第十六話:慣れ
何かが起こっている。探求者として培った勘がセイルに危険を伝えてくる。
思えば、最初の接敵から何かがおかしかった。セイルがここに入る前に調べてきた敵の情報にない行動を取ってきたのだ。
ギルドに蓄積された魔導機械のデータは常に更新されている。一部の魔導機械が自己進化により新たな能力を得ることがあるのは既知だが、それにしたって――普段ならば魔導機械が初見の能力を使ってきたというのは、十分撤退を選択するに値する事象だった。
スイとブリュムに囲まれ、特に緊張した様子もなくきょろきょろ周囲を見回しているフィルを横目で見る。
視線を奪われた。ダンジョン内で発生した異常よりも、依頼人の持つ異常性の方が遥かに強かった。そのせいで、判断を誤った。
依頼を受ける前。フィルからかけられた『友達になろう』の言葉を思い出す。セイルとて仲間の探求者くらい何人もいるが、あそこまでストレートに友好を求められた事はなかった。加えて、フィル・ガーデンの魂はこれまで見たどの探求者より磨かれていた。種族由来ではなく、研鑽によって――。
SSS等級探求者、《魔物使い》。フィル・ガーデン。高等級となるためには幾つもの困難な依頼をクリアし、加えて昇格のための特別な依頼を受けねばならない。
ギルドを使い依頼を発注している以上、その等級は真実だろう。そして、その実績は尊敬に値する。
スイとブリュムの合体魔法をぶつけたにも拘らず、地上は再びモデル・クリーナーで埋め尽くされつつあった。
このような光景、これまで見たことがない。最初の違和感とは比べ物にならない、明確な異常事態だ。
帰還だ。帰還せねばならない。風の船を旋回させ、一刻も早く外に――だが、指示の言葉は結局表に出ずに消えた。
大丈夫。まだ大丈夫だ、制空権はこちらにある。天井からの攻撃もあるとわかっているのならば、十分対応できる。モデル・クリーナーはそこまで強くないのだ。
「……一流の探求者はよくこういう状況に遭うのか?」
「……遭う? それは……少し、違うね、首を突っ込んでるんだ」
冗談なのか本気なのだかわからない言葉に、怒りの前に呆気にとられてしまう。
いたずら好きで常日頃から困らせられていたトネールとブリュムのコンビでさえその青年と比べれば随分可愛らしいものに思える。
だが、敵ではない。悪人ではない。我が身を省みずにブリュムとスイを、パーティメンバーを守った。そもそも、彼は護衛対象、セイル達には全力で守る義務がある。
それが人のルールであり――彼は恐らく、セイル達が全力で守らなければあっさり死んでしまうだろうから。
船を動かしていたトネールが不安げな声で言う。
「お兄さん、本当に進むつもりなの?」
「この奥には何もない――というか、最奥にいたというボスも討伐済みだ。今回はこの調子じゃ階段は下りられないだろうし、さすがに最奥までは行けないだろうが――」
情報によると、この【黒鉄の墓標】が攻略されたのはもう数十年も前だ。
ダンジョンの攻略の定義は大多数の場合、最奥に存在するボスの討伐を意味している。このダンジョンの最奥にいたのはモデル・クリーナーの五倍程の大きさをした巨大なクリーナーで、当時の中堅探求者のパーティが討伐したらしい。中堅で倒せたのだからそれほど強い魔物でもなかったのだろう。そしてそれ以来、このダンジョンでは上位個体は確認されていない。
セイルの言葉の意図を察したのか、フィルは小さく、しかし蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ああ、わかっているよ。下りる必要はない、奥まで行って何もなかったら街に戻ろう。情報も持ち帰るべきだ」
どうやらこの無謀な依頼人にもその程度の分別はあるらしい。ほっと息をついたところで、フィルが続けて言った。
迷惑そうな表情でじっとしているスイの頭を撫でながら――。
「でも、そうはならないはずだ。彼らは僕を生かして帰す気はないよ。手の内を見てしまったしね」
「!? は?」
その漆黒の瞳が爛々と輝いていた。
二度も死にかけたにも拘らず、その声には疲労はない。傷はポーションで治せても、気力は戻らないはずなのに。
「不意打ちは不意打ちだから有効なんだ。特に入念な準備をするか実力差がない限り、金属の潜航能力からの奇襲は回避できない。あれは――侵入者を確実に殺すための必殺の策だよ。自爆能力もね」
「え!? で、でも、でも、あの自爆、お兄さんしか受けてないじゃん!」
「それはきっと……最悪、僕を殺せればいいと思ったんだろうな。たとえ君たちが外に生き延びてその新機能を周囲に広めてしまったとしても――とても、とても光栄な話だ。相手が誰であれ、認められるというのは気分がいい」
この新たな友の依頼は二度と受けまい。会話をしていて感じる違和感は、寒気は、種族の差異による認識の違いなんかではない。
そう決意を固めたところで、ふと後ろから気配を感じ振り返った。
「!? これ……は!?」
「…………」
いつもほとんど表情を変えないスイの顔色からさっと血の気が引く。風の船が通ってきた方向――出口に向かう道に、白い塔が出来上がっていた。
いや、それは塔ではない。モデル・クリーナーが這い回り、積み上がっているのだ。無数の目に、口の中にずらりと並んだ牙だけがこちらを見ている。小さな個体が重なっているはずなのにつなぎ目が見えない。
まずい、新たな形態か。あの状態で消化液を放てば、空の船にも届く。
シールドだ。シールドを張らなければ――いや、出口を防がれた!? まだ塔は一つだが、あんな芸当ができるならば壁も作れるだろう。一体この魔導機械、何体存在して――。
