第一話:好きで女の子を選んでいるわけじゃない
探求者は危険な職業だ。魔物と戦い、素材を集め、依頼を解決する。時にイレギュラーも発生するしそしてもちろん――何者かに襲われる事もある。
栄光の積み方に近道はない。必要なのは慎重さ。知恵と勇気。弛まぬ努力。そして信頼できる仲間。
運と経験もあると便利だが、それらはどうにもならない事も多いので置いておく。誰だって初めてというのはあるものだ。
新たに借りた宿の一室。大きなテーブルの上に資料を広げ、僕は眉を顰めた。
「うーん…………これはなかなか……厄介だな」
資料はギルドから取り寄せたこの近辺の高難度依頼についてのものだった。レイブンシティを始めとした周辺三都市を巻き込むように広範囲に広がっている。
白夜から受けた依頼は近辺のSSS等級依頼の間引きだったが、僕の推測では、この地域に蔓延る問題はそういう単純な手法で解決できる類のものではない。
無機生命種が魔物として現れる事など滅多にある事象ではない。彼らは頑強で死の恐怖を感じず、極めてシステマティックに動ける。
少数ならばどうとでもなるが、ここまで広範囲に縄張りを持たれると――解決するのは並大抵の事ではない。
ましてや、僕には時間的な制限もある。借りを返すとは言え――。
と、そこで、調査のため外に出していたアリス・ナイトウォーカーが帰ってきた。
「ご主人さま、只今帰りました」
「おかえり」
アリスはぼろぼろだった。純白だったドレスは土で汚れ、顔にも延びた手足にも擦り傷切り傷がついている。いつもは整っている銀糸のような髪もぼさぼさで、この状態でここまで帰ってきたのならばさぞ目を引いた事だろう。
僕はちらちらこちらを見ているアリスに微笑みかけ、言った。
「さて、アリス。報告を聞こうか?」
僕の言葉に、アリスは自分の恰好をちらりと見下ろすと、不満気な顔でそっぽを向く。
あの従順だったアリスはさて、どこに行ったんでしょう?
まるで年頃の娘が反抗期になったような気分だ。
「…………ご主人さま。スレイブが働いたら、まずは褒めるべき。こんなにぼろぼろになって帰ってきたのに――」
「アリス、君、わざと服を汚して帰ってきただろ?」
「…………」
ナイトウォーカーの持つ種族スキル、『生命操作』は極めて強力だ。
他の高位種族と呼ばれる者ならば十近く持っていてもおかしくはない種族スキルをナイトウォーカーは一つしか持たない。だが、逆に言うのならば、ナイトウォーカーはそのたった一つのスキルで『災厄』とされるのである。
そして、野良のナイトウォーカーが攻撃にのみ使うそれをアリスは長きに亘る訓練の末、生者への憎しみの本能に打ち勝ち、回復にも使用できるようになった。
アリスのエプロンドレスは特注品だ。彼女は『生命操作』を使うことでゼロから全てを――自分の肉体から、本来回復魔法では再生できないドレスまで、何もかもを再生できる。どうしてそんな彼女が傷だらけで帰って来るような事があろうか?
アリスがぷいとそっぽを向く。アムならばともかく、アリスがそんな態度をとるのは新鮮である。
これまで、彼女は割と聞き分けのいい子だったのだが――もしコレがアリスの本性だとしたのならば、僕は随分とアリスに我慢をさせてしまっていたのだろう。
だが、僕は反省しても後悔はしない。
「わかったわかった。偉い偉い。さ、報告は?」
「……ご主人様。値は釣り上げすぎない方がいい」
アリスがジト目で僕を見る。さすが、長年付き合っているだけあって、僕がアリスの事をよく知っているのと同じようにアリスは僕の手口を知っている。
《魔物使い》にとって、褒めるのも叱るのも武器の一つだ。タイミングもやり方も重要なのだ。
僕には判る。まだいける。まだ上げられる。
待て。待てだ。アリスは優秀だ。アムも僕の下でそれなりに成長したが、そんなアムなど霞むくらいに……ステージが違う。
恐らく、アリスは僕がアムに行った処置を全て見ていたはずだ。だからこんな態度なのだろうが――僕がアムをことさらに褒めてあげたのはそれがまず正常になるのに必要だったからだ。自己肯定感のなさが成長を妨げているから、僕は彼女の第一の理解者にならねばならなかった。
もちろん、アリスを最初にスレイブにした時にも細心の注意を払った。だが、同時に甘やかすだけが《魔物使い》ではないのだ。
