第四十六話:共に世界一になる、最強のスレイブが
「……おかしいな……決勝戦だからもっと盛り上がると思ったんだけど……」
「ご主人様……さすがに……む……り……」
かくんと少女の首が下に落ちる。フィルが大きくため息をついた。
「寝るなよ? それに、無理じゃない、無理じゃないぞ。ノワール、ヴァイス、喝采だ!」
「ええ……!? わ、私達!?」
「君たちの役割は、大会を盛り上げる事だろッ! それでもプロか!」
その発破が、ノワールのプロ意識に火をつけた。
今まで司会をやっていてこんなこと言われたのは初めてだ。やってやろうじゃないか、とばかりにマイクを上げる。
「ッ……わ、わかりました! やればいいんでしょ、やれば! さぁ、皆さん、大きな拍手をお願いします! ……ヴァイス、どうしたの? さっきから静かだけど……」
珍しく静かな相方を見る。ヴァイスは涙眼で顔を真っ赤にして自分の尻尾を抱きしめ、震えていた。
初めて見るその表情に、固まる。ヴァイスが弱々しい声で呟いた。
「……フィル、カメラがノワに注目した瞬間、私の尻尾、キスしていった、ニャー……」
会場が静かだったせいか、声は良く通った。観客の殺意がフィルに集約され、一瞬遅れて罵声と怒号と命令とモノが会場中で爆発した。魔法やスキルや武具の類が投げ込まれ、フィルの周辺で弾かれ、地面に落ちる。だが、無駄だと分かっていても、観客の手は止まらない。
「あわ……ものを、ものを投げないでくださーい!」
さすがにこれはまずいと、ノワールが慌ててマイクで叫ぶが、騒ぎは止まる気配がない。ヴァイスがついに蹲ってしまう。フィルのスレイブは何を考えているのか、表情一つ変えずに平然と拍手を続けたままだ。ノワールが頭を抱えた瞬間に、再びフィルが叫んだ。
「黙れッ! 何を騒いでる、こんなのただの手付金じゃないかッ!」
余りに反省の見られないフィルの声と表情に、投げ込まれる物が一瞬だけ止まった。
その隙を逃さず、フィルが再び不思議とよく通る声で叫ぶ。
「勝てばいいんだろッ! 勝てばッ! 大体、あの希少種族である猫妖精が目の前で尻尾振ってるのに何もしないなんてそんなの……嘘だろッ? 僕は悪くないッ!」
モノを投げる手の数がその一声で半数になる。怒号も罵声もフィルの声を聞くためか、やや静かになった。酷くちっぽけな力を持つ《魔物使い》が、大仰な身振りで説得を自分の意見を主張する。
「あれは間違いなくオッケーのサインだった。お前らは、目の前で、尻尾ふってる、猫妖精が居て、何もしない腰抜けかッ!? 違うだろ! そんな探究心で何が得られる。お前らの愛はそんなものか!? 僕はまだちょっと触っただけだぞ!? 《魔物使い》を……舐めるなッ!!」
めちゃくちゃな主張にノワールがげんなりする。が、怒声も罵声も確実に収まっていた。どうやら、概ね皆フィルの言葉に同意らしい。出場者も《魔物使い》ならば、観客の大部分も《魔物使い》。
ノワールはその様子に初めて《魔物使い》について理解した気がした。そこで、フィルが止めの一言を放つ。
叫んではいなかったが、その落ち着いた声はマイクを通してはっきりと会場内の広がる。
「安心しろ! 僕だってケチじゃない。ヴァイスのデータを取ったら、お前らにも複製させてやろう」
「……」
その一言で趨勢は決した。会場が完全に静まり返る。後に残るのは、少女の拍手の音のみ。フィルは咳払いをすると、髪をかきあげ格好をつけ、目の前の対戦相手の竜を睥睨して叫んだ。
「称賛しッ、喝采ッせよッッ! 僕が、フィル・ガーデンだッ!」
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!」
爆発的な拍手と称賛。スタンディグオーベーションが波となってフィルに押し寄せていた。称賛と羨望が混じったそれは、まるで勝者に向けられているかのようだった。
フィルの眼が爛々と輝いている。満面の笑みは不遜で傲慢でそして酷く魅力的だった。自分の正当性を確信したその表情は常識を侵食し、司会二人の方がおかしいかのような雰囲気を作り上げている。
「そうそう、それでいいんだよ、それで」
