第四十七話:僕には待っている子達がいて
「いきなり笑顔で手を振ってきた時には驚きましたが……まさか北からやってきたなんて、荒唐無稽なのです」
図鑑を読み終え、改めてエトランジュと自己紹介をする。
どうやらエトランジュが図書館にやってきたのは偶然のようだ。いつも誰もいない図書館にいた先客に興味を惹かれ近づいたら僕の独り言が聞こえた、と。
驚くべき偶然である。独り言をしていた僕も悪いが、そんな僕に近づくとは彼女もなかなか変わっている。
高等級の探求者は好奇心が強いことが多い。つまり、そういう事だろう。
エトランジュはいつもは近くの街を拠点にしていたのだが、クイーンアントの件でギルドに協力を依頼されたらしい。
等級はランドと同じSS。間違いなくこの街では最強の一人だろう。
だが、どうやら随分気さくなようだ。魔導機械への好奇心という共通点があるためだろうか。
「魔導機械の蔓延るこの地方は私にとって天国、なのです。もちろん、毎年魔導機械はロールアップして強化されていくので、警戒は必要ですが、研究する上でも素材集めでもここ以上はないのです」
「そうだろうね。僕は《魔物使い》だから魔導機械は使えないけど――」
魔導機械との契約は勝手が異なる。彼らは魂がない故に普通の契約魔法で契約できない。
逆に機械魔術師はほぼ無制限に魔導機械を支配下における。自ら研究し生み出した強力な魔導機械をスレイブにするのが機械魔術師という職だ。
スレイブを持てるのに本体も強いのだから、なんとこの世は不平等なのだろうか。
「そうだ、今度うちに来ますか? フィルになら私の自慢の魔導機械を特別に見せてあげるのです」
「!! 行く!!」
行かない理由がない。めちゃくちゃいい子だな、この子。スレイブになって欲しい。
と、そこまで考えたところで、ずきりと頭が痛んだ。さすがに寝不足だろうか。
ソウルシスターが一枚の名刺を取り出し、僕の前に置く。
「名刺、あげるのです。引っ越したばかりですが――」
「ありがとう、ソウルシスター、すごく楽しみだ。……もしかして、だけど……乗せてくれる?」
「ふふ……周りには魔導機械をお金にしか見ていない人が多くて、私も嬉しいのです。ソウルブラザー、私の事、親愛を込めてエティって呼んでいいのですよ? 残念ながら乗れるのはいないのです」
それは残念だな。だが、この出会いは最高だ。
知識の収集は僕の趣味の一つだ。探求者引退後は図書館にでも勤めようと考えていたくらいだ。
「もしも魔導機械に興味があるなら、今度私がじっくり教えてあげてもいいのです」
エティがにこにこと言う。魔導機械のプロに教えを受けるなど滅多にできることじゃない。
だから、とても残念だ。僕は小さくため息をついて、エティに言った。
「それは嬉しいな。でも残念ながら長居はできないんだ。僕には待っている子達がいてね」
今思い返すと、こんなに長く側を離れたのはこの十年で初めてかもしれない。
アムの成長を見るのも本当に楽しいが、一刻も早く帰って安心させてあげなくては。
§ § §
「何このスレイブ……」
映像が一時停止する。アムが呆然と呟く。喉がからからだった。
頭の中は澄み切っている、が、思考が全く働かない。
目を限界まで見開き少女を凝視するアムに、リンが熱の篭もった声で言う。
「ね? ね? 凄いでしょ? 《白の凶星》なんて二つ名がつけられた理由、わかったでしょ!?」
「なる、ほど……あれが、星か。……なんという底知れない力だ……だが、何故、食器……?」
「違……う……?」
リン達の言葉はもっともだ。確かに強い。凄まじい。
強力無比な竜種の眼光に貫かれ平然と佇むその胆力。あんな状態で主人に『勝利を捧げる』と言い切る忠誠心。そのどれをとっても――まさしく非凡。竜に相対するに相応しい逸材だ。
だが、アムの言いたいことはそんな事ではなかった。
アムが映像を見て気づいた事は、その能力ではなくもっと些細な事だった。
アムの中で全てが繋がる。自分が思い違いをしていたことに初めて気づく。
そうか、そういうことか。おかしくない。確かに、そうであってもおかしくなかった。
……それは……それじゃあ……そんなの――あまりにも、哀れだ。
「……アム? どうしたの? そんなぼうっとした顔して」
「……うん……確かにあれは……敵わないかも」
リンの心配そうな声に、誰に対するものでもなく、呆然とつぶやく。考える。その意味を。
勝てない。その風景から見えたのは絶対の絆だ。アムもフィルを信頼しているが、レベルが違う。
自分の頬を指で確かめるが、涙は溢れていなかった。念のために、リンに確認する。
「ねぇ、リン。あのスレイブ、対戦相手に名を問われたでしょ? なんて答えたか聞こえた?」
「え? そりゃ…………『アリス』って、言ってたわ。確かに凄く聞き取りづらかったけど」
「……広谷さんは聞こえました?」
「……いや、聞こえなかったな……眠そうで、舌っ足らずだったし……だが確かに、リンの言うとおり『アリス』と聞こえたような気もするが……」
広谷の腑に落ちなそうな表情で出されたその言葉に、確信を深める。
「……やっぱり……か。ねぇ、リンって決勝戦以外の映写結晶って持ってるの?」
「いや……一番面白いって評判だったのは決勝戦だったし……映写結晶って高いのよ?」
やっぱり、か。なんという偶然だろうか。他の映写結晶を見ていれば、あのフィルが事情を話している時に、確実にそこに気づき、指摘していただろう。
いや、逆になければおかしい。今の決勝戦、フィルは偶然か否か、自らのスレイブの名を呼ばなかった。リンが気づかなかったということは、この先の映像でも呼ばなかったのだろう。
他愛もない嫉妬から集めていた知識のピースが今、ピッタリと嵌っていた。
「何よ、決勝戦以外も見たいの? ……お金貯めたら買おうかしら……」
見当外れな事を呟くリンに、一言だけわかったことを言っておく。
「……リン、さっき映写結晶に映っていたスレイブは――『アリス』じゃない」
「え? いや、フィル・ガーデンのスレイブと言ったら、アリス・ナイトウォーカーじゃない?」
リンが訝しげな表情で恐らく、最も有名なのであろう、フィルのスレイブの名を出す。
そうじゃない、そうじゃないのだ。やはり、リンも勘違いしている。
確かに、アムもフィルからその名、その容姿、その能力の高さを聞いていた。だが、今出てきたスレイブは明らかに違う。
何しろ、スレイブ本人が自己紹介しているのだ。いや、確かに跡切れ跡切れだったが、少なくとも彼女自身は名乗ったつもりだったろうし、散々注意力を鍛えられたアムにはその言葉が聞き取れた。
今更、思い出す。フィルは最初にアムと出会った時、アリスとは契約して四年経つ、と言っていた。
五年前に開かれたはずの大会に、アリスがいるわけがない。
これが――違和感だ。
「あのスレイブは……ところどころ抜けていたけど、半分以上抜けてたけど、多分、こう言ってた」
そこで大きく深呼吸をして、首を傾げてアムの言葉を待っているリンに伝える。
そのスレイブの唇が出した言葉を。
「『私はご主人様、フィル・ガーデンに仕える幻想精霊種、アシュリー・ブラウニー。世界最強のスレイブです』って」