アリスの行動は僕にも責任があるとはいえ、間違いなく、罪だった。罪には罰が必要だ。
もちろん、僕も変わらねばならないが――。
スレイブの裏切りまで見越した今の僕に隙はない。
思えば、そう、スレイブを甘やかしすぎたのだ。それがアリスの裏切りを招いた。
もっと徹底的に躾けなくてはならなかったのだ。幸運にも僕は汚名をそそぐ機会を得た。
面白い。実に面白い。好奇心が刺激される。
これこそが我が人生だと、心の底から思える。
視線で促すと、アリスが目に涙を浮かべ、拗ねるように言った
「……うぅ……ご主人様、私の事嫌い?」
アリスが涙を浮かべてこちらを見上げる。僕には判る。これは嘘泣きだ。
僕はスレイブができるだけ安心できるような微笑みを浮かべて命令した。
「好きだよ。さぁ、だからさっさと報告しろ」
「……何か扱いが酷い。ご主人様は……私の気持ちも考えるべき」
「僕はいつだって君の事を考えているよ。さ、アリス」
窘めるように言うと、アリスは膨れたまま、それでも僕の命令に従った。
腕を大きく持ち上げると、その手の先がふと消える。空間の間に手を差し込んだのだ。
《空間魔術師》の持つ上級魔法――スキルの一つ。異空間にポケットを作り出しアイテムを格納する『アナザー・スペース』だ。
次に手を取り出した時には、紙束が握られていた。
フィールド・ワーク。討伐依頼の肝。現地調査である。
ひ弱な僕ではリスクが高くても、凶悪無比で複数の命を持つアリスならば魔物の棲息圏内も自由自在で歩き回れる。
王国で探求者をやっていた頃はこれが、僕が常時つかずにすむようになってからの、アリスの仕事だった。
そしてレイブンシティでも。
もちろん先日のように理由があれば僕も一緒に外に出ることもあるが、彼女は体力が違う。生存能力が違う。それは、アシュリーでも代替できない彼女の価値だ。
彼女は僕の目であり、耳であり、武器でもあった。
紙束は周辺地域を探索した結果の報告書だった。
机の上にレイブンシティとその周辺をピックアップした地図を広げる。
そこまで縮尺の大きな地図ではないが、その範囲には僕が以前アムと一緒に討伐したモデルアントの生息域――クローク平原も入っていた。
ギルドの有する情報は精度はそこそこ高いが、最新ではない。魔導機械の進化速度は他種と比較して桁違いに早いから、確認は必要だった。
アリスは自身の美しい白銀の髪を数本抜くと、
「メルギダ」
一本の髪を地図に突き立てる。アリスが手を離しても、髪は鋭い針のように垂直に突き刺さったままだ。
続けて、淡々と言葉を紡いでいく。
「フォルモ、リザルベ、アーティ、フルーレ――」
途中で髪がなくなり、再度引き抜く。続けて次々と名を言っていく。
数分で地図の随所には剣山のように鋭い髪が突き立っていた。その数、驚くべきことに十二本にも及ぶ。
感嘆のため息をつく。ギルドからの情報で大まかなことはわかっていたが、やはり――多すぎる。
「十二か……分かっていたことだけど、多いね」
「仰るとおりです。ご主人様、ここで探求者やれば、多分すぐにランク上げられる」
それは、SSS級依頼の数だった。この周辺数百キロだけで凡そ十二。
この数はなかなかお目にかかる数ではない。
「やらないよ。アシュリーも夜月も待ってるしね。あくまで――ちょっと付き合うだけさ」
「王都の化け物達を呼んだら、喜んでくる」
「来るだろうね……」
僕がかつていたグラエル王国は一種の探求者の聖地である。
最強と名高い竜種の探求者を始め、高レベルの探求者が魑魅魍魎のように溢れかえっている。ここではトップクラスの探求者であるランドさんであっても、王都を訪れたらトップ陣には入れないだろう。
そして同時に、高いランクの依頼に飢えている。この地は王都の探求者にとっては宝の山に見えるかも知れない。
王都の探求者がこぞってこの地を訪れたらペンペン草も生えない荒野となるだろう。
だが、この数、白夜が憂いを覚えるのも判るというものだ。高性能の白夜ならばともかく、その他の非戦闘民にとってはこの状況は虎穴の真ん中で生活しているに等しい。
最初にギルドで登録した時にも近辺の魔物の強さには驚かされたものだが、もしも僕が探求者になる前に住んでいたのがここだったら、きっと大成できなかっただろう。