満足気に頷き、フィルが手を上げる。同時に、ぴたっと騒ぎが止まった。まるで一流の指揮者がオーケストラを指揮しているかのように、その動作は極自然なものだ。その目がノワールを見る。
「さ、ノワール。インタビューは?」
「……は、はぁ……ま、まあ……やりますか。……この距離からでもいいですか?」
「……だ、駄目……にゃ……」
震えていたヴァイスがゆっくりと立ち上がる。眼は赤く腫れ、尻尾もピンと伸ばされている。
「このままじゃ……私達の負け……苦手意識、作っちゃ、駄目……心折れたら、立ち上がれない……」
ふらつきながらも立ち上がるライバルの姿に、ノワールが目を見開き、フィルが笑みを浮かべる。
それはもはや死地に向かう戦士の面持ちだった。ノワールは覚悟を決めたように拳を握ると、ふらつくヴァイスに肩を貸し、ゆっくりと足を踏み出した。眼と眼、強い視線がぶつかり合う。
マスターの立つ円形の台の上に上がると、ノワールは一歩前に出て、ヴァイスを背に隠した。
「え、えっと、では、色々ありましたが、インタビューを開始させていただきます」
「じゃんじゃんやって、じゃんじゃん」
「なんでそんな笑顔――えっと……友魔祭に参加した目的は?」
フィルがじろじろとノワールの全身を観察してだらしのない笑みを浮かべる。
「スレイブが勝手に応募しちゃって。それに、いつも群れない《魔物使い》が集まるこんないい機会にこないなんてないでしょ? 色々珍しいスレイブが見れるかもしれないし……」
ヴァイスはもう何がなんだかわからなかった。勝手に応募するスレイブもスレイブだし、それを受領するマスターもマスターだ。そして、それに負けた歴戦の猛者達もどうかしてるとしか思えない。
何かの間違いじゃないだろうか。その時、ヴァイスがノワールの後ろから恐る恐る顔を出した。
「ちょっと待った、応募って何ニャ? 友魔祭の出場資格を得るのはそんな簡単じゃないにゃ。出場するには、各国でまず予選とか厳選な出場条件を満たさないとならないはずニャ」
「ああ、スレイブが応募したのは友魔祭じゃないよ。ギルドの……探索依頼だよ」
「探索……依頼?」
「ああ。 取得対象は友魔祭の優勝賞品……『盟友の証』だ」
『盟友の証』。それは、友魔祭の優勝賞品だ。背面にスレイブとマスターの名が刻まれているメダルである。
記念品の意味合いが強く、何ら特殊な力などは持たないが、同時に、友魔祭で勝ち抜かなければ得られない、ある意味貴重なアイテムでもあった。
予想外の言葉に、ノワールの表情が引きつる。
「フィルさん……探求者のランク、いくつですか?」
「SSだよ。この依頼を成功すればSSS等級に認定されるけどね」
「指名依頼ニャ?」
「そうだよ。特殊探索依頼『朋友の試練』だ」
「お、おみゃー、王国の、推薦枠ニャ!? ありえないにゃ!」
にっこり微笑みかけるフィルに、ヴァイスが悲鳴をあげた。ノワールが引きつった表情で尋ねる。
「……えっと、《魔物使い》になってから何年って言いましたっけ? 四年?」
「天才ニャ……天才で変態ニャ……しかも、推薦枠で決勝戦までくるとか聞いたことないニャ……」
ヴァイスのうわ言のような呟きには、ノワールも頷くしかない。それは間違いなく天稟の成すものだった。この若さで、この速さで、一体如何なる奇運に恵まれれば成し遂げられるものなのか。
強さだけならなんとかなるかもしれない。だが、推薦を得るには強さ以上に運がいる。
一回戦で誰も知らなかったのも無理はない。名が広がるよりも先に上り詰めたのだ。
「王国の刺客ニャ……ニャーはもうおしまいニャ……」
ガタガタと尻尾をかばいながら、ヴァイスが震える。一方でノワールは落ち着きを取り戻していた。
尻尾にキスはいくらなんでも酷いが、冷静に考えれば、尻尾を乗せて遊んでいた自分が悪いのだ。それに、一部の大国が一枠持っている予選を飛ばせる推薦枠は信用のある者にしか与えられない。
「初めての友魔祭はどうでしたか?」
「いやー、皆本当に凄いね。こんなに沢山色々なスレイブ、種族を見れて僕はもう幸せだよ」
「はぁ……そうですか。ちなみに一番会えて嬉しかったのは?」
「当然、犬妖精だよ!」
「へ? 私……?」
ノワールが、その突然の発言にきょとんとフィルを見る。震えていたヴァイスの耳がぴんと立つ。
「あの……私、スレイブじゃないんですが……」
