第十四話:見たか、みんな!
世界を焼き尽くす光。熱。風。激痛と衝撃が思考をかき乱す。久方ぶりに脳裏を過ぎった走馬灯は鮮やかに色づいていた。
SSS等級探求者とて、最初から強かったわけではない。いや――そういう恵まれた生まれの探求者も確実に存在するが、少なくとも僕の場合はそうではなかった。
馬車を乗り継ぎ単身、グラエル王国に乗り込んだ何も知らなかった子供時代。職もなく王都の人波に飲まれ屋敷の前で行き倒れ、探求者になり己の無力を知り、紆余曲折の結果幸運にも学院に入学を許された青年期。
死線をくぐったことは何度もあった。走馬灯を見たことも数え切れない程度にはある。
そして、敵を知り、己を知り、アシュリーやアリスなどの心強い仲間を得て――僕は死から遠ざかった。
アシュリー・ブラウニーの職――《従者》は家事妖精にとって適性のある天職だった。主を定めそのための行動の全てに高い補正がつくその特殊職は、特に守りに於いて大きな力を発揮する。
それに加え、熟達し何人もの強力なスレイブと契約し、僕の安全は盤石のものとなった。
だが、死というのは探求者にとって恐れるべきものであると同時に、人を成長させるものでもある。
激しい衝撃に弾き飛ばされる僕を冷たい感触が受け止める。僕は咳き込みながら下を見た。
右手の手首から先が欠けていた。爆発による炎熱に食われたのだ。だが、その他に支障はない。骨も折れていなければ手足も動く。
後ろを見ると、身体を受け止めているのは水の塊だった。スイが険しい表情で両手を前に出している。ぎりぎりでスイの防御が間に合ったようだ。スイがぎりぎりで水の壁を僕とクリーナーの間に差し込んだから。
反響していた音がようやく消える。遅れて思い出したかのように鮮烈な激痛が脳を焼く。
激しい痛みと高揚が混ざり、僕は笑った。
「あはっ、はははは、はははははは! 見たか、みんな!」
「!? お、お兄さん、大丈夫!?」
「フィル!」
トネール達が集まってくる。ふらつきながら、背中を受け止めていた水のクッションから両の足で地面に立った。
突然の爆発だった。僕がメスをいれようとしていたクリーナーはばらばらの残骸しか残っていない。
右腕の一本で済んだのはスイの練度が高かったからだろう。無造作に受ければ死も十分ありえる攻撃だった。
右腕の傷を確認する。痛みは酷いが、炎熱で傷口は焼け、血は流れていない。
声一つあげず駆け寄ってきたスイが僕の傷跡を見て、眉を本当に僅かに顰める。
「……しくじった」
「酷い…………リーダー」
ブリュムが僕の右手を観察し、セイルさんを見る。冷や汗が止まらない。激しく鳴る自身の心臓の音が聞こえる。
暗視能力を付与しているとはいえ、地面の下、どこまでも続く冷ややかな闇は矮小な本能を揺さぶってくる。
唇が震え、舌が凍りつく。僕は、痛みを無視して深く深呼吸をした。
脆い肉体は精神で完全に支配しても十分に動かない。いや――まだ未熟なだけか。
セイルさんが周囲を素早く確認し、早口で言う。
「自爆……? とどめを……させていなかったのか? ……帰還する。重傷だ」
「おち、つけ。おち、つくんだ――セイル、クリーナーに、自爆能力は、なかった――これは――発見だ」
幾度となく行った動作。震える左手でバッグを探り、光り輝く薬瓶を取り出し、一息に呷る。
肉体が体内から焼けるようだった。全身の汗が一気に吹き出し、心臓の鼓動が更に加速する。近くに寄り添っていたスイが息を呑んだ。
それは、まさしく奇跡の技だった。右手首の傷口が盛り上がり、みるみる内に失った右手が再生する。たった数秒でなくなっていた手は完全に復活していた。
もちろん、回復したのは右手だけではない。防壁で殺しきれなかった衝撃できしんでいた全身の肉も、道中の衰弱も、まるで肉体が丸々作り変えられたかのように回復している。
職《薬師》。ポーションを自在に調合する非戦闘職。
最高峰の術者が純人のためだけに調整して生み出した最上級ポーション。死者以外ならば回復できるとさえ言われたそれは、僕がL等級討伐依頼を受けるにあたり用意した備えの一つでもある。もちろん…………値段も無類だ。
空になった瓶を鞄にしまった時には、僕は万全に戻っていた。まだ脳は痛みを訴えているがそれはただの錯覚だろう。
