第十二話:偉大なる『敵』が必要なのだ
順番に階段を降りると、最後にセイルさんが、魔物が外に出ないように扉を閉める。世界が闇に包まれた。
薬師のスキルにより生み出された魔法薬は強力だ。特に僕が持っているそれは純人用に特別に作成された品であり、無類の力を発揮する。もちろん、特注なので値段も無類だ。
四方をセイルさん達に囲まれ、階段を下りていく。僕達の静かな足音だけが反響していた。
冷たい空気を肌に感じる。風の船に乗っていた時程の体感温度ではないが、久しぶりの感覚に僕は思わず身を震わせた。
魔物の事はセイルさん達に任せ、頭の中で数を数えながら歩みを進める事数分、僕達は『第一層』にたどり着いた。
このパーティでは恐らく唯一の前衛であるセイルさんが先頭に立ち、周囲を見回す。そこで、左を歩いていたトネールが軽く手を振った。
密閉されたダンジョン内に不自然な風が吹く。恐らく、探査系の術式だろう。元素精霊種は簡単な魔法ならばただの一動作で使えるのだ。
しばしの沈黙の後、セイルさんが肩を竦めた。
「聞いていた通り、シンプルな構造みたいだな」
「うーん…………? 魔導機械も、いない? いや、でも――ここでは僕の力が効きづらいから、そのせいかも」
トネールが表情に戸惑いを浮かべ目を瞬かせる。
【黒鉄の墓標】は人気がないダンジョンだ。そして、人気がないのには理由がある。
光が届かない環境。跋扈する魔物は二足三文でしか売れないモデル・クリーナー。
そして何よりこのダンジョンは、既に最深部まで攻略が済んでいるのだ。
【黒鉄の墓標】は複数階層から成っている。構造は天井が高く幅の広いフロアが重なりそれぞれたった一つの階段で繋がっているという極めてシンプルなものであり――道が一本道なので迷う余地すらない。
墓標などと名前が付けられている割には特にフロアには何かが埋葬されている様子もなく、持ち帰れるような物も存在せず、おまけにそれは探求者がこのダンジョンを発見した当初かららしかった。
何のために建てられたのかすら不明な謎のダンジョン。少し不気味で好奇心が刺激されるが、この地には他にも稼ぎになるダンジョンが幾つも存在するのでそちらに注意が行ってしまうのも仕方のない事だろう。
地面にかがみ込み、手のひらで床を撫でる。滑らかで冷たい金属の感触に大きく頷き、鼻を近づけて臭いを確認する。鉄だ。
なるほど……かなりコストがかかっている。《錬金術師》や《機械魔術師》の持つクラススキルならば鉄材を作ることなど難しくないが、このどこまでも続く地下迷宮を全て金属で作ろうと考えたら大仕事だろう。
「呼吸は問題なくできるみたいだな」
「? ダンジョンだし、空気の流れはあるよ。僕達は呼吸なんてしないけどね」
「便利な身体だ」
「安心してよ、お兄さん。万が一空気がなくなっても、私達の魔法ならばそれくらいどうにでもできるから」
ブリュムがぽんぽんとまるで慰めるように肩を叩いてくる。そうそう、ちゃんと護衛対象の特性も考えて――って、そうじゃない。
一般的なダンジョン――L等級幻想精霊種、『回廊聖霊』の力が働いているダンジョンは攻略可能を大前提としている。
彼らの目的は試練であり、理不尽ではないのだ。彼らの生み出すダンジョンは彼らのルールが支配し、地下だろうが異空間だろうが、あらゆる種族が生存できる環境を――空気組成を保っている。たとえば彼らの生み出すダンジョンの、完全に密閉された部屋で純人が数ヶ月過ごしたとしても、酸欠で死ぬような事はない(もちろん、閉じ込められたら餓死はするけど)。ダンジョンというのは基本的に管理されたもので、フェアなのだ。
だが、このダンジョンは明らかに『回廊聖霊』の管理下にない。シンプルすぎるし、彼らは魔導機械を嫌っている。
ダンジョンの定義は、『回廊聖霊』が支配している空間である事だ。そういう意味で、ここはダンジョンではなく、ただの巨大な建造物と呼ぶべきだった。この地に存在する――他のダンジョンと同様に。
となると、こうして空気が通っている事実は普通ではない。何か理由があるはずだ。呼吸不要の魔導機械しか生息していないダンジョンに、空気を通わせなければならない理由が。
高い天井を仰ぐ。呼吸を整え精神を研ぎ澄ませると、ぞくぞくするような高揚が空から下りてきた。
「ふん…………面白い。証拠はないけど――気持ちは、わかるよ」
「何、言ってるの……?」
スイがラブリーな双眸を瞬かせ、僕を見上げる。
精神が充足するのを感じる。僕は未知が好きだ。複雑怪奇で、いくら頭を捻っても完全に理解し得ない謎が好きだ。
そして何より――こちらを貶め入れようとしてくる敵を愛していた。
英雄となるのに最も必要なのは信頼のおける心強い仲間ではない。
最も必要なのは――宿敵だ。相対する事を考えただけで臓腑が震え吐き気と頭痛に襲われ、これまで培った精神が崩れかけるような、偉大なる『敵』が必要なのだ。
冷たい空気が肺を満たし、胸が詰まる。自然と言葉が出た。
「きっとこのダンジョンを作った人は…………神になりたかったんだな」
「ん? どういう意味だ、フィル?」
ダンジョンをダンジョンたらしめるのは精霊の力だ。だが、魔導機械技術で精霊は生み出せない。少なくとも今はまだ――だからきっと、取り繕ったのだ。
