第五十一話:これは――孤高だ
皮膚が粟立つ。本能が警鐘を鳴らす。フィルに同情していたランド達の表情も変わっていた。
事前に話はしてあった。敵がL等級討伐依頼をこなせる『最悪の悪霊』かもしれないという事も。
そのような危険な頼み事を、ギルドの職員までもが受けいれてくれたのは、ひとえにフィルの積み上げた人望故だと言えるだろう。
だが、事前の覚悟を吹き飛ばす程、ソレは異常な光景だった。
アムの眼から見てもただの脆弱だったはずの純人の魂が漆黒の魂に塗りつぶされる。
いや、塗りつぶされているのではない。これは――転移だ。
憑依による繋がりを辿り現れるそれが、『あまりにも強大』故にフィルの気配が霞んでいる。
――そして、宿主から湧き出るように、それは現れた。
怪物は、白銀の髪をした女の姿をしていた。
その姿は、特徴だけ抽出して挙げるのならば映像のスレイブと同じだが、実際に目視すると似ても似つかない。生きている次元が違う。
セーラがその姿に、小さく呟く。
「負傷……してる?」
怪物は満身創痍だった。元は美しかったであろう銀の髪は一部が焼け焦げ、白い肌にもそこかしこに深い切り傷が穿たれており、黒い液体が破れたエプロンドレスを濡らしている。左腕は骨折しているのか、あらぬ方向に曲がり、美しかったであろう瞳は潰れ、片方には銀色の棒が突き刺さっていた。
だが、それでも、全身に重度の傷を負いながらも、怪物の表情には恐怖も痛痒もなかった。
あまりにも異常なその姿に、S等級探求者のガルドが一歩後ろに下がる。
「これが……アリス・ナイトウォーカー……」
椅子の上に拘束されたフィルは完全に意識を失っていた。精神汚染によるものだろう。
アリスが悠々とその前に立ち、周囲をぐるりと見回す。その視線には何の感情も乗っていない。
もっと早く気づくべきだった。余りにも悍ましいその姿を見た瞬間、アムは数度目の後悔をした。
最初から怪しんでいたアムならば、気づいてもおかしくはなかった。
フィルは一種、完成している。天敵たるアムに恐れる素振りを見せず、アムの事をよく想い、笑顔を向けてくれる。
アムだったら、たとえ絶体絶命の危機に陥ったとしても、側を離れたりはしない。
同じ悪性に区分されるアリスでも、同じ事を考えるはずだ。
そこまでアムが察しつつもフィルが倒れてしまうまで確認を引き伸ばしてしまったのは――。
「動機が……動機だけが、わからなかったんです。貴女には、それをやる理由がなかった」
アムが思わず出した言葉に、アリスは何も答えなかった。
殺す目的ならばその場で手にかけるはずだ。長く苦しませるためならば生ぬるい。ピンチを演出して仲を深めるため、というには、アリス自身に及ぶリスクが高すぎる。そもそも、『必要』がない。
結局アムが真実に気づいたのは友魔祭の映像を見た後だった。
「ずっと不思議に、思っていました。フィルさんは、魔王との激戦の後、『アストラルリンク』が切れたのに、まず疑うべきスレイブの死の可能性を排除していた」
普通に考えれば、いくらスレイブの力を信用していたとしても心配くらいはするはずだ。
それが、まったくなかった。
いなかったからだ。
魂の契約を結んでいたスレイブは、戦いについてきていなかった。だから、疑うわけがなかった。
順序立てて考えれば明白だ。そもそも、フィルにスレイブが一人しかいないわけがない。
アリスの種族等級はあまりにも高すぎる。いくら天稟を持った魔物使いでも、町一つを滅ぼしたという最悪の悪霊を最初のスレイブに出来るはずがない。何の武器もなく、戦いに行くわけがない。
開いた口から、次から次へと濁流のように言葉が溢れる。
「貴女は――二番目だった。フィルさんには、既に『魂の契約』を交わしていたスレイブがいた」
