第六話:本当に酷い詐欺だ
太陽は既に真上を通り過ぎていた。だが、今回僕が受ける依頼のターゲットはそこまで遠くはないので十分間に合うだろう。鼻歌を歌いながらギルドの裏に回り、『ランナー』の貸し出し所に向かう。
「再出発にはいい日だ。そうは思わないか?」
「はい……そうですね」
「実は、僕の故郷では遠出には兎を借りるんだ。無機生命種のランナーというのは初めてだよ」
上機嫌に話しかけるが、どうにもアムは先程よりも調子が悪そうだ。
だが、ここまで実に順調だった。
小夜さんはとても親切だった。レイブンシティのギルドの設備は整備されていた。アムとの邂逅という素晴らしい縁もあった。異国の町並みはとても好奇心を刺激したし、ギルドに併設されたショップに置いてあった品も目新しい物ばかりだったし、そして――指輪も予想よりは高く売れた。
課題はあるが、その辺りは追々考えていけばいいだろう。
貸し出し所の小屋には銀色のスマートな恐竜型魔導機械が並んでいた。
『ランナー』とはギルドが貸し出ししている乗り物の総称である。
遠出をする事が多い探求者にとって移動手段の確保は不可欠だ。そのため、自前で移動手段を確保できない探求者の多くはギルドで訓練された乗り物を借りる事になる。乗り物の種類はその国にもよるが、レイブンシティでは無機生命種のようだ(ちなみに王国ではスリップラビットという兎だった)。
つぶらな瞳と座り心地のいい長い毛を持つスリップラビットは素晴らしいが、この美しく洗練されたフォルムもまた素晴らしい。
小夜さんから預かった貸出票を渡し、アムに手続きを任せる。アムが貸出票を見て、目を丸くした。
「一番速い個体、借りられたんですね」
「頼んだからね」
「え!? そんな制度あったんですか!?」
制度の有無は知らないが、頼んだら考慮してもらえただけだ。どうやらアムはそういう交渉事を余りしていないらしい。
しなくてもやってこられた辺り、種族の力量差が出ている。
程なくして、アムが一体のランナーを連れてくる。
身の丈は二メートル、見た目は恐竜に酷似し、その流線を描く体つきからは走るのに特化している事がわかる。そしてその瞳からは深い知性が垣間見えた。
「アム、この人の名前は?」
「え!? 名前!? え、えっと…………サファリ、と言うらしいです」
アムが慌てて貸出票を確認し、教えてくれる。名前も知らずに力を借りようなど傲慢も甚だしい。
僕はサファリの目と目を合わせると、笑みを浮かべて挨拶した。
「サファリさん、今日はよろしくお願いします。僕の名前はフィル・ガーデンです」
「!?」
サファリの頭部がぴくりと動く。アムが、眼を見開き、いきなり敬語を使い出した僕を見る。
無機生命種は有機生命種とは大きく異なる。彼らの骨格は金属であり、コアは機械工学の集大成であり、そして脳はたった四方数センチのチップである。
故に、有機生命種の爬虫類型が人程の知能を持っていなくても、同じ形をした彼らがそうだとは限らない。見た目などあてにならない。
頭を下げ、視線をしっかり合わせながら、ゆっくりと話しかける。
声の調子をやや低めに抑え、囁くように話しかけるのがこの手の魔導機械と話す時のコツだった。
「僕は、ちょっとした事情で今日中にD703モデルアントの十五体の討伐を達成し、討伐証明箇所であるアンテナを十五セット入手する必要があります。力を貸していただけませんか? 僕達をクローク平原のD703アントのモデルアントの活動域まで運んで頂きたいのです。往復で」
「!? フィルさん……それは……」
「アム、黙ってろ」
アムが何かを言いかけるのを制止する。僕は今サファリと話しているのだ。
サファリは僕の言葉を吟味するように目をつぶって考えていたが、やがてゆっくりと目を開いた。
「……どのくらい時間がかかる?」
「ランナーが喋った!?」
アムが口をぱくぱくさせて、信じられないものでも見るかのような眼でサファリを見た。
そりゃ喋るだろう。魔導機械の言語能力は『後付』できるのだ。会話できないと思う方がおかしい。
「そうですね……クローク平原までの移動時間、往復で余裕を見て二時間、討伐する時間を入れて合計五時間程頂きたいのですが」
「話にならんな。まず、クローク平原はここから二百キロは離れている。片道で二時間半はかかる」
「なるほど……」
