第四十三話:マスターは常に研鑽を怠らず
明日は何をしよう。思えば、スレイブになってから初めての休日だ。
思いもよらぬご褒美にアムは有頂天だった。昔はともかく、今のアムにはやりたいことがたくさんある。例えば、ショッピングだ。フィルのお使いで探求者関係の店にばかり行っていたが、レイブンシティには一般市民向けの魅力的な店がいくつかある。アクセサリーの店もあるし、動きやすさとか機能性とかではなく、純粋に可愛らしい服を売っている店もある。アムとて年頃の女の子だ。興味はある。そして、そういう店にマスターと一緒に行って、試着でもして褒められることがあったら(もちろんアムは褒めてくれると確信している)アムは嬉しくて能力が上がってしまうだろう。
他にも、時間ができたら休日があったら是非案内してあげようと思っていた場所が幾つもある。フィルは探求者以外の事には無頓着だから、ぜひとも自分が引っ張っていって上げねばならない。
そんな事を考えて、ワクワクしながらベッドに入った結果――アムは寝過した。
アムが眼を覚ました時には、フィルは既にどこにも居なかった。共に暮らして初めての経験である。
思わず、夢でも見ているような心地になり、時計を確認する。時計の針はいつもアムが起きる時間よりもずっと後を示していたが、フィルがいつも起きる時間よりも数時間は早い。
首を傾げながらさっさと着替えて一階に行く。既に朝食の準備が整っていたが、やはりフィルの姿はどこにもない。念の為厨房を覗くが、何やら料理を研究中のアネットしかいない。
「あら、アムちゃん。おはよう。今日は遅いんだねえ」
「おはようございます……あの、フィルさん見ませんでした?」
「アムちゃんはフィルさんにべったりだねえ……」
「……マスターなので」
実はアムはアネットが苦手だ。リンのスレイブだった頃に散々お世話になったので負い目もある。
扉の影から顔を半分だけ出すアムに、アネットは苦笑いを浮かべて言った。
「フィルさんなら、用事があると言って朝早くに出て行ったよ。あ、朝食は作ってったよ。テーブルにあるから勝手に食べておくれ」
「用事……? ……はい、ありがとうございます」
今日は休日というのに一体どこに行ったのだろうか……。アムの都合も考えてくれないと困る。
仕方なく一人でテーブルにつき、用意された朝食を食べる。食パンと目玉焼きに、野菜サラダという極めて簡素なメニューだが、わけがわからないくらいにアムの口に合う。
食べていると、階上からリンがスレイブの広谷を伴って降りてきた。
「あら、おはよう、アム」
「……おはよう。あれ? フィルさんは?」
「……用事で外に行ったって……今日は休日だって言ってたはずなんだけど……」
いつ戻って来るのだろうか。こうしている間もアムの貴重な休日は少しずつ減っていっているのだ。
そわそわするアムに、リンが目を瞬かせて、アムが考えもしなかった事を言った。
「……え? もしかして……置いていかれたの?」
「!? …………ちょ、フィルさん。休日って……もしかして、勝手に過ごせって事ですか!?」
全く、アムの中にはなかった発想だった。アムはスレイブだ。スレイブは依頼の時も休日もずっとマスターと一緒のはずなのだ。ご褒美に休日をくれると言われたらそりゃ一緒にいると思う。
好き勝手にやれという意味だったのならばそれはご褒美じゃない。罰ゲームだ。
「あー…………ほら、たまには、一人の時間も必要っていうのが、《魔物使い》の基本で」
「あああああッ! そんなの、知らないッ! リンですらずっと一緒にいてくれたのにッ!」
「ちょ、どういう意味よッ!」
涙をにじませ、失礼な事を言うアムを、リンが顔を真っ赤にして揺さぶる。
一緒に住むようになってからよく見る光景に、広谷が呆れたようにため息をついた。
§ § §
《魔物使い》にとってスレイブとは一言で言うのならば成長する剣だ。
僕達は未熟な刃と契約を交わし、それらを打ち、研ぎ、時には痛めつけ、褒めて煽てて、鋭い切れ味を発揮する刃に育て上げ、それを振るいあらゆる敵を切り刻むのである。そして言うまでもないことだが、いくら直接戦わなくとも、マスターは常に研鑽を怠らず、スレイブの誇りとあらねばならない。
