第十七話:今回の探求は――大成功だ
異形の怪物。明らかに虫のそれをモデルにしていない目がこちらを見ている。
魔導機械の知性には個体差があり、あのギルドのランナーである奔竜のサファリが人語を解したように、見た目に依らない。端的に述べると、魔導機械の言語能力は必要に応じていた。
モデル・クリーナーには知性のようなものはなかった。人に匹敵する知性を魔導機械に乗せるのにはコストがかかる。そもそもが、使い捨てにする魔導機械に付与するものではない。
だが、この眼の前の怪物にはあるはずだ。いや――なくてはならない。量産型のクリーナーと異なり、目の前の王は明らかに一品物だ。
魔導機械は基本的に、自身を生み出した創造主に絶対服従だが、それも、創造主を理解できるほどの知性を持っていればの話。
密閉された空間。反響する僕の言葉に、クリーナーの王は何も言わなかった。
ただ、威嚇するように首を大きく動かし、上から僕達を――僕を、見下ろしている。
戦闘において、身体の大きさというのは重要だ。数メートルの巨躯――その装甲はこれまで倒したその眷属とは比べ物にならないくらいに分厚いだろう。この回避する場所の少ない閉ざされた空間で聳えるような本体はただそれだけで大きな強みと呼べる。
加えて消化液による攻撃まであるとすると――このパーティでは苦戦は免れない、か。
「君が、爆破したんだ。あの眷属達を――僕がその身体を解体する直前に。タイミングが少しだけ良すぎた」
遠隔操作。無機生命種は生き物ではない。
ポーンアントが救援信号を放ち仲間を呼ぶように、きっとこの王はモデル・クリーナーに強い権限を持っている。そうでなければ、知性なきクリーナーを自在に操れるわけがない。そしてもちろん、操れるだけでなく眷属達――モデル・クリーナーの目を借りる事もできるのだろう。
ギルドが保有している魔物の情報というのは探求者から持ち込まれた情報と研究の成果から作られている。魔導機械相手の場合は機械魔術師が死骸の部品を検めれば機能を類推できるため、ここまで情報と現物に差があるというのは珍しい。
探求者が余りにもクリーナーに興味を持たず長い間死骸を持ち帰らなかったため、機能のアップデートに気づかなかったのか、あるいは……。
全て予測の域からは出ていないが、あながち的外れではないはずだ。
セイルさん達が後ろでいつでも魔法を使えるように構えを取っている。見つめ合った時間はほんの十秒程だった。
王が長い両腕を壁につき、体勢を変える。まるで潮が引くように足元のクリーナー達が隅に寄る。
そして、人間じみた枯れた声がダンジョン内に反響した。
「若造、面白い事を言う。ぬしのような事を言う者は、生まれて、初めてよ」
音の振動で空間が震える。セイルさんが愕然と目を見開く。
「!? 魔物が……喋った…………!?」
ちらりと後ろを確認するが、ブリュム達も呆然としている。
予想外の反応だ。まさかこの地の魔導機械は…………会話しないのが一般的なのか? セイルさん達の戦っている相手が低等級でそこまで知性がないというのもあるかもしれないが、小夜や白夜のように高等級の魔導機械が人語を解するのは当然で――そう言えば、アムもサファリが言葉を話すと知って驚いていたな。魔導機械技術は発達しているのに、リテラシーがなさすぎる。
「小さき者よ、我はクリーナーロード。名は……ワードナー。わざわざ、このような我が縄張りまできたのだ。話を聞くとしよう」
年老いた老人のような声だった。殺意は感じないが、物分りがいいわけではないだろう。その声には警戒と余裕が入り交じっていた。
クリーナーロード、ワードナー。聞き覚えのない名前だが、名付けがされているという事はやはり彼は一品物だ。
クリーナー達が蠢きながら主の命令を待っている。ブリュム達も何も言わず緊張したように僕の言葉を待っていた。
無機生命種相手の交渉に迂遠な言葉は不要だ。僕は笑みを浮かべると、右手を伸ばして言った。
「僕のスレイブになれ、ワードナー。こんな狭い場所で閉じこもっているのも飽きただろう? 広い世界を見せてあげるよ」
「!? お兄さん、何言ってるの!?」
マスターとスレイブの関係は職によって様々だ。だが、大抵の場合、マスターが先に死んだ場合、スレイブは解放される。