アムから貸出票を受け取り、基本性能を確認する。確かに、時速八十キロと記載されていた。
片道二時間半、往復五時間。討伐時間も考えたら八時間は必要だ……時間がかかりすぎだ。
僕は、サファリの全身を改めて観察した。
鈍色の金属で作られた四脚の足はより早く走るためのもの、銀色の鉤爪は足場の悪い大地を掴むためのもの。頭から首、尻尾にかけて描かれる流体的な線に、全身を覆う鱗のような模様。四脚のかかとには小さな噴射口が開いており、頭の先から尻尾の先に至るまで、走るためだけに設計されている。
無機生命種の身体は情報の塊だ。そこまで確認すると、僕は小さく頷いた。
アム、僕を見るんだ。
観察は君の力になる。交渉とは――こうやるんだ。
「サファリさん、貴方、機龍ルクスの系譜ですよね?」
「!? ……何の話だ……」
サファリの眼が大きく見開かれる。
無機生命種には大きくわけて二種類存在する。
一つが、製造者の手で作られたもの。もう一つが、一部の魔導機械が持つ機種保全機能によって人の手を介さず生成されたもの。そして、小夜さんは前者で、サファリの構造はどう見ても後者だった。そういった存在は度々、上位個体の系譜と表現される。
一体どういう経緯なのかは知らないが、サファリをランナーとして雇い入れる事ができたここのギルドの調達係はかなりのやり手だ。
「機龍ルクス・ドラグラー。この世に現存する五種のL等級の無機生命種のうちの一人で、世界中に散らばる機龍種三十二種の祖となる最古の無機生命種。その中でも貴方は速度に特化している機龍だ。違いますか?」
「……だとしたらどうした?」
目がぎょろりとこちらを観察している。僕はさも当然のように断言した。
「だとしたら、貴方のスペックは時速八十キロなどというレベルではないはずだ。ルクスの系譜の基本性能は最も鈍重な亀竜種でもおよそ時速百二十五キロ。速度に特化した貴方がそれに劣るワケがない。その四脚の後ろに設計された穴は加速機構の噴射口ですよね? 付属品や経年劣化にもよりますが、亀竜種の五倍……いや、それ以上出ていてもおかしくないはずです。そうですよね?」
知識も交流も、まずは対象への興味から始まる。知ろうと思わない事を知る事はできない。
僕の言葉に、しばらくサファリは値踏みするように僕の顔を見ていたが、やがて大きく頷いた。
「ふむ……フィルとやら、貴様、機械魔術師か。よく勉強しているようだ。……確かに貴様の言うとおり、私はルクス・ドラグラー系譜の奔竜であり、基本性能は鈍重な亀竜のおよそ八倍――時速千キロを超えている。だが、貴様には一つ忘れている事があるな」
「何ですか?」
サファリが、初めてニヤリと口を歪めて笑うような表情を作った。
「私が単体ではなく貴様とその女を背に乗せなくてはならないという点だ」
なるほど……確かにその一点は考慮していなかった。僕も釣られて笑顔で答える。
「ああ、確かに忘れていた……人を乗せた場合はどのくらい出ますか? 往復で一時間半とか?」
「……フィル、貴様、先ほど確かに言ったな。『無機生命種のランナーは初めてだ』、と。よかろう、貴様にルクスの系譜、奔竜のスペックを見せてやろう……。そうだな、三十分程度頂こうか」
素晴らしい速度だ。さっき二時間半って言っていたのに……と、ぶつぶつ呟いているアムの肩を叩いて黙らせ、僕はサファリに念のため追加の要望をした。
「安全運転でお願いします。速度を出すのは街から出た後で……」
「……了解した」
§
脚の速さを誇りにしているだけあって、サファリの移動速度はかなりのものだった。
景色が瞬く間に流れ、しかしほとんど背中まで揺れが伝わってこない。恐らくそういう風に造られているのだろうが、ランナーの力はレイブンシティの方がずっと優秀らしい。
街の外には荒野が広がっていた。そこかしこに機械の残骸が散らばり、どこまでも見渡せる地平線には廃工場のようなものが打ち捨てられている。
アムに物資補充を頼んでいる間に、簡単だが情報収集は済ませていた。
レイブンシティの周辺の生態系は完全に無機生命種に支配されている。動植物を模した魔導機械がそれぞれ縄張りを持ち跋扈し、その他の種を完全に淘汰している。荒野のそこかしこに打ち捨てられた廃工場はかつてそれらの魔導機械が『生殖』のために生み出し、探求者が苦労して破壊したものだ。