「でも、L等級依頼はないんだよね」
「はい。ご主人様じゃ、全部達成しても、L等級になれない」
探求者の等級ランクアップには様々な条件があるが、その条件の一つに依頼達成で貰えるポイントを一定まで貯めるというものがある。
当然、依頼が難しくなればなるほど、貰えるポイントは多くなるが、探求者がSSS等級からL等級へのランクアップするにはそれまでとは桁の違う膨大なポイントが必要とされる。L等級のLは、伝説のLなのだ。
SSS等級討伐依頼の褒賞ギルドポイントの平均値は一億に満たない。次の昇格まで二十二億ポイント必要な僕には些か物足りなかった。
L等級の討伐対象を少数討伐するか、SSS級を三十体程度討伐するか、どちらが楽かは人それぞれだができれば僕は数はこなしたくない。事故が起きる可能性が高くなる。
しかし、ここまでSSS等級の討伐依頼が揃い踏みしているというのは、珍事だ。
SSS等級の討伐依頼がL等級に昇格することは少なくない。依頼難度の変更は被害者の数や個体の力・習性などありとあらゆる要素を考慮しギルドの上層部が綿密な相談を行った結果、行われる。
基本的には被害者の増加が昇格の主因となるパターンが最も多いだろう。アリスもそうだし、シィラもそうだった。
だが、そもそも討伐依頼が発注されるのは被害者が出たから、なのだ。当然、討伐が成らなければ被害者は増えていく一方なわけで、そうなればいずれは依頼難度の再考が行われる。
眉を顰めじっと地図を見る僕に、アリスが説明を続ける。
「メギルダはモデルスパイダー。リザルベはバタフライ、アーティはマンティス」
「性能は?」
夜通し駆け周り、実際その眼で全てを観察してきたアリスに聞く。
アリスはあっさりと答えた。
「王都の方が強い」
そりゃ王都じゃ弱いのはすぐに討伐されるからね。
実際に王都で数々の依頼を熟してきた経験があるアリスの言葉だ。その言葉は信用できる。
「倒せる?」
「魔導機械はライフドレインも効かない。善性霊体種よりはマシだけど、知っての通り――相性は良くない」
「僕は倒せるかって聞いたんだよ?」
手を伸ばしてアリスの髪をくしゃくしゃと撫でる。アリスは憮然とした表情で嫌がることもなくそれに身を任せる。
「……私に敗北はない。でも時間はかかる……かも」
アリスの本領は生命操作による莫大なエネルギーを利用したスキルによる無属性の攻撃だ。
それは斬撃、打撃、刺突に魔術的なダメージまで、ありとあらゆる攻撃手法を網羅するが翻って所詮は無属性――物理攻撃に区分され、純粋な防御力でダメージが軽減される。
そして同時に、それらの攻撃は全て生命エネルギーを消費するため、燃費が酷く悪い。ストックに上限はないので事前に生命さえ貯めておけば無尽蔵の破壊力を発揮するが、逆にエネルギーが満足になければそこそこのダメージしか与えられない。
そして、問題はアリスの生命のストックにあった。
やはり超長距離転移は相当無理をしていたらしい。
アリスのストックは既に千を切っている。
一につき一回復活できるので、千の命があると言われれば凄いようにも思えるのだが、それでもそれは以前とくらべて非常に心もとない数字だった。
最高威力のスキルなら一発撃っただけで吹っ飛ぶ数字だ。回復にも攻撃にも、あらゆる行動に生命エネルギーを消費するというのは彼女にとって強みでもあり、弱点でもあった。
「機械種は基本的に硬いからなあ……」
アリスなら負けない。それはそうだ。僕は自身のスレイブの力を信じている。
だが、想像通りに簡単にはいかないらしい。
アリスのライフストックは他者の魂を吸い取り回復するが、魔導機械の魔物しかいない地では満足に補給させることもままならない。
王都では全く困っていなかったが、こういう時にいつも思うのだ。
「元素精霊種のスレイブが欲しいなあ」
どんな状況でも十全に戦えるスレイブが欲しい。
元素精霊種は元素魔法と呼ばれる特殊な魔法を得意とする種族だ。その力は全ての種の中で最も安定しており、特に破壊力においては他の追随を許さない。
おまけに彼女たちは自然の具現化であり、魔法使用時の消耗も非常に少ないのだ。昔、まだ魔物使いとなる前は何度も嫉妬に駆られたものである。元素精霊種とうまいこと契約を交わせた魔物使いはどの時代でも羨望の的だ。