魔導機械のスレイブの場合は、財産扱いで法定相続人に引き継がれる事も多い。それが野生の魔導機械の場合どうなるのかは知らないが、無機生命種というのはそもそもの存在意義が役に立つことであり、マスターのない状況はその個体にとって死活問題だろう。
僕の言葉に、ワードナーの動きがぴたりと止まる。音が一瞬消え、風が頬を撫でる。
ワードナーの答えは、雷鳴のような笑い声だった。
「ふふふ、はははははははは、面白い事を言う、若造ッ! まさか、我にこのような感情があったとは――この我に、スレイブになれ、だと!?」
「……答えは?」
「言うまでもない、NOだ」
「残念だな」
感情の篭もったワードナーの言葉に、僕は目を細めた。
間違いない。このワードナーの反応――マスターがまだ存在しているな。
無機生命種のスレイブは他種と異なり、スレイブ側の権限というものがほとんど存在していない。《魔物使い》とスレイブとの関係は大抵、どちらかの意志で契約を解除できるようになっているが、魔導機械は創造主に絶対服従だ。
そして、魔導機械との契約は魔法によるものではないので、以前アリスがやったように《解呪師》の術を使っても解除できない。可能性があるとするのならば、魔導機械のプロフェッショナル、《機械魔術師》のスキルくらいだろうか。
心臓がきゅっと痛んだ。だが、どうにもならない。探求者をやっていると、こういう事がよくある。
これ以上の交渉は無意味だろう。唇を舐めて湿らせ、ワードナーに別れを告げる。
「状況が違えば友人にもなれた」
「ああ。残念でならぬよ、フィル・ガーデン。ここでぬしを殺さねばならぬのが、本当に残念だ。ぬしは、間違いなく、誕生以来もっとも愉快な人間であった。それで、話は終わりか?」
両想いなのに引き裂かれるとは何という悲劇だ。僕が一番愉快な人間だなんて、彼の生涯はずっと灰色だったのだろう。
だが、仕方ない。意識を切り替える。
交渉から戦闘へ。スレイブとしても魅力的だが、材料としても、敵としても彼はとても魅力的だ。
「ワードナー、参考までに、マスターの名を教えてくれるかい?」
「くくく…………それもまた下らぬ問いだ」
「君をバラしてギルドに持っていく。さすがに自爆能力はないだろう? 万が一エラーでも出て自爆したらシステムが回らないもんな?」
想定されるのは、重く巨大な身体を利用した体当たり。消化液による遠距離攻撃に、二本の腕による薙ぎ払い。そして――眷属を操作しての攻撃。
僕の宣告にワードナーが答える。その声はこちらを威圧するようで、しかしどこか愉悦が滲んでいた。
「やってみろ、人間! ぬしにそれほどの力があるのならば――」
そして、古くより潜むダンジョンの支配者との戦いが始まった。
§
「なに!? お兄さん、なにしにきたの!? それ交渉って言う!?」
「……こんなの、無理」
「逃げ場もないぞ、フィル!」
悲鳴混じりの声が仲間達からあがる。先制攻撃は自軍から始まった。
会話している間から準備していたのであろう風の刃が、水の弾丸が、弓矢が、一斉にワードナーの巨体に炸裂する。ワードナーは防御態勢を一切取らず、全ての攻撃を受けた。
一般的に、魔導機械の装甲強度は素材によって異なる。元素魔法系の攻撃に抵抗できる金属というのは割と珍しいので低位の魔導機械は元素魔法に弱い事が多いが、ワードナーはモデル・クリーナーを容易く屠った攻撃を受け、身じろぎ一つしなかった。
さすがボス級、お金がかかっているらしい。恐らく対魔法戦闘も考慮にいれた設計になっているのだろう。機能から考えて彼はかなり重要な個体だから当然と言えば当然だ。
「……先制攻撃を許して貰って悪いね」
「なに、構わんよ。ところで……攻撃はまだかね?」
僕の言葉に、ワードナーは腕を曲げ、口元に当てて言う。
「ジョークセンスまで搭載しているとは……完璧だな」
「言ってる場合!? お兄さん、これまずいって!!」
地下。地の利は相手にあり。基本性能は相手が攻撃を無防備に受けても無傷な程度には上で、こちらは消耗もしている。生来の高い能力を活かしきれずに苦戦していたアムの時とは違う。
そして近くにいるのはいつも扱っているスレイブとは種族すら異なるセイルさん達だ。
「やっぱり逃げようよ、お兄さん!」
「逃げられないよ。言っていただろ? 相手はここで僕達を殺さ『ねば』ならないんだ」
そこに彼の意志はない。彼らはとても公平だ。嘘はつかない。