アムに休日を与えた僕は、アムの成長に居ても立っても居られず、早朝から図書館を訪れていた。
目的は夜魔の情報だ。僕が保持している情報はアリス育成の時についでに得たものであり、種族スキルも全て知っているとは言えない。僕の能力不足でアムに不便を強いるわけにはいかない。
レイブンシティの図書館は王都のそれよりも遥かに小さかった。館内は静かで人もほとんどいない。
脳内に情報を直接刻める魔導機械が多いためだろうか? 蔵書数も少なめのようだ。
暇そうだった機械人形の司書のリブさんに頼むと、速やかに書籍を運んでくれる。
「こちら、無機生命種と悪性霊体種関連の書籍になります。図鑑だけになります」
リブさんがどさどさっとテーブルに数冊の分厚い書籍を積み上げる。無機生命種関連が三冊、悪性霊体種関連が一冊だ。
だが、悪性霊体種の方は既に読んだことがあった。
やはりこの街では厳しいか。半分予想していたが(というか、多分ないと思ったからこれまで図書館に来ていなかったのだが)残念である。
一度読んだ図鑑に用はない。僕は一度読んだ本は忘れない。
「ありがとうございます。……やっぱり無機生命種関連が多いですね……ああ、こっちの本は……もう読んだ事があるので、片付けて頂けますか?」
「はい。承りました」
情報処理に長けた機械人形の司書さんがないというのだから、他に悪性霊体種関連の本はないと考えていいだろう。どうしたものか……もう用事はなかったので帰るか迷ったが、せっかくついでに探してもらったので、欠伸をしながら、手持ち無沙汰に無機生命種の図鑑を捲ってみる。
僕はアムの情報が欲しいんだよ。魔導機械の情報も気になるけど、今はそっちじゃ――。
「………………この図鑑、いいな。売ってないかな……」
無機生命種は他の種とは異なり、進化の速度がずば抜けて高いので書籍はすぐに古くなる。
人に作られた物ならばともかく、機種保存プログラムによって自動製造された物についてはそれを専門にしている機械魔術師でさえ仕様を把握し切れていないだろう。ランドがクイーンの存在に懐疑的だったのもそこら辺が理由なはずだ。
僕も王国で無機生命種についてはある程度勉強しているが、その図鑑は一ページ目に載っていた魔導機械からして、初めて見るものだった。
……なかなかやりおるな。
しっかりと情報を脳に焼き付ける。夢中になってページを捲る。徹夜明けだが構うものか。
図鑑は素晴らしい事にカラーだった。特徴、容姿、搭載スキルから詳細な設計図面まで載っている。
その細やかさはとてもじゃないが王国の図鑑では敵わない。ああ、僕が機械魔術師だったら一体一体組み立てるのに。無機生命種の特性はある程度能力を自由につけられる事だ。他の種族とは違い職は得られないが、代わりにアタッチメントを追加する事で多様な能力を付与することができる。
そう、頑張れば「ぼくのかんがえたさいきょうのまきーな」ができるのだ。
残念ながら魔導機械の構築は機械魔術師のスキルが大きな役割を占めているので手先の器用さだけではどうにもならない。
だが、実際に手に入らないものこそ欲しくなるものだ。
指で絵をゆっくりとなぞる。美しいイラストにため息が出る。見ているページは重さ五千トン、全長二百メートルにも及ぶ大型の狼型魔導機械のページだった。
思わずため息が出る。
「……はぁ。何て洗練された機能美。やっぱりサイズだよなぁ……広域型防衛機構アルフォスに高濃縮魔導エンジン……機動性と耐久をこのレベルで両立させるなんて……この大きさの核でこのサイズを動かすなんて、機獣師アルメデは……天才か! オーバースペックにも程があるだろ……」
「でも、S803要塞獣のエルフィンは高いスペックの代わりにスキルスロットが少ないのです」
「いや、この機能でスキルスロットが三つもあれば十分過ぎるだろ。むしろ基礎スペックがこれだけ高いなら余計な機能なんて必要ないね。ただの蛇足だね」