外に生えていた金属樹も同じ理由だろう。形だけ模しても意味がないのに――そうせずにはいられなかったのだ。
才ある者は凡人と比べできる事が多いが、その才故に、凡人では見えない遥か先まで見えてしまう。
僕は感嘆のため息を漏らすと、前を見て言った。
「さぁ、進もうか……奥にあるものをじっくり見学するために――つまらないダンジョンだなんて言われてたけど、この世界につまらない事なんてないんだよ」
§ § §
いつも通り、隊列を組んで前に進む。先頭にセイル、水の魔法を得意とするブリュムに、風による探査を担当するトネール、そして――攻守ともに隙のないスイ。
いつもと異なるのは、護衛対象がブリュムの後ろにいる事くらいだ。だが、そのたった一つの差異が今、ブリュムの精神を大きく揺さぶっていた。
目が――離せない。
護衛依頼は探求者にとって珍しいものではない。元素精霊種という稀有な種族を揃えたブリュム達のパーティでもそれなりに経験があるが、今回の依頼はいつもとは余りにも違いすぎた。
ダンジョンに潜る者の護衛依頼というのはそもそも余りある事ではないが、依頼人が駄目過ぎる。
最弱種族、純人の一人、痩身の青年はその目を見張るような魂の輝きとは裏腹に余りにも弱く、にも拘らず余りにもアクティブだ。
ブリュム達の忠告もどこ吹く風だ。無邪気な子どもをはらはらしながら見守る親の気持ちを、今ブリュムは初めて知った。
全員が気を張っていた。セイルやブリュムはもちろん、いつも能天気なトネールもいつも以上に注意深く術を行使しているし、感情をほとんど表に出さないスイからも静かな気迫が漂ってくる。
フィル・ガーデンが常人ではない事は既に明らかだった。肝が座っているなどという言葉でも言い表せない。何しろ、その青年はこの短時間で、頼まれたわけでもないのにパーティの空気を変えてしまったのだ。その力の本質がどこにあるのかはわからないが、これまでブリュムが見たことのないタイプである事は間違いなかった。
そこで不意にトネールの甲高い声が高い天井に反響する。
「!? ちょ、お兄さん、いきなり立ち止まらないでッ!」
セイルが立ち止まり、ブリュムも慌てて振り返る。
フィルはトネールのすぐ前で制止していた。そのままゆっくりと周囲を見回すと、真剣な表情で言う。
「見て、トネール。ここ、ぼこぼこしてる」
かがみ込み、ぺたぺたと床を触り始めるフィル。
弟は、発生以来ずっと共にいるブリュムでも見たことのない表情で叫んだ。
「!? だ、だから何なの!?」
「いや、ずっと滑らかだったのに不自然だなって…………面白いとは思わない?」
「……思わない」
「……クライアントに文句を言うのも何なんだが、この調子じゃ奥まで進むのに何日もかかるぞ」
余り依頼者の事情に踏み入らないスイも呆れ気味だ。セイルも普段しない苦言を漏らしている。
護衛される側と違い、セイル達は全神経を集中してこのか弱い依頼者を守っているのだから当然だ。
「待て待て、この辺の壁も調べてみよう」
「何もないって、お兄さん」
壁に近づき、頬ずりをするその姿に、ずっと言葉を我慢していたブリュムもつい口を挟む。
恐ろしい青年だ。SSS等級探求者を見るのは初めてだが、他のSSS等級もこんな変人なのだろうか?
それでも誰もその青年を見捨てないのは、厳しく叱らないのは、フィル・ガーデンの所作に余りにも悪意がないからだろう。
霊体種は人の魂を見る目を持つ。精霊種もまた、そこまで精度は高くないが似たような力を持っている。
方向性はどうあれ、余りにも純粋な魂は自然の具現であるブリュム達にとって非常に好ましいものなのだ。これもまた《魔物使い》の持つスキルの力なのだろうか?
と、壁に張り付いていたフィルの視線が続いて天井に向く。
「そうだ、この辺で天井も確認してみよう! トネール、足場だ」
「うげえ…………お兄さん、何しにきたの?」
本当に何をしに来たのだろうか。どうしてただの護衛依頼でここまで苦労させられなければならないのだろうか?
げんなりした表情で術を使うトネールを見て、ブリュムもため息をついた。
もう二度とお兄さんの依頼は受けたくないな…………頼まれたらなんだかんだ受ける事になりそうだけど。
押しが強いというか、お兄さん、距離の詰め方が絶妙なんだよな。何しろ、普段なら触れられたら即座に反撃するスイがそのタイミングを見失いされるがままに抱きしめられていたくらいだ。
と、そこでセイルが険しい顔を作り、前を向いた。空気が変わり天井付近を調べていたフィルが顔をこちらに向ける。
トネールが術を解き、ゆっくりとフィルを下ろす。フィルは文句を言わなかった。
セイルが唇を舐め、静かにその腰の剣を抜く。魔法のかかった銀で作られた剣は闇の中でも密やかに輝いていた。
「どうやら、研究調査は終わりみたいだ、フィル。お客さんがくる」
「ようやくセイルさん達の実力を見れるのか…………待ちわびたよ」
フィルがにやりと笑みを浮かべるのが見える。
まったく、よく言うよ……全く、ここまでも十分好き放題やっていたのに――。
ちょっと本気を出そうか。ここで力を見せたらお兄さんも少しは大人しくしてくれるかもしれないし――。
ブリュムはせめてもの抗議代わりに肩を竦めると、いつもより心なし気合いを込めて力を練り上げた。