アムはアシュリーを知らない。だが、友魔祭の映像は間に存在する絆をこの上なく物語っていた。
「私には、私だから、よくわかる。動機は――嫉妬だ。貴女が、フィルさんの眼を掻い潜り、準備し、莫大な力を使ってまで、フィルさんを飛ばしたのは……フィルさんをアシュリーから遠ざけるためだ」
壊すしかなかった。同じ悪性であるアムにはその気持ちがよくわかる。惨めだっただろう。悔しかっただろう。我慢ならなかっただろう。アムも同じ立場だったら、同じ事をやっていたかもしれない。
だから、迷いはあった。だが、フィルに悪影響が及んでいる以上、許すわけにはいかなかった。
だが、アムの言葉に気を払う事なく、ただ一言、アリスが単語を呟いた。
「生命循環」
刹那、全身が白く輝いた。
全身に穿たれていた傷が一瞬で戻る。折れていた腕が再生し、眼に突き刺さっていた棒が抜け、ルビーのような暗く輝く瞳が復元し、焦げていた髪まで完全に回復する。完璧な造形美、傷ひとつない肌、血の滴る白のエプロンドレス。アリスが眉一つ動かさずに、自分を観ている者達に視線を向けた。
アムの弾劾を受けて尚、アムの揃えた絶対の布陣を前にして尚、その表情には些かの曇りもない。
それを見て、アムは理解した。
これは――孤高だ。アリスは全てに敵対している。故に、何が起ころうとその精神は乱れない。
歪なまでに強固な精神構造。なるほど、フィルがアムを怖れなかったわけだ。
「フィルさんは……与えすぎた。貴女に、奈落を心に有する悪性霊体種相手に。フィルさんの与えた薬は、きっと、極めて強力な毒だった」
万全は尽くした。これ以上のメンバーはレイブンシティでは揃えられない。
SS等級討伐依頼を達成した最上級クランのパーティに、アムよりも強いという小夜。
フィルがランドよりも強いと言い切ったエトランジュに、フィルと同じ《魔物使い》であるリン。
そして、最強の《魔物使い》の手で調整された自分。
アリスの眼は酷く無機質だった。だが、しばしの沈黙の後、その真っ赤な唇が開く。
「それで?」
「!?」
透明感のある声。その声には悪意はなかった。戦意もなかった。それがひたすらに悍ましい。
ランド達は既に臨戦態勢だ。巨大な戦鎚が、剣が抜かれ、向けられている。
「アリス、貴女の負けです。投降してください。全て明るみに出た以上もう貴女の勝ちはありません」
そもそも、雑な計画だった。アリスの計画は全てフィルが気づかない事を前提としている。
フィル・ガーデンの怪物じみた洞察力を前に、自分への信頼を逆手に取る根性は見事だが、それだけだ。
だから、アムにさえ怪しまれ、こうして追い詰められる。
アリスはアムの言葉を受けしばらく沈黙していたが、やがて冷たい声で言った。
「……見逃してあげる」
「…………は?」
一瞬、耳を疑った。凍りつくアム達に、アリスが順番に指を向ける。
「ランド・グローリー。ご主人さまと友誼を結んだ」
「リン・ヴァーレン。ご主人さまが手を掛け様々な事を、教えた」
「小夜。ご主人さまが名前を与えた」
「エトランジュ・セントラルドール。ご主人さまを楽しませた」
アムを除いたそれぞれに言葉をかけると、アリスは初めて花開くような笑みを浮かべた。
「貴方達はご主人さまのお友達。だから――邪魔をしないなら、命を助けてあげる」
「何を……言って、いるの?」
セーラが理解不能なものを見るような視線を向ける。
それは断じて追い詰められている者の言葉ではなかった。
「貴方達の事なんて、どうでもいい。全て見なかった事にして、日常に戻るといい」
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/槻影
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