スペック一覧に記載された文章を指さしてみせる。馬力と速度、耐久性に知性。申し分がない。
僕は絶対に戦いたくないぞ! 野性で出てきたら最悪だ。でも実物は見てみたい。是非見てみたい。
僕の言葉に、見覚えのある少女が眼を瞬かせた。顔をつきだし、開かれたページをじっと見ている。
「……一理あるのです。ただ、拡張性がないとつまらないのです」
「わかってないなあ。制限あるスロットで何を追加すればいいのか考えるのが楽しいんじゃん。防衛専門にして移動要塞としての機能を高めるかあるいは武装を積んで攻守隙のない構成にするべきか、あるいは補助型のスキルでも積んでみるか……まぁ人が乗るならオーバーエアーとアンチグラビティは必須だよね。ああ、でもスロットが勿体無い! そもそも人が乗るのを想定してないよなあ」
「なら、制約を解除する『法則解錠』のスキルを載せればいいのです。スロットの節約になるのです」
「いやいやいや、確かに載せればいいけど、このクラスのスロットじゃ重すぎて載らないでしょ。それに、法則解錠をつけるには超一流の機械魔術師の助けがいる。とても現実的じゃないね」
「確かにちょっと厳しいかもしれないのです。となるとGか空気抵抗かどちらかを耐えることに……」
「魔導エンジンの最高時速が千二百キロだよ? 片方でも抜いたら一瞬でばらばらになるわ」
「……ならば、乗るという前提を崩しますか? 元々、彼は騎乗用ではないのです。乗るのを諦めればスロットは三つ。攻撃、守備、補助でバランスの良い構成が可能になるのです」
「いや……乗りたい! まー僕がスキルを載せるとしたら重力抵抗、空気抵抗突破に乱数進化かな」
乱数進化は機械種に自己増築の機能を持たせるスキルである。これがない限り機械種は自らを改良できない。勿論、経験による知性の強化は見込めるが。
「……自己進化にかけるですか? この基礎スペックならばあえてリスクを取る必要性もないのです。これだけサイズが大きいと進化速度も微々たるものなのです」
「いや、自己改造スキルは必須だね。自らの努力で成長できないなんて……可哀想じゃないか」
「……一理ないのです。そんなのは、つまらない感情論なのです」
僕の言葉に少女が顔を顰めて腕を組む。
てか、今気づいたけど……いつからいたの?
いつの間にか隣に座っていたのは、昨日見かけたあの女探求者だった。服装が魔導鎧から私服に変わっているが間違いない。
エトランジュ・セントラルドール。恐らく、ランドよりも強い最上級職の探求者。
背丈は低いが恐らく子どもではない。それは種族としての特性だ。
機械魔術師という希少職に適性のある種は限られている。
ピグミーだ。メカニカル・ピグミー。小型種族。
俗に言う、機械小人。機械をいじることを得意とする有機生命種である。機械類の操作に長けた種は他にもグレムリンなど存在するが……間違いないだろう。
「私なら……そうですねーー」
僕の視線も気にせずにエトランジュが真剣な表情で呟く。普通、まずは挨拶じゃない?
「補助にエネルギー操作量増加、防御に広域装甲ですね」
「……高い基礎能力を強化するわけか……まぁテンプレだけど、悪くないかな。で、攻撃は?」
エトランジュは自信満々に断言した。
「攻撃は螺旋貫通ですね。でかい、強いときたら『ドリル』で間違いないのです」
「ほお…………やるね」
思わず目を見開く。なかなか妙を得たチョイスだ。
もう挨拶とかいいか……僕は昨日、笑顔で手を振った。交友の始まりはそれで十分だ。
誰? そう、強いていうならば彼女は……ソウル・シスターだ。
種族が異なっていようがそんなの関係ない。まさかこんな遠い地で新たな妹ができるとは。
彼女も図鑑を借りに来たのだろうか? なかなかわかっている子だ。
本当だったらこの出会いに乾杯したいところだが、今は時間が惜しい。
僕は無言で女の子と視線を交わし、次のページを捲るのだった。
§ § §
帰ってこない……。
リンと広谷が無言でソファに座っている。アムはその対面でプルプル震えていた。




