第四十四話:『コラプス・ブルーム』って……何?
広々としたリビングは今、お通夜のような空気が漂っていた。
すぐに戻ると思っていた。信じていた。何しろ、これはアムのご褒美なのだ。ご褒美なのだから、フィルもアムの事を考えて当然だと思っていた。だが、一時間待ってもフィルは帰ってこなかった。
リン達がいなければ大暴れしていたところだ。
「ほ、ほら、フィルさんも、忙しいから……しょうがないと思うわ」
「うぅッ…………」
「何か……きっと、何か事情があるのよ。ほら、せっかく貰った休日なんだし、久しぶりに一緒に出かけない? 付き合うからッ!」
リンのあからさまな優しさが痛い。多分リンも同じ仕打ちを受けたら泣いていたからだろう。
そうだ、リンの言う通り、きっと、何か理由があるのだ。フィルさんは、理由もなく私を放置したりしない……はず。凹んでいる場合ではない。もうアムは立派なスレイブなのだ。
顔を上げ、パンと自らの頬を叩く。涙を拭くアムを、リンが意外そうに見ている。
「アム、本当に強くなったのね……なんか、複雑」
どういう意味だろうか……だが、確かにリンと共に行動していた時、アムはずっとリンに甘えっぱなしだった。思い出すと恥ずかしくなるくらい、初めての友達に舞い上がっていた。
こほんと一度咳払いして誤魔化すと、ふと気になっていた事を思い出す。
「そういえば、リンに少し聞きたいことがあるんだけど……『コラプス・ブルーム』って……何?」
「ん……ああ、あれね。フィルさんの二つ名よ」
アムがその単語を聞いたのは、リンが初めてフィルの正体に気づいた時だ。
変わった単語だったから、頭に刻みつけられていた。リンが呆れたような表情で言う。
「アム、そんなことも知らなかったの? いーい? SSS等級になると、ギルドから二つ名を貰えるのよ。SSS等級じゃなくても優秀ならもらえるらしいけど……聞いたことあるでしょ? 《灼熱の真槍》とか、《旋風の龍刃》とか。まぁ、一種の称号ね」
それは、最近まで周囲に無関心だったアムにも聞き覚えのある単語だった。相当有名なのだろう。
リンが出来の悪い生徒に教鞭をとるかのように話を続ける。
「まぁ、王国ギルドが世界最強の魔物使い、フィル・ガーデンに与えた二つ名が《コラプス・ブルーム》ってわけ。魔物使いのSSS級探求者と言ったら無尽の金鱗が一番有名だけど……何しろ魔物使いって狭い世界だから、知られていないのも無理はないわね」
訳知り顔で頷くリン。だが、となると更に疑問がある。
「……ねぇ、リン。『コラプス』って何?」
「……はぁ……アムはもう少し勉強するべきね……」
予想通りの呆れ顔でリンが深くため息をつく。
だが、眉をハの字にするアムに答えたのは、リンではなく広谷だった。
「フィル・ガーデンの二つ名はコラプス・ブルーム……『白の凶星』の意らしい」
「……あら、広谷、貴方知ってたの?」
「調べたからな。探求者ではなく、《魔物使い》から辿れば簡単に見つかったぞ」
「……さすがね、やるじゃない」
《白の凶星》。いかにも不吉な単語だ。不安げな表情をするアムに、広谷が続ける。
「ギルドが与える二つ名には法則があってな……その探求者の本質に従い付与される。《灼熱の真槍》は炎の槍を自由自在に操る槍術士の達人だし、《旋風の龍刃》は、風の如き速度で『龍刃』のスキルで対象を切り刻む探求者だと聞く。まぁ、探求者は腕っぷしが重要だしな」
アムは一生懸命その単語を分解し、並べ直し、頭の中で組み立てる。
「ということは……白の凶星が二つ名のフィルさんの武器は……白い星?」
その安直な発想に広谷が首を横に振った。
「……いや、戦法までは記載されていなかったが、さすがに星が武器という事はないだろう。そもそも、コラプスは本来『崩落』を意味しているらしい。二つ名は『意訳』という事になるな」
「崩落……ですか。という事は……ブルームは?」
「ブルームは箒よ」
リンが、自分を蚊帳の外に続いている会話に面白くなさそうに言葉を差しこんだ。
「意訳の『白』はアリス――フィルさんのスレイブの髪の色よ。《無尽の金鱗》のスレイブだって金ピカなんだから……スレイブの色を取るのは、《魔物使い》が付けられる二つ名としてはよくある話だわ。フィルさんは『魂の契約』まで交わしていたみたいだし、そりゃそうもなるでしょ」
「……? じゃあ、凶星はどこから来たの??」
「……もう! 少しは自分で考えなさい! 凶星は、箒――凶兆と言われた……箒星から繋がっているの!」
「リン……詳しいな……文献にはそこまで載ってなかったぞ」
広谷の言葉に、恥ずかしかったのか顔を真っ赤にしてテーブルを叩く。
「……何よ、悪い? 《魔物使い》が、尊敬する《魔物使い》の事を知ってて何か悪いっていうの? 調べたのよ! 気になることは全て調べないと気が済まない性格なのよ!」
リンと広谷の言葉は筋道だっていた。だが、アムの中には形容し難い違和感がある。
それをなんとか捉えようと、つらつらと口から漏れるままに言葉を吐き出す。
「……あれ? でも箒星なら、訳はブルームじゃなくてコメットにするべきじゃないの?」
「……もう! そんなに二つ名が気になるなら、ギルドの二つ名を付与した奴に聞きなさいよ!」
「リン……もしかして知らないの?」
アムの言葉に、リンが眉をぴくりと動かした。何かが琴線に触れたらしい、リンが大声で主張する。
「勿論、知ってるわよ! 彗星ではなく箒になった理由は――フィルさんのスレイブの武器が珍しい事に――『箒』だったからよ! 確かに箒星の訳はコメットだけど、戦法と武器を考慮してダブルミーニングになってるのッ! これでいい!?」
「……箒は武器じゃないよ?」
アムの問いにリンは一瞬うんざりしたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「そうだ。そんなに言うなら――見せてあげる。『友魔祭』の映写結晶ッ! 多分、あれを見ればアムもどうしてそんな二つ名になったのかわかると思うわ!」
駆け足で部屋をでていく。数分後、リンが持ってきたのは、小さな宝箱だった。
鍵を開けると、恭しい手つきで正四面体の魔導具――映写結晶を取り出す。リンは聞いてもいないのに胸を張って言った。
「宝物なの。何度見たかわからないわ。私はこれを見て、《魔物使い》になったんだから」
「そんなに……凄いの?」
「そりゃ、凄いわよ。いーい、アム? 友魔祭って、《魔物使い》の世界大会なのよ? その優勝者ってことは、つまり、フィルさんはこの瞬間、世界一の《魔物使い》だったって事なの! 何の後ろ盾もない、《魔物使い》の家系でもないただの純人が頂点に立つっていうのは、異例中の異例だったのッ! この決勝戦の結晶も大人気で――お小遣い全部使って買ったんだから、心して見なさいッ!」
リンの言葉に篭められた熱量に目を見開く。リンが魔導具に魔力を込める。
青い術式光がクリスタルを包み発光し、壁全体に映像が開始された。