「くく…………本当に、賢しい男だ!」
四方八方、配下のクリーナー達が一斉に放ってくる消化液を、トネールが風の障壁で防ぐ。相当強力な風を起こしているのか、トネールの顔が真っ赤になる。
船を保ちながら障壁を張り続けるのはキャパシティオーバーか。魔力回復薬もそこまでストックがあるわけではない。
「むむ……ま、まずいよ。上から来たら、詰む」
「ついでにワードナーの遠距離攻撃はこの比じゃないだろうね」
「むう!?」
まだワードナーが直接動いていないから耐えられているが、こちらの攻撃が効かないのは致命的だ。
壁を潜航し飛びかかってくるクリーナー達を、トネール以外の他の三人が魔法で追い払う。ジリ貧だ。
そこで、僕は新たなる友人達に言った。
「セイルさん、本当に危なくなったら――いい方法がある」
「もう非常事態だろ! 何だ?」
「精霊界に帰るんだよ」
「!?」
元素精霊種には共通の種族スキルとして別世界への移動能力がある。
本来、彼らのメイングラウンドはこの物質世界ではない。精霊界への扉はいつ如何なる時でも開かれ、彼らはいつでもそこに退避する事ができるのだ。
扉は一方通行で一度戻ったらこちらに来るのに面倒くさいプロセスが必要になり、すぐにまたこちらに来ることはできないが、少なくとも無機生命種のワードナーにそちらに逃げる元素精霊種を追いかける術はない。
真剣な表情のブリュム達の顔を順番に確認し、早口で言う。これは本来ならばこのダンジョンに入る前に話すべき内容だった。
「皆死ぬよりは随分マシなはずだ。もし適うのならこちらに戻って来た時にこの事を報告してくれれば――」
「……ば、馬鹿にするない!」
そこで、トネールが拳を握り、叫んだ。涙の滲んだ瞳でこちらを見上げ、戦慄くような口調で言う。
「僕達は護衛だよ!? 護衛対象を放り出して逃げるなんてできるわけないだろ!」
「お兄さん、トネールの言う通りだ。それは、私達に対する侮辱だよ。消滅する覚悟くらいできてる」
「…………もう、こちらに来る方法なんて忘れた。きっと一度帰還したら戻ってこれない」
ブリュムがその意見に同意をし、スイが本気だか冗談だかわからない事を言う。
そして最後に、セイルさんが僕の肩を掴んで言った。
「どうやら意志は皆同じらしい。フィル、その案は飲めない。他にもっとマシな案を出してくれ」
その言葉に嘘はなかった。精霊種はほとんど嘘をつかない。嘘をつくのはこの世界では有機生命種と悪性霊体種くらいだ。
どうやら僕は、生き残っているのが不思議なくらいお人好しなパーティを引いてしまったらしい。うちの子になる?
消化液の雨が降り注いでいる。これはジャブだ。すぐに戦闘を終わらせないのは彼も名残惜しいからだろう。だが、そろそろ本腰を入れてくるはずだ。
少なくともこの風の船はあの巨体からの体当たりを防げるような能力は持っていない。
「…………雷だ」
「え!?」
目を丸くするトネールに続ける。彼らが覚悟を決めたのならば、僕も覚悟を決めよう。
雷は魔導機械の種族的弱点だ。いくら強固な装甲を持っていても、彼らは金属製で精密機械だから、どうしても弱点はできてしまう。
「魔導機械は雷に弱い。機械魔術師の雷系スキルが一番効くけど、自然現象でも行ける。新型の機械なら耐性があるけど、彼は随分古い型だ」
竜は年老いた方が強いが、魔導機械は新型の方が強い。魔導機械技術は日進月歩しているのだ。新たなる合金や部品だって開発される。
型が古く、加えて戦闘型ではない。それが大いなるクリーナーロードに存在する付け入る隙だ。
「相談は終わった、かね。《魔物使い》君」
「白き氷霧!」
「むう!?」
すかさず放たれたブリュムの呪文。白い霧が爆発的に周囲に立ち込め、視界を塞ぐ。
がくんと大きな揺れが発生し、船が大きく旋回し、位置を変える。すぐ真下すれすれを、重い音が通り過ぎた。
「はぁ、はぁ……雷、雷ね。もう、先に言ってよね」
トネールが荒く呼吸しながら言う。表情には笑みが浮かんでいるが、額からは冷や汗が流れていた。かなり無理をしているのだ。
彼が司るのは風だ。元素精霊種では風の精霊が雷の属性もまた併せ持つ事が多い。
「悪いな、トネール。私が牽制する。スイは防御を」
「僕は?」
「お兄さんは引っ込んでてよ!」
はい、引っ込んでおきます。
「ふん…………小癪な事を――」
「踊る幻影」
「我々に、幻が、通じるかッ!」
