ。職の格差、武器の格差、そして――種族の格差。
アムはポテンシャルだけは高かった。身を低くして駆けるその姿はさながら一陣の金の風だ。
既に敵の情報は頭にあった。モデルアント。それはその名の如く、蟻を模した魔導機械である。D等級に区分されるモデルアントはポーンアントとも呼ばれ、モデルアントの中で最弱に区分される。
硬いし力も強いが地力で勝っていればまず負けない相手だ。そしてその程度の能力しか持たないポーンアントがD級なのは――高度な社会性を持ち、群れを作り行動する無機生命種だからである。
ポーンアントは、自分の身が危険になると特殊な救助信号を発信するのだ。一匹二匹にてこずっていると十匹単位で仲間を呼ぶこいつらは上級探求者への関門とも言われているらしい。
「フィル、貴様は戦わないのか?」
「僕は戦闘職じゃないので……」
アムがアリと交差する。大きく横に振った銅の剣と巨大な金属の顎が激突する。
そして――激しい金属音が響き渡り、剣が大きく弾かれた。
僕はちょっとだけ上げたアムの評価をまた元に戻した。やっぱり銅の剣じゃ無理なのか……。
アリはアムの攻撃に一瞬たたらを踏んだが、すぐに六脚の強靭な脚で復帰して、ぶん殴った直後、硬直しているアムに向かって顎を振り上げた。
見たところ……敵は無傷だ。そして無傷なのは顎で受け止めたせいだけじゃないだろう。
ぎりぎりの所でアムが地面を転がって避ける。だが、アリは一体ではない。二体だ。
転がった先に、足を振り上げたもう一体のアリがいる。
「おい、あれ、まずくないか……」
「わかってるよ! アム、『透過』!」
僕はそこで初めて『命令』を出した。
契約は十全に働いた。アムの身体が僕の指示に従い、一瞬で色が薄れる。アリの脚がそこに向かって振り下ろされる……が、手応えがないのだろう。アムの身体は今物理干渉を受けない状態にある。
アムは勢いよく地面を転がり攻撃範囲から逃れると、立ち上がった。四つの複眼がそれを追う。
これが《魔物使い》の持つ力の一つ。
《魔物使い》は紋章を通してスレイブに命令を出せる。基本的にスレイブはマスターよりも強いので滅多に使われるものではないが、相手が未熟な場合の補助には使える。
指示した『透過』は霊体種と呼ばれる種が総じて有する、自分と持ち物の物理干渉を遮断する力だ。
能力が勝手に発動して驚いているのか、ぼーっと固まっているアムに容赦ない連続攻撃が仕掛けられる。その鋭い爪が地面を穿ち、土を巻き上げる。
だが、ポーンアントは透過した霊体種に攻撃を通す術を持たない。不毛な時間だった。
「アム、攻撃しろッ!」
「ッ!? は、はいッ!」
我に返ったアムが慌てて攻撃を回避し、剣を握り直す。
「サファリさん、救援電波は出ていますか?」
「出ていないな。雑魚だと思われてるんだろう」
「……ですよね」
かんかん虚しい音が響き渡る。
十回に一回は切れると言っていたが……どうやら今日は調子が悪いようだな。
大体装備が銅の剣一本って、冷静に考えるとちょっとおかしい。片手剣なんだから盾くらい持てよ!