「いやー、僕ずっと犬妖精に会いたかったんだよね……ただ、僕がメインで活動している王国には一人もいなくて……」
「……まぁ、私達の一族は滅多に人里に降りてこないので……」
「知ってるよ? 猫の国に猫妖精と一緒に住んでいるんでしょ? ただ、通行証が手に入らないんだよねえ……あの国」
「そうだニャー。ニャーの国には人間は入れないニャー」
ヴァイスが後ろから補足した。どうやらショックが落ち着いたのか、そろそろと後ろから出てくる。
一変してのほほんとした会話に、逆に客席がざわめく。その間もインタビューは続いていた。
「フィルは何でクー・シーに会いたかったんだにゃ?」
「僕、猫よりも犬派なんだよね」
「……フィルは失礼だニャー。猫の方が可愛いニャー?」
「しっかりもので支えてくれるタイプが好きなんだよね」
「にゃ!?」
ヴァイスの自慢の尻尾がピンと立った。それが示す感情は――驚愕。
「人気投票は……どっちに投票したニャ?」
「いや、本戦参加者がそんなお遊びに参加するわけが――」
「ノワールだよ。実は僕、ファンなんだよね……」
「え!?」
「……にゃあ……」
予想外の答えに、ヴァイスの顔が引きつり、ノワールの目元が緩む。相方の表情を見て、ヴァイスが最初の表情からは想像できない慌てたように声をあげた。
「そ、そうだ。良いこと考えた! フィル、おみゃーが勝ったら、私がスレイブになってやってもいいにゃあ!」
その言葉にノワールも含め、会場中が凍りつく。フィルの目が驚いたように見開かれる。
「え? 本当に?」
「二言はないにゃ!! 私はノワと違って太っ腹ニャ―!」
完全に墓穴を掘っている。真っ赤な顔で訴えかけるヴァイス。
――そして、不意にフィルは不敵に笑った。
「ありがたい話だけど、遠慮しておくよ。僕には――信頼しているスレイブが既にいるからね」
それは、静かでしかし油断すれば聞き惚れてしまいそうな声だった。
たった一声で、空気が変わった。先程まで僅かに残っていたざわめきが完全に消える。
「――共に世界一になる、最強のスレイブが」
その瞬間、確かに会場中の目は一人の青年に注がれていた。
英雄だ。先程まで欲望にまみれていたはずの瞳は今、気を抜けば吸い込まれてしまう程美しい。
周囲の心を揺らすカリスマ。それは、間違いなく《魔物使い》としての資質だった。
ヴァイスが呆けている。ノワールが我を取り戻し、震える声をあげる。
「さ、さて、インタビューはこの辺にしておきましょうッ! 続いて、オッズの公開です――」
天井付近の掲示板にこの試合のオッズが表示される。友魔祭では、公式に賭け試合を行っていた。
だが、本来皆が注目するそれを、今、誰も見ていない。観客の全員が世界最強に興味を持っていた。
先程まではアルドの優勢を疑っていなかった者も今、固唾を飲んで二人を見ている。
「一言で、持っていった。恐るべき敵だ」
「ああ。だが問題ない。ファーフナーの歴史はそう簡単に破られはしない、レン」
「ああ、その通りだ」
スレイブの言葉に、アルドが答える。予想外の状態にも、アルドは冷静だった。マスターの精神が乱れないという事は、スレイブの精神も乱れないということ。
それは確かに王者の王者たる姿だ。
「……遊び……過ぎ……」
フィルのスレイブが小声で言う。ノワールが熱気に急かされるように手早くルールを説明する。
「それでは、皆様御存知でしょうが、試合のルールを説明させていただきます。勝負はKO制。双方のスレイブが一対一で争い、先に片方のスレイブが戦闘不能とみなされた場合に決着。相手スレイブへの干渉とマスターへの攻撃は禁止、群体型のスレイブの場合でも、参加は一体のみ可能。ただし、召喚系のスキルで手駒を増やす分にはルールの範囲内です。また、スレイブが幻想精霊種の場合は『幻想世界』の顕現は認められません。これは、コロシアムを飲み込み被害を外に出さないための致し方ない処置です。ご了承ください。分かりましたか? フィルさん!」
空気を変えるためにフィルに振るが、フィルは反応をしなかった。目に宿るは闘志と自信だ。
一瞬、声が詰まる。今誘われたら、もしかしたらノワールも契約を交わしてしまうかもしれない。