本当に不思議な地だ。本来、人に生み出された魔導機械が管理を離れ野に下るというのは事故でもない限りあり得ない。それが生態系を塗り替える程広がるなど、にわかに信じがたい話だ。
魔導機械は精強だが反面、その死骸から入手できる金属部品は高額で、探求者が集まる理由にもなっている。
厄介な土地柄ではあるが、それを言うのならば王国だって僕にとって難所だった。今の僕はかつてと異なり初心者探求者ではない。
特性さえ見極め、注意深く立ち回れば十分切り抜けられるはずだ。
唯一の問題は、後ろに座った新たなる心強い仲間、アム・ナイトメアだった。
アムは街を出てから全く言葉を発していなかった。僕を説得した時の饒舌さは既に失われ、ただ身も震えるような負のオーラだけがこちらに押し寄せている。
他者の精神を汚染する『恐怖のオーラ』は悪性霊体種が本能的に発するものである。だが、同時に平時ならば簡単に抑制できるはずのものでもあった。それができなければ、アムはとっくに捕まっているはずだ。
その制御がなされていない。それが示すのは――精神的な不安定だ。
霊体種は感情のぶれによる力の揺れ幅が非常に大きい。だから、僕はアリスをスレイブにしてからもメンタルケアには細心の注意を払っていた。
微弱だがアムの纏うオーラは進むに連れ強くなっていた。
今の彼女のコンディションは――かなり悪い。割と甘めに考えていた僕の想定を大きく下回っている。
「あ、見て、アム。巨人型の機械がいるよ。型によっては搭乗席があるらしいけど、もしかして乗れる?」
「そう、ですね……」
明るい声で何度か話しかけるが返事が素気ない。その声からは押し殺した怖れが感じられる。
勉強になるな。これが人里に下りた悪性霊体種か。
アリスは元魔物――人類の敵だった。良かれ悪かれ、彼女はもともと強い輝きを放っていた。世界と敵対した時彼女たちは最も強くなる。
だが、アムは違う。この子は――駄目な子だ。
余りにも……弱すぎる。頭は決して悪くないし種族も申し分ないが、意志が薄弱だ。
本来、夜魔は凋落するような種族ではない。この子はきっとあらゆるチャンスを物にできず流されるままにここまできたのだ。
お買い得とは余りにも自意識過剰、使い物にならない。
もちろん――このままでは、だが。
「サファリさん、一旦、この辺で止めてください」
「……承知した」
僕は目標として設定した地点の少し前でサファリを止めた。
アムがのろのろと時間をかけて降りる。サファリが僕の言葉に反論しなかったのは僕の意図を汲んだからだが、アムが何も言わないのはきっと彼女の頭にマップが入っておらずこの地点が目標の魔物の縄張りから外れている事に気づいていないからだ。元探求者としてお粗末に過ぎる。
待ち合わせ場所で待っている姿を見た時から気づいていたが、アムは完全に及び腰だった。
顔色は悪く腕も震えている。そしてそれに気づく程の余裕もない。
小夜さんから貰ったアム・ナイトメア(霊体種や精霊種は基本、セカンドネームが存在しないので種族名をつける)の戦歴はそれはもう酷いものだった。最近は依頼を一度も成功させず、探求者の資格剥奪の寸前までいっていた。その上、計画の提出を推奨されているのにそれすら怠っている。
どうやら、F等級探求者には昔パーティを組んでいた頃になったらしい。率直に言って、いいところが一つもない。
完全に事故物件である。高いのは種族等級だけで、これがお買い得とは。
小夜さんの忠告も納得だ。このまま討伐に入っても失敗する事は目に見えている。それはまずい。
本当は少し落ち着いた後に取り掛かるつもりだったが――少し調整するしかない。
幸いな事に生命種や精霊種と比べ、霊体種の調整は手っ取り早い。
僕はその辺に転がっている金属の箱の残骸に腰を下ろした。
「サファリさん、ちょっと周囲の警戒をお願いできますか?」
「フィル・ガーデン。私はランナーだ、それ以外は職務から外れる。断る」
「時間はかからない、頼んだよ」
「ぬう……」
アムを呼ぶ。アムはきょろきょろしながらこちらに近づいてきた。
まだ蟻の縄張りには入っていないが、外は危険地帯である。手早く済ませねばならない。
「ど、どうやら、姿が見えませんね。探さないと――」
「アム・ナイトメア。僕に言うことがあるだろう?」
僕は薄い笑みを浮かべると、アムをしっかりと見て言った。