まるで砲弾でも飛ばしたかのような大きな音。ピンポイントでこちらを狙い射出された液体は、目前で完全に氷結し落下する。
攻防一体の水属性魔術。もう少しスイが年齢を重ねていればワードナー相手でも戦える逸材になっていたことだろう。
元素魔法において、氷は水の上位属性に、雷は風の上位属性にあたる。一人では使えない術も仲間がカバーする事で行使できる。これが――群れを率いるワードナーとパーティを組む探求者の違いだ。
一メートル先が見えないほどの濃い霧の中、ばりばりと奇妙な音が交じる。踊る幻影の目的は霧を凍らせるためか。
クリーナーを踏み砕く音と共に、ワードナーが突っ込んでくる。霧の中から現れた数トンはあるであろう巨体に対し、セイルさんとスイが呪文を唱える。
「受け止める風!!」
「水流茨!!」
衝撃が船全体を揺らし、船体が壁に激突する。激しい衝撃を船の縁を掴んで耐える。
風の船は壊れない。そして、トネールが全精力を込め、甲高い声で叫んだ。
「終わりだ! 雷の風!!」
「ぐッ!?」
紫電が奔り、一瞬感覚が消えた。恐ろしい音と衝撃と光が世界を吹き飛ばす。聞こえたワードナーの声には初めて焦りが交じっていた。
これもまた合体魔法の一種と言えるだろう。ブリュムとスイが場を整え、トネールが現象を起こす。セイルさんがこちらまで攻撃が伝わらないようにガードする。見事なチームワーク。
攻撃は刹那で終わり、霧が晴れる。
残ったのは――まるで彫像のように立ち尽くすワードナーの巨体だった。
目立った傷はないようだが、もともと魔導機械に対して雷が優位なのは中身を破壊できるためだ。床には余波をくらい完全に機能を失ったモデル・クリーナーがごろごろと転がっている。背後を固めていた壁も、衝撃で完全に崩れ去っていた。
これが――上限。この威力を自在に一人で出せるようになったら上級探求者だ。
光と衝撃で目を瞬かせていたトネールが掠れた声で言う。
「はぁ、はぁ…………やっ…………た?」
「これで駄目だったら、無理だよ――」
ブリュムが青ざめた顔で、しかしにへらと笑みを浮かべ弱音を吐く。消耗が激しい。
スイはわかりづらいが、膝をついている。恐らくもう限界に近いだろう。魔力というのは精霊種にとって体力そのものなのだ。
だが、まだ探求は終わっていない。船が保てなくなる前にダンジョンを出なくては――。
と、その時、硬直していたワードナーが緩慢に動き出した。
その腕が壁に勢いよくつき、長い首がこちらを向く。
「や、やり、おる…………これが、探求者――油断大敵という、奴か――長い間、本当に長い間――見ていた。ぬしと、戦えた事を、誇りに思う」
「ッ…………足りていなかった、か」
セイルさんがうめき声をあげ、剣を抜く。スイが震えながら立ち上がる。
ワードナーの弱点は雷で間違いなかった。だが、足りていなかった。ダメージは与えたが、ワードナーを止めるには足りていなかった。
古い機体とは言え、雷への耐性は完全にゼロではなかったのだろう。雷を直撃させた結果生み出せたのは数秒の硬直だけ――ワードナーにはまだ余裕があった。
衝撃でまだしびれている肉体を叱咤し、セイルさんの横に立つ。
無数の輝く目が僕達を見下ろす。戦意が、殺意が伝わってくる。その目は先程と違って僕達を明確な敵と認識していた。
「これで、終わりか――《魔物使い》」
最善を尽くした。あらゆる手を使った。セイルさん達は強い。そしてこれから更に強くなる。時間さえあれば。
いい友達ができた。この地の探求者のレベルもよくわかった。敵の事も知れた。
今回の探求は――大成功だ。
「あぁ――終わりだよ」
「なん……だと?」
僕の声から何か感じ取ったのか、ワードナーの纏っていた空気が変わる。
できれば、この手は使いたくなかった。出し惜しみしていたわけではないが、僕には僕の計画がある。
だが、既に万策は尽きた。消耗しているセイルさん達でワードナーに勝てるビジョンが浮かばない。
僕は――負けるのも大好きだが、それ以上に勝つのが大好きなんだ。
未だかつて聞いたことのない奇妙な振動。右の壁から唐突に、幾つもの節を持った鞭のような尾が襲いかかってくる。闇の向こうに消えていたワードナーの尾だ。
攻撃が到達するまでは数秒――僅かな時間だ だが、命令には十分な時間だった。
「『奴をばらばらにしろ、アリス』」