「大丈夫、セイルさん。焦る必要はない。これは歓迎だ、主が出迎えてくれるみたいだ」
その声を合図にするように、闇の奥から振動が聞こえた。気の所為ではない。
断続的な振動が広い地下空間に反響しながら、こちらに近づいてくる。それは、まるで――巨大な何かが這いずり回るような、そんな音だった。
§ § §
最初から存在を確信していた。ポーンアントに上位個体が存在するように、クリーナーにも上位個体が存在する。ギルドの知見ではそれはかつてこのダンジョンの最奥に生息していた個体だとされていたが、僕はそうは思わない。
魔導機械は多くの有機生命種と異なり、個々体が生殖能力を持たない。製造しなければ増えない。何十年も前に上位個体を滅ぼされたはずのクリーナーが絶滅していない以上、何らかの仕組みが存在していると見るのは当然だろう。
何度も言うが、このダンジョンはダンジョンを装っているがダンジョンではない。
ギルドでダンジョンと称されているので忘れそうになるが、『回廊聖霊』の支配する本来のダンジョンの常識が当てはまらない。
ダンジョンのルールの一つ。ダンジョンは最奥まで探索可能でなくてはならない。
罠は作れても、隠し扉は作れても、壁で通路や部屋を隠すことはできない。それが本来のダンジョンのルールで、故に探求者はダンジョンの壁を無為に破壊したりしない(というか、『回廊聖霊』が管理するダンジョンは強固で破壊できない)。
だが、この【黒鉄の墓標】にそのルールは適用されない。あの金属潜航能力――間違いなく、存在するはずだ。最下層のそのまた地下か、壁の向こうに――モデル・クリーナーを生み出す仕組みが。
これまでそれに誰も気づかなかったのは、この地の常識にとらわれていたか、気づいた者は殺されていたか、あるいは――その両方か。
ソレがやってくる。人知れず、誰にも認識されることなく、クリーナー達を支配していた地底の主が。
ずるずると何かを引きずるような足音に怖気が走る。
目の前。目を限界まで見開き身体を強張らせているトネールの頭に手を乗せると、トネールはびくりとその身を震わせた。
「!? な、何するのさ、いきなり!?」
「残念ながら、落ち着かせるスキルはスレイブにしか通じないんだ」
だが、緊張を和らげるのにスキルなどいらない。
気圧されていては本来の実力は出せない。僕は背を向けると、順番にセイルさんと、ブリュムと、スイの頭を撫でた。うちの子にならない?
「……何故、平然としてる?」
頭のついでに耳と頬まで撫でられたスイが憮然とした様子で言う。そんなの決まってる。
ボスの登場。冷たい殺意。不利な戦況。身を焦がすような戦いの予兆。それらを全て楽しめずして高等級探求者にはなれない。
「慣れ」
相手がアムならば《魔物使い》のスキルをお披露目するところだが、今回はそんな機会はなさそうだ。今更だが、《魔物使い》のスキルは使い勝手が悪すぎる。
だが、どうやら他のメンバーも身動きくらいは取れるようになったようだ。そもそも、一番身体が弱い僕が動いているのだから、動けないのは明らかにおかしい。
『フレー、フレー、ご主人様! フレー、フレー、ご主人様!』
まぁ、僕が動けているのは脳内でアリスが応援してくれているというのもある。うるさいよ…………緊張感がないだろう。僕がそっちの状況を知る術がない事をいいことに好き放題してくれる。
地面を埋めつくすクリーナー達が奇怪な鳴き声をあげる。後ろではクリーナーが積み上がり壁を作っている。
つなぎ目がないのは――溶かした金属を有効活用しているためだろう。どうやら彼らは溶かすだけでなく、組み立てる能力も保持しているようだ。
――そして、クリーナー達を押しのけ踏み砕き、ソレは現れた。
ブリュムが、トネールがぎょっとしたように一歩後じさり、セイルさんがうめき声をあげる。スイの喉からほんの僅かに、しかし確かに、悲鳴があがる。
闇の中、ぬらぬらと輝く山のような巨体。天井に達する程巨大で長い首に、身体を支える無数の触手のような脚。余りにも巨大すぎて、体長はわからない。だが、ワーム型の王なのは間違いないようで、節のある長い身体は闇の奥まで伸びている。
加えて、その身体にはただのクリーナーには存在しない腕があった。ギルドに残っていた情報では、かつて討伐されたボスには腕がなかったようなので、そこがソレの特別性なのだろう。
その頭頂には無数の生き物のそれに似た目が存在し、ぎょろりとこちらを見据えていた。
なんというグロテスク、なんという独創性――まるで神が生み出した生き物のようではないか!
間違いない、これがボスだ。クリーナー達の王だ。
「……美しい」
「――ッ――ッ」
思わず出てきた言葉に、王は音にならない音で返した。びりびりと身体が、空間が震え、頭に割れそうな程の痛みが奔る。
だが、これは攻撃ではない。これはただの――宣戦布告だ。
「で……でかッ! これ、ど、どうするの!?」
「船を旋回――逃げ場は――」
ブリュムが青ざめ、トネールが周囲を見回す。だが、逃げるなんてとんでもない。
僕はこれに会いに来たのだ。
「フィル、危険だ――」
制止するセイルさんの前を抜け、先頭に立つ。クリーナーの王が首を持ち上げ、触手を振り上げる。
そして、僕は片足を船首に乗せ、ぎょろりと輝く瞳を見据えて声をあげた。
「歓迎ありがとう、はじめまして、クリーナーの王。僕はフィル・ガーデン。今日は――話し合いにきたんだ」
実は・・・毎日投稿でもしないと間に合わない( ´ー`)