黄金の騎士に金色の竜。黒髪の青年に、雪のような白い髪の少女。その誰もが毅然と立っている。
恐らく、皆が思っていた。これこそが、世界最強の戦いに相応しい。
「えっと……それじゃ、準備はよろしいでしょうか?」
「……お主には悪いが主のためだ……恨むなら自らの主を恨むといい」
竜が重苦しい口調で口を開く。その声には慈悲があった。
あらゆる者を粉砕してきた、絶対強者にのみ許された慈悲が。対するフィルのスレイブは、ふらふらゆらゆらと緩慢に揺れながらも、眼を半分だけ開けた。薄く開かれた瞼の隙間から銀の虹彩が覗いている。
「勝ち負け……文句なし……負け……も……次ある……大丈……夫……ね?」
頼りない所作。囁くような、眠くなるような声。だが、慰めるような笑みには一切の恐怖が見えない。瞼が落ちかけ、頭がこくりと揺れる。アルドが眉を顰めた。
「フィルさん、君のスレイブ、大丈夫か? 何もしていないのに、もう倒れそうだけど」
「……大丈夫じゃないかも……」
フィルの心底心配そうな声に、アルドが目を見開く。その時、白い髪がさらさらと風に流れた。
少女が僅かに首を傾け、自らのマスターを見上げる。
「私……勝つ。ご主人様……上が……る。最強……十全……ね?」
「……眠くないか?」
「大丈…………すぅ……」
かくん。と、再び船を漕ぎ始めるのを見て、慌ててフィルが声をあげる。
「早く、早く試合開始して! うちの子が寝ちゃう!」
意味の分からない要請に、ノワールは慌ててマイクに怒鳴りつけた。
「ええっと……どうなっても知りませんよ!? 第三百二十二回決勝戦試合、開始!」
試合開始の合図。大きな鐘の音がなる。決勝開始に相応しい鈍く神々しい鐘の音が。
そして、戦いは始まった。
それは恐らく、単純な覚悟の差だった。観客も、ノワールもアルドもレンもフィルでさえも鐘の音に注意した瞬間、少女はたった一人動き出していた。
身体の動作は緩慢。腕も足も細く力が入っておらず、全く頼りない。その瞳は半ば閉じ、起きているかどうかすら定かではない。だが、それでも少女は真っ先に動いていた。
だから、それはきっと、覚悟の差だ。そのスレイブには絶対に一手目を取るという覚悟があった。
勝利を捧げる。全ては――マスターのために。その小さな唇が囁くような魔法の言葉を呟く。
「先手……ひっしょー……『三千世界の螺旋刃』」
金色の竜がその囁く声に気づきようやく少女を見る。鐘に気を取られていたのは刹那でしかない。
だが――全ては遅すぎた。絶対強者の双眼が驚愕に歪む。
無数の食器が宙に浮いていた。ナイフ、フォーク、スプーン、皿、コーヒーカップから、包丁、鍋、お玉、フライパンなどの調理器具に至るまで。あらゆる道具が白い光を纏い、高速で回転する。
そして、巨大な輝く竜巻が現れた。いつの間にか、少女の手に一本の箒が握られている。
レンが僅かに口を開く。無敵の金竜にできたのは、一言、問う事だけだった。
「名を――」
それは、まるで流星のようだった。音もなく、容赦もなく、慈悲もない。弾丸のように撃ち出された輝く器具類が巨体に突き刺さる。一撃一撃でコロシアムが激しく震える。粉々になった白い金属粉が舞い、レンの巨体が大きく浮く影が見える。白い粉は煙となって会場全体を包み込む。
誰もが予想外の展開に唖然としていた。司会の二人も愕然としている。フィルが笑う。
少女の様子は何一つ変わってなかった。眠そうに頭を上下に振り、ふと唇に指を当てる。
「…私…ご主人……様…………………ア……リ…………ス……です……すぅ……」
話している最中に微睡みに飲まれ、かくんと首が落ちる。対面していたアルドは呆然としていた。
だが、その表情は敗北を悟ったものではない。王者故の絶対の自信。
信頼に応えるかのように、白い霧の中で小山のような巨体が動く。
だが、その時には一瞬意識を落とした少女が再び目を覚ましていた。その眠そうな表情も、揺れる身体も演技ではない。だがしかし、少女は僅かな隙も与えず、手の平を無造作に上に向ける。
声は眠そうだ。だが、半端に開いた目には研ぎ澄まされた戦意があった。
「あ……ターン……じゃ……ない……です。『消え不の灯火』」
手の平に小さな炎が灯る。半径数百メートルあるコロシアム全体が巨大な閃光に包まれた。