「見たよね、ブリュム。このクリーナーは――僕の刃が触れる前に爆発したんだ!」
クリーナーはスイの攻撃で完全に活動を止めていた。トドメを差しきれていなかったわけではない。
元々、事前情報ではクリーナーに自爆能力などなかった。ジェット噴射による簡易的な飛行能力と同じように――。
まだ残っている他のクリーナーの残骸を確認する。まだ形を保っているものもある。分解ペンも予備はあるが、解体を再度試みるのはやめておいた方がいいだろう。
僕には自爆に使っている部品を即座に解除できるようなスキルはないし、少しばかり警戒されているようだ。
と、そこで冷たい指先が右手に触れた。そちらを見ると、ブリュムが目を頻りに瞬かせ、再生したばかりの右手をつついている。
セイルさん達も半信半疑の眼差しで僕をじろじろと見ていた。
「え? なに、それ? 何そのポーション? 一瞬で手が生えた? え? ちゃんと動くの?」
「ちゃんと動くよ、ほら」
「きゃ!?」
恐る恐る触れていた指を一瞬で握りしめる。よし、捕まえた。君は今日からうちの子だ! 群霊なんだからトネールもうちの子だ!
心臓の鼓動もようやく収まってきた。大きく深呼吸をしたところで、ブリュムが怯えたような顔で手を振りほどく。
傷つくな……ちょっとした冗談なのに。スキル効いてない?
「……心配して、損した。何そのおかしなポーション。副作用もなく一瞬で欠損が回復するなんて――」
「あはは、いいだろ? 残念ながら、このポーションは純人用に調整されてるから純人にしか効かないけど――」
ブリュム達の等級では見慣れないものなのだろうが、最上級職のスキルによる産物というのは奇跡そのものである。このポーションだって、無から再生するアリスのライフストックには劣るのだ。
「ポーション使ったから完全に赤字だな」
「まったく。迂闊な事をしたフィルにも問題はあるぞ。解体するなとは言わないが――何度も言うけど、慎重にいってもらわないと」
セイルさんもため息をつき、肩を竦める。僕は再び口を噤んでしまったスイの頭に、治ったばかりの右手を乗せた。
今回のセイルさん達の任務は護衛だ。僕は客であり、彼らには僕をあらゆる危険から守る責任がある。解体についても、クリーナーが事前に自爆――僕の予想だと、自爆じゃないが――する事は知られていなかったし、クレームを入れれば彼らは謝罪するだろう。
だが、そんな事をするつもりはない。そんな事をしていては、彼らと真の友好を結べない。
僕は護衛の客に許される以上のわがままを通してもらうために、ただの客となるわけにはいかないのだ。
「ああ、悪かったよ。スイも、ありがとう。でも、赤字だけど何も手に入らなかったわけじゃない。さぁ、先に――進もうか」
「…………はぁ? こんな目に遭ってもまだ先に進むっていうの!?」
トネールが目を見開き、狂人でも見るような目付きで僕を見上げる。
彼らは護衛だ。護衛には、その責務を十分に果たせないと感じた際に撤退を強制する権利がある。僕は右手をひらひらさせた。
「この通り、無傷だよ。だが――そうだな、ここから先は危険だから、風の船で進んだ方がいいかもしれないな」
「………………あれ、ほんっとうに疲れるんだけど?」
「残念ながら《魔物使い》の回復スキルはスレイブにしか通じない」
ついでに、回復量もとてもとても大したことがない。
眉間にシワを寄せて僕を見上げたトネールが、さっとセイルさんに目配せする。セイルさんはしばらく難しい顔をしていたが、諦めたようにゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、助かるよ。もう少しで何か掴めそうだ」
「…………自殺志願者」
「同意だな。報酬がいいと思ったらとんだクライアントだ」
憮然とした表情で呟くスイに、セイルさんが隠す気がまったくない声量で言う。何も言わないが、他の二人も同意のようだ。
まったく、先輩探求者に対してなんて言い草だ。仕方ない、僕が本当の探求を見せてやろうじゃないか。
僕は、まるで赤ん坊でも見守っているかのような視線を受けながら手近なクリーナーの残骸に近づくと、その光の消えた目を見下ろして言った。