もちろん、スレイブにした事がないからしてみたいというのもある。
「……浮気? そういう態度はよくない」
アリスが眉を顰めて、またえらく人聞きの悪い事を言う。自室だからまだいいが、外で同じ事を言われたら堪ったものではない。
魔物使いにとって外聞というのは大きな武器なのだ。そりゃ、多少我儘言うくらいは全然構わないけど――。
仕方ない、説得するか。僕は居住まいを正し、アリスを真っ直ぐ見て真剣な表情を作り言った。
「アリス、ある一人の著名な剣士が一本の剣を持っていたとする」
「……私ですか?」
僕は無視することにした。
「その剣士は一本の剣を長年大切に使ってきた。その剣の切れ味は酷く鋭く、あらゆる敵を切り裂くことができた」
「それ、浮気」
僕は無視することにした。
「だが、ある時強敵に出会った。その敵はそれ程強くはないが、刃の鋭さだけではなかなか傷つかない非常に硬い鎧をつけていた」
「浮気だと思う」
僕は無視することにした。
「剣士は思うわけだよ。こいつは非常に硬い。今まで使っていた愛剣を使っても勝てない事はないが、研ぎ澄まされた刃が刃こぼれする可能性がある。だが、一方弱点もある。その敵の鎧は硬度は高いけど熱に弱かったんだよ」
「……愛剣が可哀想……」
アリスが上目遣いで呟いた。黙って聞けよ。
「さて、剣士は仕方なく、やむを得なく、愛剣のためを思って、新たに炎の魔法剣を購入することにした」
そこまで言い切って、アリスの瞳を威圧するように覗きこむ。
ゆっくりとはっきりと、まだ言葉が不自由なアリスのために、わかりやすく尋ねた。
「さあ、それは浮気と呼べるのか?」
それは必要性に求められた事であって、用途に応じて剣を一本や二本買い足した所で浮気とは呼べまい。
剣士が悪いわけでも、もちろん愛剣が悪いわけでもない。適宜状況に応じた準備をするのは探求者としては常識だ。
アリスもそれは十分わかっているのか、はっきりと僕の眼を見て言った。言い切った。
「浮気だと思う」
「……理由は?」
「魔法剣が女の子だから」
わかってない。わかってない。
剣に性別何かないのだ。故に、浮気にも成り得ない。
「じゃあ、女の子じゃない?」
「いや、女の子だね」
それはただのセオリーだ。仕方のない事なんだ。僕はセオリーを達成するために容姿にも気を使っている。
服装もなるべく清潔なものにしているし、太りすぎたり痩せすぎたりしないように自己管理もしている。相手の嗜好次第では香水だろうがなんだろうがつける。いつどんな相手に出会ってもいいように種族の特徴を暗記してもいる。これは弱者故の生存戦略なのだ。
別に好きで女の子を選んでいるわけじゃない。それが一番なのだ。あえて言うなら――男を選ぶ『意味』がない。
《魔物使い》なら誰だってそうする。
「大体、僕はスレイブに欲情する程、変態じゃない」
「…………ご主人様は――変態」
アリスが上目遣いで言う。どうやら交渉は決裂のようだな。
まぁ、いいだろう。スレイブからの嫉妬は好意の裏返しみたいなものだ。異種相手でも嫉妬くらいするだろう。
「わかったよ、負けたよ。男のスレイブにするよ、ちょうど一度くらい試してみたいと思っていたんだ」
「!? そういう事じゃない」
だが、この土地を攻略するには僕だけでは荷が重いな。助けが必要だ。
さて、どこから切り崩していくべきか。
目に涙を浮かべすり寄ってくるアリスを撫でてやる。僕は大きく深呼吸をして気合を入れると、立ち上がった。
おかげさまで、天才最弱魔物使いの続刊が決定致しました!
沢山の応援ありがとうございます!
二部も気合を入れて書いていきますので、Web版、書籍版共に引き続き拙作をよろしくお願いします!
最後に、ここまで楽しんで頂けた方、二部はよと思った方おられましたら
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/槻影
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Re:しましま先生の美麗なイラストが多数収録、過去話の書き下ろしも入っている他、紙初版と電子版には別作『嘆きの亡霊は引退したい』とのスペシャルコラボSSが同封されています。気になった方は是非宜しくおねがいします!