「素晴らしい歓迎をありがとう。今から挨拶に行くよ」
§
【黒鉄の迷宮】は単純な構造だが、幅は広く天井も高い。トネールの魔法、『風の船』は空気の通り道でしか使えないという制限があるが、地下とはいえここまで広いと十分に使えるようだ。
暗闇を方舟に乗って静かに進んでいく。地上にはモデル・クリーナーがちらほら現れたが、攻撃を受ける事はなかった。クリーナーはそれなりの機動力とそれなりの遠距離攻撃手段を持っているが、それはあくまでそれなりでしかない。地上でさえ僕達に通じなかったのだから、制空権を取っている今、不意打ちでも受けない限り負ける可能性はまずないと言えた。
やはり、この魔導機械の用途は戦闘ではないのだろう。余りにも弱すぎる。爆発による攻撃も僕の腕を一本もいだ程度だったし、もう少し等級の高い種族だったら無防備で受けても大したダメージは受けないはずだ。
警戒をしているトネールとセイルさん。防御結界をいつでも張れるよう気を張っているスイ。僕はじっと地面を見下ろしながら言った。
「僕の住んでいた国では――魔物ってのは有機生命種と悪性霊体種が八割を占めていた」
役割がなく近くでぼんやりしていたブリュムが、唐突な言葉に目を丸くする。
「……? いきなり何言ってるの?」
「色々な国を旅した。古くに勃発した大戦の結果、悪性霊体種が渦巻く大砂漠も、独自の進化を遂げた魔物が存在する雪原も、地平線の果てまで続く海も、引きずり込まれたら二度と生きて出られない底なし沼が幾つもある湿原も、大陸最大と呼ばれた洞窟も、情報が全く残っていない古代の遺跡も――それぞれ存在する魔物は異なっていたし、必要とされた技術もまた違ったけど、魔導機械が敵として多くを占める事はなかった。ここに――来るまでは」
SSS等級に至るにはあらゆる艱難辛苦を乗り越える必要があった。金が、仲間が、力が、実績が必要だった。中には敵が強力にチューンナップした魔導機械を扱って来たこともあるし、僕もスレイブの一人として護衛人形を連れているが、それはレアパターンに過ぎない。
魔導機械は本来、支配種族にはなりえないのだ。何故ならば彼らは――支配されるために生み出されたのだから。
だから僕は、たった数ヶ月しかいないこの地をとても気に入っていた。
クリーナーが這うようにして空中を滑るように進む船を追ってきている。僕はそれに手を振った後、質問してみた。
「彼らにとって致命的な弱点はなんだと思う?」
「むー…………魔法への……耐性……? だって、魔導機械って物理には強いけど、魔法攻撃にはそんなに強くないじゃん? ん…………」
唇に指先を当て、くりっとした目を瞬かせ素直に答えるブリュム。
腕を伸ばし頭を撫でると、ブリュムは小さく吐息を漏らした。どうやらこのパーティのメンバーは余り頭を撫でられる事に慣れていないようだ。
まぁ、そりゃそうか。そのほとんどが親から生まれない元素精霊種は純粋無垢であると同時に親の愛情とは無縁の生活を過ごしている事が多い。
「んん……お兄さん、本当に事ある毎に頭撫でるよね。そんなに触りたいの? ってか、大正解?」
「いや、全然外れ」
「!? なんで頭撫でたの!?」
撫でたいからだよ。後、スキルの力で頭を撫でる時に少しだけ補正がかかるのだ。
僕は寂しげな笑みを浮かべると、船首でじっと前を見ているセイルさんに後ろから忍び寄り、その頭を撫でた。
セイルさんがばっとこちらを振り向き、頬を引きつらせて言う。
「!? な、何をいきなり、フィル! おかしなことをしないでくれ!」
いや、せっかくだし全員分制覇しておこうと思って――後回しにしたらこんな余裕ないかもしれないし。
僕は肩を竦めると、愕然としているブリュムに正解を教えてあげた。
「魔導機械の弱点は――成長にコストが掛かることだ。彼らは製造されなければ増えないし、時間経過で幼体が成体に変わる事もない。そしてそれは、昔から機械魔術師達にとっての悩みの種だった」
少しずつ。床を這いずり回るクリーナーの数が増えてくる。船で抜き去っても、彼らは全く諦めることなくこちらを追ってくる。
意志なき軍隊にはどこかゾッとするような恐ろしさがあった。